運命は生まれる前から決まっていて、その流れに任せていれば幸福も不幸も何も変わらないまま人生の終わりまで進むことになりますが、運命が変えられることや運命を変えるためにどうすべきか説明させていただきます。
はじめに
スピリチュアルな世界では、運命は変えられないという説も多い様に感じますが、他者のものを読まないので詳しくわかりませんが運命は変えることが出来ます。
例えるなら人生の終着点が宿命ならば、運命は予め敷かれた道みたいなものになります。
例えなので適切かどうかはわかりませんが、運命は何となく道のような川のようなものです。
しかし、この運命的なものは解釈によって受取り方が違うかもしれませんが、運命は間違いなく変えられるものということが伝われば幸いに思います。
本当に運命は変えれるの?
先ほども少し触れましたが、運命というのは道のような川のようなもので必ず人生の途中に分岐点(転機)なるものがあります。
転機⇒他の状態に転じるきっかけ
歴史的にわかりやすいもので例えますと、百姓一揆でしょうか。。。
重い年貢の取り立てを黙って納め続けたら、食べるものがなくなって生きていけないといった苦渋の決断が全国の農民が立ち上がらせ多くの人の運命を変えたようなものです。
※年貢とは⇒おもに米や農作物(現代でいう税金と同じもの)
もちろん最初は嘆願していたが一切聞き届けてもらえず、命を懸けて闘った(暴動を起こした)ことが功を奏しましたよね。
嘆願とは⇒事情を詳しく述べて熱心に頼むこと
しかし、もし領主や代官の言われるがままにしていたら、ずっと日の目を見ることなく子孫も死ぬまで貧しい生活を強いられていたことでしょう。
もちろん、背に腹は代えられない状況であったことも確かですが、一揆もせずに黙っていることも出来たわけです。
「そんなん歴史であってウチには結びつかんわ」「それと運命と何が関係あんの」という思考の人もいるかもしれませんが、『望まない生活や環境⇒決断の時が訪れる⇒決行する⇒運命が変わる』といった流れです。
※決行する⇒思い切って実行すること
百姓一揆にみるように分岐点に差し掛かったときに文句だけ言って流れに任せていたならば、おそらく苦しい運命のまま宿命を迎えていたことでしょう。
次の事例は比較的身近なことで例えてみます。。。
ある人は、ガンになり余命3か月と宣告されました。
一般的には、少しでも長生きしたいと抗がん剤を打ちます。
しかし、ある人は命のある間に『やり残したことをしよう』『自分らしく好きなように生きよう』と、体力を奪う抗がん剤治療を受けずに開き直ります。
このときに、生きる大切さや命の重みを身に染みて感じるのです。
そして、これまでの自分にはなかった「人生の向き合い方」や「自分を解放した生き方」などが始まっていきます。
すると、なかには余命宣告されるほどガンに侵されていたのにガンが消えたという話が現実に何件もあります。
これって、何が変わったと思いますか?
そう。。。いままで運命通りに生きてきた自分が初めて、本来の自分を取り戻したことによって運命の転機が訪れたのです。
これは抗がん剤がダメなものといっているのではなく、心の持ち方で身体の状態まで変わっていくことがあるという例えです。
もちろん、死と向き合うことで命の儚さや生きる大切さに気付くことになります。
なかなか、何かのキッカケがないと運命を変えるような気付きには及びませんが、双方とも自分を180度変えていることがみてとれると思います。
例えが抽象的かもしれませんが、このように運命は変えていけるのです。
運命を変えるために
運命を変えるための何かヒントになればと書かせていただきます。
〇本当の自分はどんな人間か気付くことで、それを改め自分が変わることによって周りの人や環境が少しずつでも変わってきます。
〇生きる大切さや命の儚さを知り、自分の命の期限(寿命)が明日に訪れるかもしれないという観念をもち、今日を無駄に生きてもよいか判断する。
〇自分の本当に大切なものは何かを考え、本望を模索する。
〇いま置かれている状況が適切かを図り、どうすべきか答えが出れば行動に移す。
〇自分に気付きが欲しければ、神仏参拝を重ね気付きや導きを授かる。
〇不要な考えやモノを捨て去り、シンプルに生きてみる。
〇過去を振り返り、自分の行動パターンを変えてみる。
など、でしょうか。。。
さいごに
運命は転機によって気付くことが多いものですが、道や川のようなものですので新しい道を築いたり流れを変えるといったことで運命も変えていけるものです。
運命は、何も気付かなければ運命通りの人生が待ち受けていますので、どう判断するか各々で考えてみて下さいね。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>