位牌といいますのは、実は仏壇より大切なもので金銭に余裕がなくても位牌だけは置いておきたい、故人の供養には欠かせないものです。位牌を見たことはあっても、いままで必要でなかった方や自宅にはあるけども詳しく知らなかった方など位牌の流れと重要性・どういう意味があるものかなど最低限わかりやすく説明いたします。そこでこれだけは知っておきたいことに絞って書いていきます。
はじめに
家族と生活をともに生活をしていれば、遅かれ早かれ別れる時がきて葬儀や仏教的なものを経験しないといけません。
ところが時代が変わってきてお墓や位牌などのことは知っていても、本当の意味や重要性は知らないままに供養している人もいると思いますので書かせていただきました。
近年はお墓も合祀墓や散骨など様々なものに変化し、家庭によっては費用をかけれないなど諸問題も発生してきている現状ですから、位牌というものを理解して安心して欲しいものでもあります。
まず位牌が必要になる流れについて説明します。
この記事では、これだけは最低限知っておきたいと思う部分だけ書いていきます。
位牌の流れ
まず亡くなられた故人の葬儀のときには、『白木の位牌』を使用するかたちになります。
この『白木の位牌』は葬儀の際に祭壇に飾り49日法要があけるまで使用しますが、葬式が終われば仏具店などで『本位牌を準備』しなければなりません。
『白木の位牌』は寺や葬儀会社が用意してくれますので、白木の位牌までは手配をしなくてもいけますので大丈夫です。
ただし『白木の位牌』は、仮の位牌ということになり49日法要までです。
本位牌は、よく見る黒の漆塗りに金色の文字の正式なもので49日が明けるまでに用意しないといけません。この本位牌は33回忌まで使います。
最近は機械彫りが主流ですが手彫りもあり本位牌作成に1~2週間ほどかかります。
位牌のことについては、このような流れです。
戒名について
少し戒名にも触れますね。俗名という生前の名前から亡くなれば戒名をつけてもらうのが日本の仏教では一般的な流れです。
戒名をつけて頂くのには安くても宗派問わず大体30万円~50万円はかかります。安くてもこの程度の金額なのでもっとかかる場合もあります。お坊さんのランクによって差があるために変わります。
宗派が浄土真宗であれば少しそれより安く済む場合がありますが、お寺によっては10万円~20万円?のようです。それでも結構な金額がかかります。
家系が菩提寺があり檀家さんの場合は、かならず菩提寺か菩提寺の宗派の本山などで戒名を頂かないと先祖のお墓にいれてもらえません。
《しかし私見では、亡くなったもののことを考えれば菩提寺にこだわる必要はないと思います。菩提寺でなければ成仏できないなどは一切関係ありません。》
戒名のタイミングは亡くなってすぐか49日までにどうするか決めなければならないのですが、本位牌の作成時間も考慮して決めないといけません。
戒名ですが最近は49日までに間に合うように検討されている方も増えているようです。
念のため戒名は自分で作っても良いそうです。
《戒名についても日本の風習からのものであり重要性は故人に影響するものではなく、仏教的な法要などに必要ですから現実はもう少し低額にするべきものでありますが、現実は亡くなられた人には戒名はなくても問題はありません。》
位牌とは
では、位牌とはどういうものなのか説明していきます。
位牌とは表側に戒名(法名、法号ともいう)裏側には俗名(生前の名前)没年月日、享年(亡くなられた時の年齢)などが記される木の札になります。
位牌とは、依代(よりしろ)とも言いまして故人の霊がとどまるところになります。
もし位牌がなければ、故人の霊は人の身体につく形になってしまうので必ず用意しなければならないものになります。
仏壇がこの世の仮の家とすると、位牌は故人専用の椅子のようなものです。
例えが少しおかしいですが、このような感じの解釈になります。
33回忌が終わりますと、ご先祖の位牌に合祀するかたちにして個人の位牌は終わりです。
位牌の重要性
人が亡くなりますと通夜・葬儀・法要・お墓・仏壇・位牌などがありますが、このなかでも上位に位置するぐらい重要なものになりますので、予算がなくてもせめて位牌だけは用意したいものです。
ただし位牌といいますのも黒塗りに金文字のものが望ましいですが、災害や色んな問題から位牌がないようなときは紙の短冊に「○○家先祖之霊位」と記したものを置かれて供養されることもよいです。(他者引用しています)
