これまで幾度も子供のことを案じて他界した親が出てくることケースがあったので書きますが、私たちの前に現れる親の霊は子供を見守るなかで人生に大きな影響を与えるようなものに出てくることが多いように感じます。
はじめに
こうしたものは、実際に経験してきたから書けるものです。
死後の世界を信じることが出来ない人は、こうした話は到底理解し難いものだと思います。
いつもながら、信じる信じないは各々の判断に任せますので、よろしければお読み下さい。
見守っているのに存在もわからないのは?
親が旅立って子を見守るというのは、「陰ながら見守る」「適度な距離をとって見守る」といったものが適切と感じます。
なぜならば、親には親の人生があったように、子供には子供の人生があるからです。
良いことも悪いことも経験するのが人生というもので、すべてが机上ではなく体験を通して人間(魂)としての豊かさを築いていきます。
ときに辛苦を味わうこともありましょうが、それも他界した親からしたら手を差し伸べたくもあり、ジレンマ(葛藤)だと思います。
大切だった親が亡くなることさえ学びであり、それを案じて頻繁に現れていては子供の学びにならないこともあるのです。
生の世界に生きるものは肉体を主体とし、死後の世界を生きるものは魂を主体とする、つまり何も感じることが出来ないことが自然なわけです。
故人(霊)になったものは、生者の人生に大きく左右するような邪魔をしてはならない、というのが基本です。
まれに、イレギュラーなものもいるようですが、そこは割愛します。
他界していた親が見守る証(あかし)
意外と他界した親が、なんらかの働きかけをしてくれていたりします。
よくあるのが、悲しみや辛さを抱えているときに、歌詞・人の言葉・エッセイやブログ・場所などで偶然に救われるようなもの。
親は他界しているので、直接言葉もかけてあげられないし、姿を見せても解決にならないこともあるので、このような形になります。
子供を救いたいと、他界した親が霊能者の前に現れることがあったり、解決できる人に会わせるようと導くこともあります。
姿を現すケースで特に多いのが、異性問題でしょうか。。
そのなかでも不倫などによって、娘の人生が滅茶苦茶になっているようなものなどは、親の霊は黙っていられないようです。
こうした親のなかには、泣いている人もいますし、霊能者に懇願することもあります。
ルーティンな生活のなかで、偶然ズレた行動が危険回避行動になったりもそうです。
あげれば色々ありますが、ざっくりとこんな感じで、他界した親は見守ってくれています。
さいごに
ここまで書きましたが、他界した親のすべてが子供を見守るとは限りません。
親のなかには、自己中心的・毒親・無関心など色々いますので、そうした親は死んでからも音沙汰はないかもしれません。
少しでも子供のことを思う親であれば、こうした見守りを感じることがあると思います。
それでは、このへんで終わります、
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>