供養は気持ちがなければ意味がない
供養するにも儀式や形式といった形ですれば良いというものではなく、心がこもっていなければ時間と経費の無駄というもので、先日出逢った自殺霊との会話を一例として供養する気持ちがなければ全く意味がないことについて書いていきます。
はじめに
当ブログの管理者は、霊媒の人を介して故人の霊と話してきている経緯をもちます。
それゆえに他の霊能者にはない視点かもしれませんが、常に『供養は心でするもの』とお伝えしております。
先日、ある男性の自殺霊と話すなかで、出てきた言葉から供養について再度お伝えすべきであると考え記事にすることにしました。
自殺した男性の霊の想い
つい先日の話になりますが、霊媒の人が過去の嫌なことを思い出す日が多いと、日常会話のようなことから始まります。
だいたい、意図しない回想などによって精神に影響するケースでは、なんらかの霊が関与していることがあります。
今回は、この男性の自殺霊が憑りついていたことによって、彼の意識にリンクする形で霊媒の人が影響を受けていました。
そこで、霊媒の人との話を続けます。
それって、男性の霊が憑いていませんかと。。。
あ~、男の人が憑いていますね。
いつもの如く、「わかっているから出て来なさい」と言うと男性の霊が姿を現します。
【自殺した男性の状況】
年齢33歳(享年)・死後約4~5年・動機は職場の嫌がらせから居場所がなくなったこと。手段は林の中で首つり自殺を図る。
姿を現した男性の自殺霊と会話をしていきます。
(イトケン)この霊媒の人に恨みでもあるのですか?
(男性の霊)ないです。
(イトケン)では、なぜ憑りついているのですか?
(男性の霊)自分の思いや辛さをわかって欲しかった。この人は他者の気持ちを分かろうと努力するから憑いた。
一般的に霊は、憑依しているうちに対象者の性格などを把握していきます。
(イトケン)あなたの親は供養してくれていないのですか?
(男性の霊)親は供養してくれているけど、まったく心に響かない。
この男性の言葉が物語っているように、世の中の供養という概念はまやかしの如く、形式だけの供養をしても意味がありません。
さらに申しますと。。
霊体(魂)の世界は物や形式はないもの(無)と同じで、心という『思念』がもっとも重要なものとなるのです。
『思念』の(念)とは今の心と書きますから、故人を思う今の心が伝わるという意味です。
余談ですが、これは神仏や高次元の存在も同じで、表面的な所作よりも常日頃の心の持ち方が伝わっているのです。
話を戻しまして。。。
こうして男性の思いを聞いて共感してあげていると、男性の波動が変わっていきます。
自殺したことは良いとはいえませんが、この男性は素直で真面目な性格だったことから、こちらの話をちゃんと理解されます。
ほかにも少し心残りがあったようですが、それも諭すと理解してくれました。
とにかく、聞いて欲しかった、わかって欲しかった、のが強かったみたいです。あとは自分の思いが正しかったのか振り返っていました。
ほんと。。。いい人が理不尽な思いに苦しむことに、溜息が出ます。
さいごに
自殺した男性がどうなったかは割愛しますので、御想像におまかせします。
一般の人には、死んだ人の気持ちを察することが出来ないかもしれませんが、そんなことよりも故人に寄り添うで良いのです。
故人を想う気持ちあらば、故人は救われ寂しい気持ちも打ち消されるのです。
最上の供養は心であり、儀式や形式にあらず。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>