魂のレベルが未熟な人は、この地上においても比較的生まれ変わりが少なかったり成長が遅いといった特徴をもっていますが、当の本人はそれに気付くことなく正常だと思っているのが一般的です。
はじめに
この世には、魂の成長の度合いが異なった人が混ざり合って生活をしています。
そうしたことから、考え方や価値観が合わない人が当然に出てくるわけです。
でも、このようなことを知らなければ、魂のレベルが人間関係に影響していると考えにくいもので悩みも絶えなくなります。
「類は友を呼ぶ」通り、基本的に魂のレベルが合うもの同士が引き合います。
魂が未熟な人の特徴
魂が未熟というのは、地上(人間の世界)での生まれ変わりが少ないか、生まれ変わってきても魂の成長が遅いことをいいます。
大変なのは後者で、魂は未熟なのに因縁因果を背負っている人です。
それでは、魂が未熟な人の特徴をあげていきます。
苦労の少ない人生を歩んでいる人
誰でも、何もわからなければ、地上で苦労のない生活を好むものです。
しかし、自己の望みとは裏腹に、生きていると色々なことがあります。
未熟であればあるほど、さほど因縁因果を生んできていない証でもあるので、苦労が少ない境涯を過ごすことになります。
一つの人生を過ごすということは、様々な業(カルマ)を作るものですから、苦労が少ない人生というのは魂の未熟さがわかる訳です。
生まれ変わりが多い魂ほど、辛苦や悩みの少ない人生が生まれて来たことに意味のないものになるかを魂は知っているものです。
荒波を乗り越えて、自分の腕に磨きをかけようといったイメージです。
感謝の度合いが低い人
魂が成長している人ほど、この世のすべてが当たり前でないことを魂が悟っているため、感謝の度合いが低い人ほど魂が未熟であると言えるのです。
感謝の度合いとは、感謝は伝えれば済む(終わった)ものでもなければ、覚えていればいいというものでもありません。
人が施してくれる労力や時間も、自分に費やしてくれたプロセスも、かけがえのないものと判断できない人は魂が未熟といえます。
このようなことは、人だけでなく自分を取り巻く自然や物事に感謝する気持ちをもてる魂になることが理想です。
感謝がもたらす効果は相手に対してだけでなく、自己の魂の向上進化に欠かせないものであるという点があります。
つまり、対人だけでなく様々なことに感謝できるからこそ、辛苦や苦難を乗り越えていける礎(土台)にもなっていくのです。
自己中心的な人
自己中心的な人というのは、自分のことが中心(一番)で他人のことを考える(気遣う)ことが出来ない人のことをいいます。
不思議なもので魂が成長していくと、利己(自分の利益)よりも利他(他人の利益)を考えれるようになるといったことがあります。
自分の欲望を一番に考えるか、人の役に立とうと考えるかの違いのようなもので、生まれて来た経験と目的の明確さを物語っています。
さいごに
人は十人十色で、各々な考え方や価値観をもっているので、魂の成長の差が違い過ぎると相手に伝わる感覚も違って然りということです。
同じ人間の姿をしていても、魂に刻まれた年輪には違いがあります。
魂が未熟な人に理解してもらうことは、至難の業なこともあるとも感じます。
それでは、このへんで終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>