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他人を批判する人は無知である

最近SNSなどが発達してきたせいなのか、他人を批判しているものを毎日のように見かけることが多くなりました。批判しているものも色々なので、なるほど~と思うこともありますが、いろいろな分野で言われていますように、他人を批判することは損をすることはあっても得をしない行為だということを説明させていただきます。

 

 

他人を批判するのは無知だから

 

自分が批判している立場の人が、この題名を見たら何を言ってるのって感じだと思いますw

 

いろいろ学べば分かると思うのですが、これを読んで疑問に思う人は、残念ながら正真正銘の無知です。一応補足しておきますと、頭が悪いとか何も知識がないというわけではないのですが、いろいろな宗教の教えや霊的真理など人としての根本を何も知らないという意味なので安心して下さい。これから学んでいけばいいのですから‥。

 

念のため霊的真理とは、人間が作り出した宗教的真理ではなく霊界にいる高級霊たちが発信し地上の霊媒を通じて人間に伝えられた、霊界や地上界を貫く法則の原理です。 

 

人の悪口を言ってはいけないというのは、幾度となく耳にしてきたことだろうと思いますが、人を批判するというのも、どうであっても悪口と変わりのないことなのです。悪口を言うと自分を下げるといいますが、SNSなど匿名性が高くても陰口でも批判するということは、知らず知らずに自分の貴重な時間を割いて(さいて)批判しているのですから、無駄な時間であり、その行為の反射は起きるものです。(反射とは自分に返ってくることです)

 

さらにいいますと、この場合の反射とは知らず知らずのうちに自分も批判される対象になってしまうということです。まだ批判されてでも注目度を集める立場のような人ならいいですが、一般人には厳しい状況を自分から作ってしまっていることになるのです。

 

すべては、いいことも悪いことも因果応報の原理がはたらきます。それがたとえ数十年先でも批判という原因を作った結果はかならず返ってきます。簡単に批判できる時代だからこそ気をつけたいものです。

 

ここで霊的なことを出すのもどうかと思いましたが、知られていた方がいいと思うので続けますが、批判という行為の思考は自分の波長をみずから下げてしまっているので、同じ思考の低い波長をもった低級霊といわれるものに取り憑かれたり寄ってこられたりする可能性が高いことであり、現世では同じ波長の友人や知人たちが集まっているということです。

 

よくいいますところの、類は友を呼ぶです。

 

 

批判は自分の未熟さからくるもの

 

まだここでもダメ出しのように感じるかもしれませんが未熟というのは、どれだけ地位があろうが収入があろうが関係ないことになります。そのような地位や名誉的なものは人格とは一切関係ないものです。

 

批判という行為は、人に嫌な思いをさせる行為であって人間的に成長していれば躊躇してもおかしくない行為です。本当は思ってもいけないというのが、正しい道になりますが‥。

 

それが正しかろうが間違っていようが、人は人であり批判する権利もありません。言論の自由と人を害することの区別がないから、未熟としか言いようがありません。

 

世の中はすべて表裏一体であり、善があれば悪があるように批判は見守ってあげることが出来ないから、どちらかといいますと悪の部類になるのです。辛抱が足らないといいますか、人のことを言えるだけ自分は成長してるのかということです。

 

このようなことを書けば、いやいや根拠もないのに無知とか未熟っていいますけど‥になりそうですけど、人を批判することほど根拠がないに等しいものはありません。

 

先日も、ブロガーのはあちゅうさんが懐妊されて、批判をしている人が多く見受けられたのにはビックリしました。「子供がかわいそう」「AVの父親なんて…」「なんでAV男優止めないの」「はちゅうさんは妊娠を隠してた」「はあちゅうさんが子育てなんて…」など思いつくところ、このような書き込みをたくさん見ました。

 

よくもまあ当事者でもないのに、これだけ好き勝手に発信するものだなぁって驚きましたし、未熟な人が多く存在するのだと感心しました。

 

どれだけのことを知って発言してるのか、子供のことでもその子が成長してみないと状況も分からないのに断言するものではありません。AV男優でも名前が知れているぐらい凄いのに職業差別?や人を見下した発言、世の中の男性が彼の真似をしようとしても真似出来るものでもないと思います。

 

自分はそんなことはしない、とか言うのは関係ないんですよ。だからといって批判するから未熟なのです。

 

批判するなら人のためにするべき

 

だいたい批判しているのは個人攻撃であって、面と向かって直接言えないから好き勝手言うのだと思います。言うなら潔く本人の目の前でいうべきことなのに、それはできない。集団でないと何もできないのだと分かります。

 

人のためにするべきとは、子どもたちのためになることや、困られている人のためになるような批判をするべきです。そのようなことには消極的なんですよね。結局は妬みとか高慢さから出るもので、そのような肝心なことには陰口程度や柔らかめな批判しかありません。

 

要するに責任のない・自分勝手なことしか言えない人が批判するのです。

 

まとめ

 

すこし辛口な説明になりましたが、ここまでお読みいただきまして感謝です。

 

いまの世の中が、はっきりと表と裏に分かれてきた感じがします。見守る人と非難する人みたいにですね。少しづつでも良い世の中になることを願います。

 

1人でも多くの人がマイナス言葉を使わずに、プラスの反射を受けて生活できますように。

 

 

では、この辺で終わります。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

批判というのは、羨ましいなどからくる妬み嫉妬などの感情や高慢さからくることが多いために、このように自分の波長を下げて、運気の良い流れを逃してしまう原因を作ってしまうことから、自分をダメにしていくわけです。