昨今、話題に上がっている宗教団体の横暴は目に余る行為であり、平和や文化を破壊せしめんとする悪行は到底仏道に非ず、単にカルト宗教と呼ぶに相応しい魔の巣食う団体である。
はじめに
当記事は、宗教団体に属している会員全体を指しているのではなく、団体を代表するものたちの行ないを指しています。
宗教団体の名前や勢力を使って悪行を行なうことは、仏道を逸した所業であり、それらに関与する宗教に仏の存在は空となる。
こうした団体に属して宗教を信心することは、良い教えは体得できても仏の道は閉ざされている状態にあることを理解されたし。
悪行を為せば仏との道は閉ざされる
宗教団体もしくは教団の顔となる人間が、人の道に外れる行ないを繰り返した場合、仏は繋がった道を閉ざすこととなる。
いくら心ある信者が信心を繰り返しても、仏を介した信仰は無意味なものとなります。
もちろんスローガン的?な教えは体得できますから、良人として他からの恩恵を受けることが出来ることは間違いありません。
これは宗教団体だけに限らず、お寺にも該当するもので、良くない行ないを繰り返すことで仏の道は断たれます。
もちろん人間である以上過ちは付きものですが、それを行なってしまったことよりも、むしろ悔い改めることがなければいけないのです。
信心や信仰よりも大切なものは利他の精神なり
仏道とは、仏法に基づいた生き方であり、釈迦の教えが原点です。
仏の教えを守り、様々な煩悩から解放され、安らかな心を得ること。
利己的な心を捨て、他者の幸せを願う心をもって行動することこそ仏教である。
信心や信仰は、利他の心をもって行なわないと、遠い道のりとなる。
仏教ではなく個人や魔の崇拝
如何なる仏教も歪められるものではなく、私利私欲を行なうものは排除しないといけない。
宗教団体に属し、その教団が悪行と思われる行為を黙認し続ければ、それは徒属(とぞく)と見なし同類のものとする。
つまり、その宗教団体に仏は存在せず、教祖という個人を崇拝、または仏から摺り替わった魔を信仰していることになる。
教団には教祖が存在するが、長年悪事を繰り返してきた団体であれば、教祖は仏界に通じず普通の人間の枠を脱することはない。
人々の幸せを奪う宗教団体はカルト宗教という
カルト宗教とは、反社会的な行為や人権侵害を繰り返す団体のことをいいます。
間接的でも直接的にでも、人々の幸せや平和を脅かしたり奪ったり、宗教団体の影響力を使って行使する。
教団の利益のために、人々(国民)を不安に陥れる行ないや提案を通そうとするもの。
さいごに
巨大化した宗教団体の信者には、良い人が多いと感じますので、いまいちど方向を見つめ直して頂きたく思います。
信仰心は尊いものなので、教団が暴走するならば脱退して、個人で巡り合った仏に信心なさられるほうが今後に活きるというものです。
無礼とも取れる表現と感じられる部分がありましたら、ここにお詫び申し上げます。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>