ほとんど引用することはないのですが、近年の自然災害などで被災されたり諸問題を抱えられている人も少なくないと思いますので、位牌に変わるものとして私もおススメします。
話しは変わってなぜ位牌が大切なものかと申しますと、人は亡くなって霊になってしまいますと一般的には私たちには姿かたちが見えないどころか、私たちのまわりには見えないだけで無数の霊が存在しています。
私のブログでは一貫して「供養は心が一番大切」と説明していますが、日々の供養するときに供え物や線香などを周りにいる沢山の霊たちと区別するために必要になるわけです。
いわば専用ですよという意味合いであったり、位牌に語りかけることによって一層伝わりやすいといった方向性のものです。
正直なところ仏壇などは質素でも格安でも箪笥の上でも故人の家ではありませんので、きれいに掃除されていれば特段の問題はありません。
それと位牌というのは、故人の供養に一番近いものであり次にお墓という位置づけでもあります。お墓といいますのは納骨しているので故人が常駐しているようなイメージを受けますが、亡骸は物質的なものであって故人の魂は執着せずに他のところにいてます。
《この位牌も実のところ、木のようなものでないといけないということはなく、市販の紙の短冊に生前の名前と之霊位(○○○○之霊位)と書いて位牌代わりに代用しても何ら問題はありません。》
さいごに
仏壇を豪華にする必要はまったくなく、仏壇より大切なものとしてご理解ください。
では、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>
くるみ 様
お返事が大変遅くなりまして申し訳ございません。こちらこそ、ご返信ありがとうございます。お父様が1週間に1回ほどのペースで出てくれているとのことですが、回数的には多い方だと思います。見れない人ですと2カ月ほど全然見れなかったり出てきてくれても僅かだったり個人差がとても大きいものです。成仏すると夢に出てこれなくなるのかといいますと、基本的に成仏しても大丈夫ですが回数は減ることが多いと思います。
お父様が旅立たれて、ひどく悲しんだり執着が強いとのことですが皆さん同じような感じですのでご心配されるようなことはなくて、お父様も状態を見て心配はされると思いますが、その反面自分のことを想ってくれている娘を愛おしく思うものです。
故人との心理的な距離について記事で2~3年くらいで執着を捨ててと書いていますが、故人にとっても残されたものにとっても良くないということについては、おたがいに霊の世界と人間の世界で執着を薄めていくことが望ましいというものですので、絶対にそうしないといけないということはありません。
お父様の成仏についてですが、写真に話しかけることは何年でも何十年でもなさられて問題ありませんので、ご心配なく継続していってください。お父様も忘れずに想ってくれることは最大の供養になりますので躊躇することはありません。続けていくことで、きっとお守りしてくれると思います。
長文などまったく問題ありませんが、私の方がうっかり見落としていましたことお詫び申し上げます。
イトケンさん、私の質問にご丁寧に答えていただきありがとうございます。実のところ、父の遺骨を手元におくべきか、悩んでいたのですが、遺骨は、故人の衣服と同じようなものということですので、持っていることで、執着しすぎてしまいそうなので、持たない選択をするべきなのかなと思っています。遺骨とは、違うと思うのですが、最近は、父の写真が入ったペンダントをして父に話しかけたりして毎日、生活しています。それから、父が亡くなってから、1週間に1回くらいのペースで、父の夢を見るのですが、父が完全に成仏してしまったら、もう私の夢には出てこなくなってしまうのかなと思うと心配な気持ちになってしまいます。私がひどく悲しんでいたり、父への執着が強すぎるとよくないのは分かってはいるのですが、なかなか踏ん切りがつきません。他の記事で、イトケンさんが、書かれていましたが、やはり、2,3年くらいで、執着を捨てて、故人と心理的な距離を置かないと、故人にとっても残された者にとってもいろいろな意味でよくないのでしょうか。今は、父の写真に話しかけることで、少し心が楽になるような感じはあるのですが、父が成仏するためには、そういった事もいずれは回数を減らしていった方がいいのでしょうか。文章が長くなってしまってすみません。
くるみ 様
こんにちは。お返事が大変遅くなり申し訳ありません。
