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震災の教訓で防災意識だけではない大切なこと

 

先日、阪神淡路大震災も24年を迎えて、時が経つのは早いものだと思います。あるニュースで慰霊式典も風化してきていると伝えていたのですが、それにコメントされている人の意見も様々だなぁって少し読んでいたのですね。人それぞれ考え方が違って当たり前なので何とも思わないのですが、震災の教訓より大切なことがあるんですよね。

 

 

 

そもそも、これを書かせて頂こうと思ったのは「慰霊式典が風化して何が悪いの?」ってコメントがなぜか頭に残って少し考えさせられることになったので書いたのですけどね。

 

風化するのは時代の常ですから、これも仕方ないとは思います。

 

たしかに震災で亡くなった人たちが被災した場所に地縛霊のようになって成仏していなければ話は別ですが、おおかたの死者は成仏なさられているので慰霊という意味で故人を想うことは故人も喜ぶのでしてあげるべきだと思います。

 

故人の中には身寄りがなかったり親族と疎遠など孤独の人もいるので、慰霊式典で供養するというのは素晴らしいことです。

 

で、慰霊式典のニュースのコメントで気付かされたとても大事なことなんですけど‥。

 

たしかに震災=明日は我が身というのは日本全国の皆さんも浮かぶと思うので防災意識を持たねばと防災グッズを確認したりな感じでしょうか。

 

防災意識より大切なことって私たち人間の意識なんですよね。絶対起こっては欲しくない震災や自然災害ですけど被災なさられて命を救われた人たちは、とても辛くて悲しい思いをしますが、ドン底の窮地だからこそ人間の本来の姿を見ることになるんです。

 

それは人の温かさや優しさ、隣人(身近な他人)への思いやりなどに触れ、私たちが忘れかけていたことを見ることになるのではないのでしょうか。

 

世の中には人間らしいというか日本人らしい素晴らしい人もたくさんいてますが、その反面で社会の流れによって、希薄な思考になってしまっている人が増えているように思います。

 

いろんな人がいて当然ですし批判するつもりもありませんが、いまの社会の成長や改革が自然にそうなっていったのだから仕方ないと感じます。

 

これだけでは個人的な感想みたいな感じで終わってしまうのですが、実はこの自然災害と人間との密接な関係があることについて説明します。

 

自然災害というと世の中では科学者や専門家などが周期的な予想などをされていますが、実は神の摂理の中に組み込まれているものなんです。自然の周期というのはすべてが宇宙の星や太陽のように寸分の狂いもなく動いており、自然破壊など人的な異常をきたすことはあってもそれは人間が手を加えたに過ぎません。

 

人類が太古のむかし野蛮人のような人種だったように、人間の成長には科学の発展以前に自然災害というものが付いて回ります。いわば成長に欠かせない神の摂理の一部ともいうのでしょうか。

 

それゆえに今の日本人が失くしかけている、人としてあるべき本来の姿を取り戻すために自然災害が次から次へと起きているように思います。

 

それが関西東北九州北海道と順番に大きな地震が起き甚大な被害をもたらしているにも関わらず、人の心は変わらず気付きません。

 

それにもまして国は足元をあまり見ずに経済などの成長にチカラを入れ、民間人といえば隣人(近くの他人)に手を差し伸べるどころか批判しかしない世の中になってきているように個人的には感じます。

 

日本人は本来、心の温かい人種で助け合いや人の役に立つという意識も強かったように思います。

 

これでは日本の中心部に自然災害が起きて当然のように思いますって話でした。

 

日々防災意識をもって生きるように心がけて下さいね。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>