スピリチュアルというと変なイメージをもつ人がいたりしますが、実際にスピリチュアルを信じることで救われるものか否かを説明していきたいと思います。
はじめに
スピリチュアルとは、見えない世界のことや精神世界のことを言いますが、こうしたものを信じて本当に救われるものだろうか?
最近のスピリチュアルの傾向を見ますと、どちらかというと新興宗教の教祖(ブロガー)と信者(読者)のようなイメージを受けるものまであります。
そうした様々なスピリチュアルを信じて、本当に救われるのかを説明していきます。
スピリチュアルの良し悪し
いまの社会の現実から隔絶した、自分の足元を見ないスピリチュアルな浮かれ話を信じて救われるかといえば気休めでしかないでしょう。
神仏云々や歴史上の存在との話を、漫画のように捉えて娯楽として楽しむのは良いと思いますが、それを真に受けて真似したり陶酔するのは本末転倒かと感じます。
いま知るべきはワクチンのことや国政に対すること、真実を見極める目を養ったり共助など我々一人ひとりが他力本願に頼らず意識を変えることです。
一人の力では敵わない、道を阻む巨大な石を取り除くには大勢のチカラが必要なように、如何に助け合いが大切なものかを振り返ることも大切なことです。
燃え盛る木を素手で触ればヤケドを負い、その傷や痛みがなくなるまでに時間がかかるように、行ないには必ず結果が付きまとうことも広義の学びです。
不思議とスピリチュアルというのは、その人のレベル(成長)に応じた情報しか入りづらく、神仏や高次元絡みのものがある反面に邪霊や魔が絡んだ情報というものがあります。
前者は結果的に悩みや苦しみといったものから救われる方向にあり、後者は一時的に良くなることはあっても根本は変わることはありません。
常々思いますが、スピリチュアルに溢れる情報の多くが神仏などを前出しした、如何にも正しいと信じ込ませるものばかり。。。
もちろん承認欲求や利己的な欲を満たすのは、もっと平和な時代であれば良いのでしょうが。。
その様なことを発信している人たち全ての内容がよくないと言っているのではなく、本当に救いになるのかということをお伝えしています。
見えない世界のことを興味深く知ることも理解できますが、私たちに大切なことは精神の向上や哲学では説明がつかない領域を知ることで、真に救われる糸口を見つけるものだったりするのです。
スピリチュアルを知る方が救われる
スピリチュアルを知った方が救われるといったことは正しい見解です。
なぜならば、この世には科学では証明できない未知なるものがたくさんあるからです。
その一つにスピリチュアルがあり、それらを人生の道標として活用することで、たとえ遠回りをしても希望や目的をもって生きていくことが出来る様になるものです。
よく成功者や人格者のスピリチュアルの捉え方は、神仏にお参りしても『感謝だけを伝える』と言われるように視点が違ったりします。
スピリチュアルも捉え方ひとつで、良いものにもなり無駄なものとなります。
霊能者がパワーがあると言っている像や場所でも、人によっては合わないことがある様に万人に適することばかりとは限らないのです。
特にステータスやメディアなどを前出しして人々を信用させる手法は、スピリチュアルなことを伝えるのに必要なものかと疑問にさえ思います。
見えないチカラを味方につけることも大切ですが、それは超越した存在を望むよりも身近な存在(先祖や背後霊)を信じることからだったりします。
人間は直感を信じることも大切で、時に先祖や背後の存在などが直感に働きかけてくれることも救いになっていくのです。
もちろん、神仏や高次元の存在と何らか御縁がありますと、利他が関係する物事について言葉が降りてきたり直感に働きかけてくれます。
前述してしまいましたが、生きるうえでの悩みや苦しみを軽減したり解放してくれる大切な教えを学ぶことだったりします。
さいごに
今回は、スピリチュアルを信じることで救われるか否かについて触れてみました。
少しでも、何らかの参考になれば幸いです。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。m(_ _)m