はい、供養は間違いなく『心』や『想い』が通ずるものです。お気持ちは必ず届きますので、安心してお気持ちを届けてあげて下さいね。
≫≫少しだけ不思議に思ったのは、父が亡くなった場所は、日本なのですが、私が海外にいても、魂というのは、物理的な距離とは関係なく、日本にいるのと同じようにそばに来たりすることができるものなのでしょうか。
➡その通りです。嘘のように聞こえるかもしれませんが、霊というのは瞬間移動できますので海外の何処の地域に居ましても問題ありません。分かりやすいもので例えますと、地方の田舎にお住まいだった祖父母の霊が死ぬ直前に枕元に立つということがよくありますが、遠く離れた場所でも距離は関係なく同じことが起きるのはそのためです。
≫≫手元供養が最近は、少しずつ流行ってきているようですが、亡くなった人の遺骨が手元にある事で、遺影やお位牌だけに話しかけるよりも故人とつながりやすくなったりするものなのでしょうか。
➡近い将来、供養というものも変化していくように思います。遺骨というのは本来は遺骸(魂の抜け殻)であり人間の世界で例えますと衣服みたいなものなので、遺骨が手元にあるからといって故人と繋がりやすくなるということはありません。どちらかと申しますと、遺族など残された人たちにとっての拠り所的なものと考えるほうが自然かと思います。
イトケンさん、お返事ありがとうございます。やはり、供養をしたいと思う気持ちが、何よりも一番、大切なんですね。イトケンさんの言葉で、気持ちが少し楽になりました。お位牌は、開眼供養なしで、手に入れることになると思いますが、これからも、父の供養を私なりの形で続けていこうと思います。
ただ、少しだけ不思議に思ったのは、父が亡くなった場所は、日本なのですが、私が海外にいても、魂というのは、物理的な距離とは関係なく、日本にいるのと同じようにそばに来たりすることができるものなのでしょうか。
それと、手元供養が最近は、少しずつ流行ってきているようですが、亡くなった人の遺骨が手元にある事で、遺影やお位牌だけに話しかけるよりも故人とつながりやすくなったりするものなのでしょうか。
くるみ様
こんにちは。はじめまして。ブログを読んでいただきまして、ありがとうございます。
お位牌の件ですが、開眼供養といいますのは葬式仏教独特の慣習になっているもので、お位牌を開眼しないと何の役に立たないということは全くありません。これは何故言い切れるのかといいますと、キリスト教やイスラム教などの他の宗教がそもそもお位牌という概念がなくても故人にとって問題がないことを表しているということを考えていただければ分かりやすいと思います。つまり故人の死後の考え方が宗教の違いから起きているものに過ぎません。何故日本の仏教だけが法事や法要という概念を植え付けられたかというのは、江戸時代ごろからの政府?幕府?の政治介入による寺院保護というものから始まっているものです。本来は戒名というものも成仏に対して全く意味がないもので、位の高いお坊さんに戒名を書いてもらった方が成仏しやすいということも100%ないということも断言できます。
現在、くるみ様がお父様の遺影とお位牌の代わりに書いた紙(○○之霊位)でお供えされて、遺影に話しかけられているということで十分お父様にお気持ちは届いており供養になっています。ブログでも書いていると思うのですが、供養というのは『心』や『お気持ち』や『想い』が優先するものですので形式に拘られることはありません。よく他者様のサイトやブログといったものに色々書かれているみたいですが、ほとんどが葬儀関係や関連するお寺またその記事を引用する人たちのブログであふれているのが現実です。霊の世界の真実を知らない人たちや商売のためのものが大半と思って間違いありません。説明が下手なので、ご不明なことなどありましたら、いつでも質問して下さいね。
こんにちは。イトケンさん。ブログ、大変興味深く読ませていただいております。お位牌は供養をするのにとても重要とのことですが、開眼供養(魂入れ)をしていない場合には、何の役にも立たないというのは本当のことなのでしょうか。2ヶ月ほど前に父が亡くなったのですが、私は今、海外にいて、お墓参りも出来ない状況です。毎日、父の遺影に話しかけ、お位牌が無いので〇〇の霊位と書いた紙の前にお供えもしていますが何とか父に私の気持ちが届いていればと思っています。ネットでお位牌を注文する事は出来るのですが海外にいるので、開眼供養をしたお位牌を手に入れるのが難しいので手に入れるべきか悩んでいます。