先祖に守られる人の特徴ってネットや書物に書かれているものより、もっとシンプルなものであり先祖に守られる人と見放される人の違いについて説明していこうと思います。
はじめに
先祖とは既に亡くなっている数世代前の血縁者全体のことをいいます。
当ブログでは、この先祖に対する解釈は亡くなった祖父母や親を含ませて頂きながら説明に入りたいと思います。
先祖の守りとは、どういうものか
先祖の守りを大まかにいいますと、人生が最悪な状況にいくことを阻止したり、人生が良い方向に向かうように気付きをくれたりするものです。
勘違いしている人もいると思いますが、先祖が守ってくれるからといって幸せになれるとか災いに遭遇しなくなるというものではありません。
なぜならば、私たちがこの世に生まれてくるのは魂の成長という目的があり、辛苦や不幸を背負うことも生まれてきた意味があるからです。
相当な不運や苦労があっても、いつもギリギリのところで助かって何とか乗り越えてきているみたいなものも、先祖のチカラが働いていたりすることがあります。
こうしたことは人間関係にも作用し、盲目になって信じた人間といて破綻の道に突き進んでいることを何らか阻止しようともしてくれます。
しかし、このような人間関係の場合は、本人が気付かなければ不幸を背負います。
逆に、窮地に立ったときに救いの手を差し伸べてくれる人との出会いなどは、先祖が引き合わしてくれていることがよくあります。
こうしたものが、先祖の守りといった感じでしょう。
先祖に守られている人の特徴ってシンプル
このタイトルで検索して、どんなことが書いているのかチラッ上位3件ほどを見てみましたが、全く同じことを書いていたので驚きました。
経験も何もせずに、適当に書いているものということがよくわかります。
そうしたものとは全く見解が違いますが、説明していきたいと思います。
先祖に守られている人って、その人と生前に僅かにでも関わりがあった血縁者が故人になってついてくれていることが多いです。
もちろん、自分を守ってくれている先祖と関わりのある存在が重なることもあるでしょう。
どういった先祖が付いてくれているかというと、生前可愛がってもらったり気に入ってくれてたり、気にかけてくれていた先祖が付くことが多いです。
私の場合は先祖として主に祖母が付いてくれていますが、この方とは生前に会った回数は数えるほどでしたが、私の育つ家庭環境の酷さからずっと不憫に思ってくれていて高齢なのに自分が育てると言ってくれていた人です。
生前に強い思いを抱かれたまま他界されたので、今度は守りに入ってくれています。
私の場合は、祖母のほかにも違う男性の先祖が以前から付いています。
ここで付け加えていきますが、私自身は祖母のお墓も知らなかったので墓参りに一度も行ったこともなかったですし、ほかの先祖供養も形式だけで心に思うこともなければ適当に生きてきた経緯もあります。
こんな自分でも、いまは先祖には守られていることは自信をもって言えます。
このように先祖の守りは先祖の生前の思いが関係していて、何らか先祖に守ってもらう努力をするようなものではなくシンプルなものだということです。
実は、先祖に限らず過去世で関係のあった存在が付いてくれていることもあるのですが。。。
先祖に見放される人
この項では、先祖に見放される人について説明していきます。
先祖といっても、人間が多種多様なように先祖の個性も色々なものがおられます。
一般的な先祖は、守っている子孫が他人に迷惑をかけたり利用したりしていると、気付かせようと動いてくれますが、それでも自己中心的に悪行を繰り返している子孫がいます。
そのような人は先祖の守りが薄くなったり、先祖から見放されてしまいます。
世の中を見渡しますと、一般人でも悪事を働いてのうのうと生きている人は少なくないように思います。
しかし、こうした人たちは窮地に追い込まれたときに救いの手がないばかりか、運命通りに因縁因果の悪業を積んでいるので、死後の世界では同類の魂たちと殺伐とした日々を送ることになります。
(肉体を持たない魂の世界は、人間的な肉体の恐怖がなくなり思念中心となるため)
そうした後々の苦を味わわせないためにも先祖は子孫を見守り、何とか気付かせようと働きかけてくれるのです。
身近なものでいえば、不倫をしたり異性を騙して利用していた人が、理由もなく自殺してしまうケースが多いのは先祖も助けることが出来ない大きな罪だからです。
このように目に余る行為は、先祖も助けることが出来ないので窮地に立たされたときに流れに沿って守られない人は落ちていきます。
ところが、ごく一部に悪事に長けた家系というものもあり、こうしたものは子孫が悪事を働いても守りに付いている場合もあります。
そうしたものは家系図をみれば、代々何らか悪事を働いている血縁というのがよくわかります。
世の中は陰あらば陽の世界であるがゆえに、善悪というのは先祖の家系にも反映して存続して然りといえるでしょうね。
さいごに
先祖も元々は人間であり、好き嫌いは死んでも同じような感覚を持ち合わせます。
死んだら仏の心になると言うよりも、死んでも死後の世界を認知したり未練や執着が薄れたり変化はしますが、根本は変わらないものです。
先祖の守りというのも気付き難いと思いますが、私たちの人生に過度に関与することなく適度に見守ってくれています。
事あるごとに気付きをくれて良い方向に導いてくれようとする先祖もおられるので、先祖に感謝したり心で思うことは大切なものだと思います。
ギリギリのところで助かることが多いと思う人は、ぜひ先祖に感謝を伝えるのが良いですね。
先祖も気付いてくれたり思ってもらえると嬉しいものです。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>