神仏に関すること

善の神あらば悪の神あり

この世は相反する全てのものが一対であるため善の神が居れば悪の神が居てバランスが取れているのですが、いまだ知ることのない悪の神について説明していこうと思います。

 

はじめに

人間にも善人がいれば悪人がいるように、神の世界にも善と悪があります。

 

これをひっくるめて神様という表現は少しおかしくも感じますが、分かりやすくいえばそういうことになります。

 

まだ霊的な世界のことを知らない霊能者や一般の人が多くいるようですが、霊の世界(見えない世界)は本当に奥が深い未知なことが沢山あります。

 

もちろん、こうして記事を書いているブログの管理者も未熟さ満載です。

 

しかし、知り得たことで伝えてよいと感じるものは発信していこうと思います。

 

善の神と神道について

ちょっと、日本の神様について知っていただこうと思います。

 

現代は神社とお寺は別々にありますが、もともとは神仏習合(しんぶつしゅうごう)といって神様も仏様も同じ所で祀られていることも多かったようです。

 

それが明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)といって、仏教を廃する(なくす)方向から仏教や仏像などを守るために仏様が神様という名称になったものが幾つもあります。

 

個人的な見解としては、仏教は釈迦の教えといった素晴らしい教えがあるものの、仏教を廃し神道に統一させたかった政府の『王政復古』など当時から政治的な思惑が濃厚であったと思われます。

 

神様崇拝を神道といいますが、実はこの『神道は日本固有の民族宗教』なのでメイドインジャパンであり、他国には神道と同様のものはなく聖書みたいな経典も神道にはありません。

 

じゃあ、日本には『八百万の神』がいるって伝えられてきたものも、根拠としてはなく微妙と言わざるを得ない部分も多々あります。

 

しかし。。。絶対神を頂点として神様に類する存在は間違いなくあらせられます。

 

ただ日本における神道としての始期の定説もなくて、古代から自然を神とする自然神信仰から始まったと言われているものです。

 

こうした古文書といわれるものも、時の権力者といった人間が作らせたものなので、どこまで定かなものか全てを鵜呑みにすることは出来ないですからね。

 

悪の神の存在と所業(しょぎょう)

悪の神と称しているのは、ただ単に存在をわかりやすく説明するために「悪の神」と例えています。

 

だいたい神様といった位置付けも人間にわかりやすくするためのものであって、善の神も悪の神も実際は人間と次元の違う存在であり、絶対神なる存在とは別なものと解釈します。

 

一般的には死んだ人間が神様になったりしていますが、場合によっては怨念を抑えるために神に祀り上げて鎮魂を図った存在までいてるのですから、微妙といえば微妙な神様の世界なわけです。

 

現実に悪の神がいるのかといえば、それらしき存在は間違いなくおります。

 

スピリチュアルの世界では、神様にお願いすれば願いが叶います的な風潮になっていますが、ではナゼ戦争や独裁政治など多くの市民を不幸に巻き込んだ事案が起きるのでしょう。

 

こうしたことは人災で、人間の所業(おこない・しわざ)でしかないのです。

 

こうしたことから、神様というのは個人の願いや欲は聞き届け叶えてくれても、多くの人の平和や幸福には見向きもしない憐れな存在ということになってしまいますよね。

 

儀式的なものであっても、多くの信者が人々の平和の祈りをしているのですから。。。

 

神とは何かを叶えてくれるというよりも、人間の進むべき方向付けをしてくれるといった存在と考える方が正しいといえるのです。

 

 

話しが長くなりましたが、悪の神について触れていきます。

 

悪の神という存在は、ひと言でいえば『魔』という存在に当たりましょうか。

 

人間の世界では「魔が差す」という言葉を聞いたことがある人もいると思いますが、「魔が差す」とは思いもよらない出来事を起こすとか、ふと悪念や悪行を起こすようなことを言います。

 

この魔というもの、善の神と同様になかなかの手腕を持っています。

 

敵に回すと非常に恐ろしい存在で、邪魔者を排除したりすることもあります。

 

善の神と大きく違うところは願わなくとも人間の煩悩といった欲に敏感で、悪行や悪念を駆り立てて褒美を与えながら獲物となった人間を取り込んでいく形をとります。

 

この悪の神という魔に取り込まれた人や権力者などは、悪事をしている自覚や疑念が消え我欲を貪るようになり、何れ人々を不幸の渦に巻き込んでいくのです。

 

善の神が人々を平和や良い方向に導こうとする存在であらば、悪の神は人々を暗黒の世界に引きずり込んでいく存在です。

 

さいごに

結果的に善の神や悪の神を動かすのは人々の心であり、間違っているものが大きな権力を持っているような場合には、正義に気付いたものたちは一致団結して行動を起こして社会を取り戻す必要があります。

 

気付こうが気付くまいが黙っているものは自業自得なので、大きな権力に飲み込まれて然り自分や大切な人たちの命さえ権力を持ったものに預けるがいいでしょう。

 

今回、悪の神をクローズアップしましたが、双方の神が存在していて善の神の勢力を活かすか悪の神の勢力を活かすかは、一人一人のチカラにかかっているのです。

 

歴史に学ばぬものは、同じ過ちを幾度も繰り返しをしていくものです。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

POSTED COMMENT

  1. ラベンダー より:

    イトケンさん
    ご返信ありがとうございます。

    物々交換の対価を稼ぐ手段が仕事
    確かにそうですね。

    逆にその対価が寝ていても入ってくるならほとんどの人達は働かなるでしょうね。

    中には労働の楽しみを求める人達もいるかもしれませんが・・・・

  2. イトケン より:

    ラベンダー 様

    こんばんは。

    そのような人おられますね。

    生活のためとはいえ、そういった人のもとで我慢するのは如何なものかと思います。
    人は働くために生まれてきたのではなく、物々交換のための対価を稼ぐ手段が仕事に過ぎませんから。。。

  3. ラベンダー より:

    身近な所ですが
    以前勤めていた職場で女性管理者が独裁者のような?悪の神のような方がおらる絶対的権利を握っておりまして
    誰も太刀打ち出来ず退職者が後を経たず残っているのはコバンザメばかり。
    ただただ従順に従うだけ

    わたしが退職する際
    自分の悪事をそれとなく遠回しに暴露しました。がその暴露もわたしと彼女の二人だけの会話の中での事だったので証拠も残せずで下手にわたしが言っても妄想や嘘だよとで握り潰されるのはわかっており黙って退職しました。

    彼女いわく「わたしの心の中にあるものは一生治らない!」と自らの業の深さを認識していました。

    生まれ持った業の深さは自分ではわかっているがどうする事も出来ないという暴露。
    我よしの精神で自分に刃向かう者や気に入らない者は片っ端から潰すという。また陰湿な姑息な手口で外堀から印象操作をしたり物隠しやらでっち上げなど。表面だけでは最初は中々わからないです。信じてついて行く人もおりまさに悪神です。
    気づき耐えられなくなった人から退職していくという。

    気付かず信じている方達や
    気付かないふりをし取り入る事が出来る演技上手な人しかいられないという。悪事を黙って見ているのも凄い忍耐ですよね。
    生活がかかっていれば我慢出来るものなのでしょうか?

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