自分を可愛がってくれた祖父母、厳しかったけど沢山の愛情を注いでくれた親、出来るならもう一度会いたいと思うものです。しかし数年数十年経った今も見守ってくれています。自分が会いたいと思う親や祖父母ほど、あなたの気持ちは届いています。そこで、他界した親や祖父母の想いや死後に再会できるのかなどを説明していきます。
他界した親や祖父母が見守ってくれている事実
「会いたい」と思う気持ちは伝わっている
気休めでも慰めでもなく、「会いたい」と思う気持ちは伝わっており、親や祖父母はその気持ちを受け止めてくれていることは事実です。
ただ見えない感じないというだけで、そのような思いが伝わるので側に寄り添ってくれたりしているものです。なぜこう言えるのかといいますと、霊の世界が思念の世界であるために、こういった思いや気持ちの念は相手に届くからです。
あなたを大切に思ってきたり可愛がってきた気持ちは、他界しても消えるものではありません。生前のままの気持ちで、あなたを見守ってくれているのです。
自分に兄弟や姉妹がいる場合はどうなのか
これは、みんなを見守ってくれていますが、生前と同じで親や祖父母の好みの差といいますか、想いの差はあるように感じます。このあたりも生前の感じと同じと考えて間違いありません。
でも、みんな我が子であったり孫であるため大切に思ってくれています。
どうしたら存在を感じれるのか
これについては、なかなか難しいものだと思いますが、先祖供養(仏壇やお墓)のときに、側に居てるように話しかけることから始めるのがいいかと思います。
といいますの、霊的感覚は個人差があるので一概にはいえませんが、意識を集中するとか「会いたい」といった想いを、その他界した人に向けるとしか言えません。
そのなかで何らかのアクションを感じることができるかも知れないからです。
このように存在は感じにくいものですが、みんな霊的な能力はもっているので研ぎ澄ます意味でやってみてください。なぜならば、みんな肉体がなくなれば霊に帰るのですから‥。
私自身が霊的なものに意識を向けるようになってから、突然起きないことがタイミングよく起きたりします。音が鳴ったり物が落ちたり・なにかの媒体で偶然お思いの答えを目にしたり、人の口を介して聞けたりと色々ですが、そのように知らせてくれることもあります。
人によっては、夢に出てくることもあります。
数十年経っても見守ってくれていることも
これは体験談の中で少し書いたことがあるのですが、霊能力を少しお持ちの人が他界した父親の存在を感じたことがなかったのに、霊媒を通して私に話しかけてきた事実もあります。
やはり早い時期に亡くなられていた人でしたが、子供が可愛くて見守ってられたということもありましたし、その人が大変なときに私を使いに行かせるといったことがありました。
その人の親は他界してから30年以上経っていましたが、ずっと見守っておられたということを霊媒を通して聞きました。
このように、他界してもう成仏して近くに居ないと思っていても見守ってくれているものです。死んだあとも親は親のままであり、祖父母も然りです。
自分の死後に親や祖父母に会えるか
自分が人生を全うすれば会える
答えから先に申しますと、かならず会えます。
人生を全うするというのは、会いたい気持ちが強くなりすぎて自殺などしてしまうと波長や苦しみの念もちがい、霊の世界で階層もちがうので最終的に会えても。寿命が来て死ぬより何倍も先にしか会えなくなってしまいます。
しかし自然死であれば、誰もが経験すると思うのですが、無数の霊の世界で迷うことはあっても、比較的に早い時期に再会し一緒に過ごしていけるでしょう。
なぜならば、愛や思いというのは霊の世界の中心であり、多くの霊がひしめくなかでも探してもらって会えたり、向こうから出向いてくれたりすることになり、必ず会えることになります。いまも見えないだけで気持ちは通じ合っているのですから大丈夫です。
なにも変わらなくて、ただおたがいに肉体がないだけで生前そのものの状態です。
話し方も雰囲気も方言も生前のままであるということで、他界した親や祖父母が病気や事故で亡くなっていたとしましても、生前の元気な姿でおられるので心配することはありません。
すぐ会えないケース
先ほどにも触れました自殺や悪事を働いてきたようなケースでは、当然にすぐ会えるものではなくなってしまいます。
このようなケースでは、生前の行ないを走馬灯のように見せられ悔い改めることになり、会いたいというより、ちがった感情や思念が増幅してしまうので、会いたいという気持ちより勝ってしまい、それどころではなくなってしまうからです。
会いたいために自殺しますと、会いたい気持ちも増幅しますが、それより悲しさや寂しさの感情が勝ってしまって、その念に囚われてしまうからです。
見えないし存在を感じない意味
世の中の多くの人が見えない感じないと思うのですが、見える人もいるのか全ての人のことは分かりませんが、よく夢枕に立ったとか死ぬ前に来てくれたということはあっても、それ以降は存在が分からないといったことが多いと思いますが、そこには意味があります。
人の死は人生の修行の1ページ
こんなことを書くと修行なんてしたくないから、親や祖父母と別れたくないと思うのでしょうが、それが運命であり宿命で越えなければいけない修行でもあるのです。
私も幾度と死による別れは経験してきていますが、やはり考えさせられるものですし、成長につながってきたものと思います。私自身は数カ月のあいだ何もできない状態にもなったことがあるぐらい弱い人間でした。
毎日浴びるほどお酒を飲んでたことを思い出しますし、命日が来ると何とも言えない悲しさや思い出が回想するものでした。
しかし人の死に直面することや乗り越えることによって、人間として変わってこれたんだと確信しています。
人というのは、幸せでなにも苦労や深い悲しみがないと人間として生まれてきた成長が望めなかったり、人生の儚さを感じたり人の傷みが分からなかったりするものです。
それは必然に起きることで、誰もが経験する人生には欠かせないものだからです。
存在を感じない意味
守護霊ひとつ例にあげても、霊能力者でもわかりにくい存在であるのと同じで、存在が明らかにわからなくても何となくでもわかると、あなたの人生に影響を与えてしまうので、存在がわからないと考えるべきです。
親や祖母の存在が身近に何となくでもわかってしまうと、やはり意識的に頼ってしまい自立できない状態になってしまうので、存在を見せないのです。
幼少期は親と毎日べったりと過ごし、学校に行き出して親と離れる時間ができ、就職で親元を離れて1人で住んだり、勤務時間から親と接する時間が減り、結婚や自立することで1年に数回しか会わなくなり、最後は死という別れを迎えるわけです。
このように段階ごとに親との距離は離れていき、人によってもっと早い途中の時期に離れてしまうことになりますが、各々いずれは1人で自立の道を歩まないといけないことになっているのです。
そうして親や祖父母の存在を感じにくくなり、時には存在が分からず、順番として形は違えど自分がその立場を継いでいくためです。
これには霊的な真理からも、存在は極力見せないものではないかと思います。
さいごに
見えないだけで、かならず見守ってくれていますし、あなたのすること考えていることは、みんなわかっています。
「会いたい」と思えば近くにいてくれているでしょうし、危険なものからも守ってくれているものです。それでも事件や事故に巻き込まれるのは、経験しないといけない人生の修行が含まれているから、そうなるだけなのです。
親や祖父母の霊というのは、守護霊の了解のもとで動くことができるので、勝手気ままに子供や孫のためであっても制約があるのも事実です。
地上での人間の人生はいいましても儚いものですので、あの世で会う時のためにいい報告ができるように、いまの人生を有意義に過ごしていきましょう。
あなたは決して1人ではありません。他界しても常に居てくくれてるのだから‥。
では、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>