あきらかに理不尽なことに対して反撃すると法に触れる(逮捕される)かも知れないから我慢するとか、社会の流れ的に外れるから自分を誤魔化すといったことは誤りであり、道理が正しければ倫理を蹴飛ばしてでも筋を通す生き方が大切です。
はじめに
いまの社会をみていますと、色んな理不尽なことが溢れてかえっています。
それも、人間が作ったルールや法律などが足枷になって、正しいほうの人が我慢したりストレスを抱えたり、とても可笑しな社会です。
この記事でお伝えしたいのは、倫理に捉われるのではなく、自分の尊厳を大切して道理にかなった生き方をして欲しいと願うものです。
倫理と道理のちがい
似たような表現なので、ちがいについて説明から入ります。
倫理とは。。人々が調和して生きるための、守りごとやルール(秩序)のこと。
道理とは。。正しい筋道・筋が通っている・人道的に正しいこと。
集団意識に飲まれてはいけない
国民というのは、社会に洗脳されて今の考えや視点があるわけです。
いや、そんなことあるはずがないと、多くの人が思うかもしれません。。
では、質問ですが。。。
集団意識のなかで、恥や批判を恐れていませんか?
無意識でも、労働者や低所得者を身分の低い人と見ていませんか?
善悪問わず権力者には従い、社会的弱者は攻撃しやすいものだと思っていませんか?
日本全土への空襲や原爆投下について、怒りもなく少し他人事と思っていませんか?
公共や公人などは、人を騙さないと思っていないですか?
こうしたものすべてが、洗脳によって思考に植え付けられているのです。
間違っていることを、間違っていると声を大にして言えないことも変です。
人が作った正誤ある倫理観によって、見えない拘束と洗脳をされて生きていることに、気付いて頂けたらなぁって思います。
倫理で叶わなければ道理を通すべき
イジメやハラスメントまた無理強いなどは、じっと我慢していても何の解決にはならないものです。
理不尽なことをする人は、倫理をかさに相手(集団含む)が手痛い行動(反撃)をしないと鷹を括っていたりするから起きます。
言っておきますよ。。
『我慢は美徳ではなく、ただのバカです。』
先ほど書きましたが、勇気をもって自分の意見を言うことで、追及されたり批判されることを恐れているだけなんです。
人々の多くは、道理に背いても自己保身から我慢したり順従とするため、後々ストレスから心身を悪くしたり苦しむ。
訴えても書面に表してもダメなら、身を呈してでも道理を通すのが人間本来の姿です。
小さな傷ならば簡単に治ったものが、放置(我慢)して大きな傷になれば相応の処置が必要なように、程度によって対応を変えることです。
そして。。。
自己保身を捨て、倫理に捉われず、自分は然り大切な人や子供のために、道理を守り抜くことが本当に大切なことです。
倫理観に縛られた人は他力本願の如く、放っておいても何れ風向きが変わるだろうと思うようですが、先の見えない希望に夢見るのですか?
これって百姓一揆の時代に、我慢して口減らしをして、やがて餓死するのがオチです。
極端なことを書きましたが、行動しなければ何も変わらないということです。
さいごに
もう一度書きます。
人間の道理とは。。人として当然に守るべき筋道や道徳、人として正しい生き方、社会生活を送るうえで当然な考え方であり原理です。
『道理に逆らうと無理が生じる』というのも重要なことでしょう。
仏教でいわれる、『道理に従う生き方こそが真の幸せにつながる』が根本です。
ということで、倫理に捉われず、道理に従ってお過ごしいただければ幸いです。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>