コロナウイルスで四十九日法要や年忌法要(一周忌・三回忌など)の法事やお墓参りに行けなくなった人も多いと思いますが、仏教的慣習にあらず現実的な供養としては問題のないものです。大切な故人の命日の供養を儀式として法事を行なうことができない場合やお墓参りに行けないといったときの問題のない理由やどうすべきかなどを説明していきます。
忌日や年忌法要などの慣習は形式だけのもの
忌日(初七日・四十九日・百か日)や一周忌、三回忌などの年忌法要などの慣習は、仏教のなかでも葬式仏教の慣習が根付いたものでしかありません。
葬式仏教とは...葬式の時にしか必要とされない形骸化した日本の仏教のことを比喩したものです。
仏教では仏陀(お釈迦様)の教えを本来は生きた人間に対して行なうものであるが、現在は多くの寺院が死者を対象(中心)にした仏教になってしまっています。
なぜ死者を中心にした教えになるかといいますと、生存している人間よりも亡くなった人を対象にする方が、お布施といわれるような収入が安定し儲かるために寺院を存続しやすいといったことが考えられます。
しかし現実は宗教法人は非課税であり、お布施の額も依頼される側の任意の金額というよりも宗派によって相場というものがあったり、檀家や菩提寺といった制度(多くは寺に貢献する=支払った金額という認識)で金額が決まっていたりというのが現状で、僧侶でありなが形式だけの仏様に仕える職業坊主といった考え方の方がしっくりといくものになっています。
歴史的な部分でも、この法事や法要というものが一般の人に広まったのは江戸時代ごろからのものなので、それまでこのような慣習は一般の人々には広まっていませんでした。
それなのに法事や法要をしっかりとしないと成仏できないとか死後の世界で平穏に過ごすことが出来ないということは、上記の理由からも一目瞭然にわかるものです。
そもそも生きた人間がお坊様に頼んで法事をして、亡くなった人が良くなるように仏様に配慮してもらうという他力本願的な考えは通ずるはずのないものです。
そのほかにも世界の3大宗教といわれるキリスト教・イスラム教・仏教やヒンドゥー教(例外はあれど基本的にお墓もない)でも日本の仏教だけが法事という儀式を重要視していることがみてとれると思います。
このようなことから、法事というものが形式だけのものであるのです。
お墓参りは先祖や故人との面会の場であるが・・・
当ブログでは、お墓や位牌などについて書かせて頂いていますので、ご存じの人も多いと思いますが改めて説明しますと、お墓というものは亡くなられた人が眠る場所ではないので、そこに棲みついているという考えは大間違いです。
つまり、お墓といいますのは亡くなられた人の亡骸を安置している場所に過ぎません。
もしも、お墓に先祖や故人の霊が棲みついていると、それは気持ち悪い場所になり霊感のある人はお墓参りを躊躇したり、霊に憑りつかれやすい人はお墓参りに行くたびに霊に憑依されてしまうといったことになります。
お墓に安置されている故人の亡くなり方も様々なので、死後も未練や執着を持ったものも普通に存在するために、お墓に霊が棲みついているとあらゆる心霊スポットより恐怖の場所にもなりかねません。
少し話が逸れてしまいましたが、お墓参りしようとするときに故人に思念が飛ぶために故人の霊がお墓来てくれるといったことになります。
このようなことから忌日や年忌法要の流れや帰省に必ずお墓に行かれなくても、故人はその事情や背景は察してくれるので大丈夫なわけです。
コロナ禍で法事ができなければ延期や中止すべき
日本の仏教(主に葬式仏教)の慣習になっている法事ですが、これは供養の一部であっても成仏や死後の世界での安寧に大きく影響するものではありません。
あくまでも故人の行方は亡くなった本人の問題であって、死んだら法事を執り行なうことによって仏様が特別扱いなどあるはずがないのです。それならば生きている人もお金をかければ救ってもらえるということにもならないのかと単純に思ってしまうわけです。
コロナ禍のなかで危険を冒してまで法事をされるのでしたら、日々『心の供養』をするほうが故人もコロナ禍で遺族のことを心配することなく供養の意味を成すものです。
日本の多くの人が生死の境の誤解をもっているようですが、人は死んでも肉体がなくなるだけで性格も感情や感覚も生きている人と何ら違いはありません。ここでは死後の詳細については割愛させていただきます。
そのような故人に対して儀式を重んじるのでしたら、生きていた時の延長という捉え方をして故人を想うとか偲ぶほうが随分と喜んでいただけるというものです。
このようなことから法事というものも、コロナ禍などの状況に応じて中止や延期を臨機応変に対応されて問題ありません。
さいごに
法事やお墓参りにつきましては、日本の宗教的な儀式だけであって意味合いとしては故人を忘れないようにする程度の儀式です。
どうしても歳月が経つことによって、日々ご先祖様や故人のこと思い出すことが薄れてきたりしやすい観点からしますと法事やお墓参りという慣習は良い部分もあるのですが、あくまでも方向性は間違えずにいたいものです。
結論、法事やお墓参りというものをきっちりしないといけない根拠はなくて、世界の他宗教からもわかるように日本の仏教だけが特殊であり、宗教上においての死後の考え方がちがう程度のものということです。
今回書きましたことは、以前に書いたブログの記事と同じようになりましたが、コロナで法事などが出来ない人と困っている人にも読んでいただけたらと思い記事にしました。
では、この辺で終わります。。。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>