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誹謗中傷はネットであれ因果応報の原因を作ることになる

ネットでは顔が見えないから匿名や捨てアドで簡単に攻撃できるからといって安易に誹謗中傷をしている人を多く見かけますが、犯罪にならなければ何をしても大丈夫なわけはありません。犯罪は人間が作ったものであるだけで因果応報とは別物であることを知らない人が多すぎますので、誹謗中傷と因果応報について説明していきます。

 

誹謗中傷の意味

 

誹謗中傷の意味をネットで調べますと、他人を激しく罵ること、単に他人へ対する悪口を指す言葉ではなくその人の名誉を棄損するようなことをいう人。根拠のない悪評を流す行為などをなどを指し、インターネットの掲示板やSNSなどにおいて、他人の地位を貶める(おとしめる)ような嘘を書き込んだりする行為を表現する際などに用いる。

このように書いていましたが、「死ね」「消えろ」「殺す」などに関連する言葉を簡単に使うほど愚かで醜い書き込みも上記と同様以上です。

いまの時代はインターネット環境が整備されているので、犯罪にならなければ顔が見えなければ何をしても発信してもいいように誤解されていますが、攻撃された人は傷付き場合によっては自殺してしまったり精神を病んでしまうことになるのです。

たった一度だからいいものでもありません。

これはインターネットに限らず会社や学校などでの対人も同じで、誹謗中傷すること自体が異常で恥ずべき行為と自分を戒めないといけないことです。

単に誹謗中傷と思われますが、目に見える暴力や痴漢のように直接身体に攻撃していないだけで、やっていることは何ら変わるものではありません。

いくら正義ぶって攻撃しようが、普段家庭や周りの人間を大切にしていても犯罪同様に一度の過ちが人生を狂わすのと同じように霊的には逃れることは決してありません。

スピリチュアルからみましても、もともと人間というのは霊が主体であり肉体は一時期の借り物なので精神のキズは消えることはないということです。

 

誹謗中傷をすると因果応報はどのようなもの

 

まず因果応報という意味から説明しますと、原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとする。 善因善果,悪因悪果,三世因果(過去・現在・未来の因果などと仏教で表現されるものです。(コトバンク引用)

よくあるのが悪いことをしている人が何も起こらずに普通に生活していたりしますが、これは遅かれ早かれ逃れることはできずに起こるものということです。

現世が大丈夫なら自分は関係ないと思うでしょうが、私たちの魂は消えることはなく霊の世界や来世は攻撃して苦しめた人以上の苦しみの因果を背負うことになります。

 

ではこの因果応報というと同じ種類のものが返ってくると思いがちですが、決してそのようなものではなくケースによっては大切にしている子供にふりかかり、その苦しんでいる姿を見たり知って自分が受ける以上に苦しむといったこともあり得るのです。

大体は自分の人生のなかで起こったり来世ということになりますが、今世で起こらなければ霊の世界でまず苦しみ悔い改めることになります。それから来世に同じ程度の苦しみを受けるように望んで再生するといった形になります。

何回も言いますが決して同じ種類の因果応報を受けるとはかぎりません。

現世ですと割とあるのが悪事を働いた人が半身不随になって不自由な生活を送ることになったり、糖尿病などで手指や足を切断して余生を過ごすようなことで誹謗中傷も酷い場合は例外ではありません。

霊的真理は公平で絶対逃れることはないということは覚えていた方が良さそうです。

誹謗中傷というのは発信している自分には大したことないと思えることでも、人によってはとても傷つき致命傷になることもあるのです。いつまでも自分の尺度でしか物事を見れない幼稚さは卒業するべきです。

各々が別でも集団で攻撃するといったケースでは集団リンチに似たものと思うのがいいでしょう。個々の攻撃は大したことがなくてもダメージは大きくなるもので犯罪と同じように、やってしまった以上は許されるわけはありませんので因果応報はきっちり返ってきます。

 

では次の項では、これは因果応報に限った話ではなく最悪は因縁も発生させることにもなりかねないものであるということも理解されたほうが良いようです。

 

誹謗中傷による因縁とは

 

安易に攻撃していることでも、攻撃している相手が何も思わないわけはないのです。

この因縁は因果応報とちがって恨みを買うということです。

インターネットだから顔も居場所も何も分かることがないと思っているでしょうが、霊的な因縁というものはいくら離れた場所であっても居場所や名前が分からなくても特定は容易い(たやすい)のです。

分かりやすくいえば霊視できる霊能者が依頼者の家の中が見えたりするように、霊にはもう少し鮮明であるということです。

忘れたころに体調不良や流れが悪くなったりしたときは要注意かもしれません。一概にいえませんが因縁というものは目に見えないものであるために判断がつきにくいものです。

この因縁ですが攻撃した相手から受けるとは限らないということです。

人は孤独であっても必ず血縁関係のある先祖がいるわけで自分の身内が攻撃されて苦しんで死を選んでしまったら、先祖霊とて穏やかなものばかりではないということです。

もし自分の家族や大切な人が他人に危害を加えられて黙っていれるでしょうか?

これと同じことが起きるわけで霊の世界は思念が強いので、なおさら注意すべきことです。

 

誹謗中傷の勘違い

 

おそらく誹謗中傷などで他人を攻撃する人って自分は間違っていない、正しいからとか正義な気持ちで攻撃している人が多いと感じます。

なかには趣味的にあたり構わず攻撃しまくる人もいるでしょうが、こんなものは犯罪者か精神異常者と程度は変わらないので勘違いどころではなくただの狂気状態ですから、来世は生まれながらにして精神異常者で生まれ変わるものと思われます。

話を戻しまして、正論と思えることであっても正義でも善人でもなく他人を攻撃するという行為自体が心が貧しいことでしかありませんし、多くの人が攻撃対象の人の内情や見えない事実を詳しく知らないなかで攻撃している状態です。

ものには加減というのがありまして、いってはいけない言葉をオブラートに包んだり理解を求めるやり方というのが人とのコミュニケーションなのです。

見ず知らずの人を自分の尺度で心傷める言動は控えるべきか静観するべきです。

静観できないのは幼稚なのか我慢が足らないということです。

私はいつも不思議に思うのが政府や政治家などの権力者には弱者と同じように誹謗中傷したり反発を露わにしないことです。そんなに誹謗中傷して攻撃したいのなら強弱の区別なくやるべきです。

もし正義感でやるなら国民や人の役に立つためにやればいいのです。

個人攻撃は正義感を被った自己満足を果たすための幼稚なものでしかありません。

 

さいごに

 

言論の自由ですので、なにもすべてを言っていけないといっているのではありませんが、人の心を傷める発言は自分もしくは家族に返ってくるということです。

とくにインターネットの記事やSNSの一部分しか見ていない人間に口が出せることはしれているのです。

たしかに理不尽なことや許されないこと、もしくは非道なことをしたのなら誹謗中傷も致し方ないとも思いますが、それでも少しでも心有るなら感情を抑えて書くか静観していたいものです。

本当に汚い言葉を使うということは自分の品格を下げるもので、たとえそれが他人の目に映らなくても日頃から心清浄にいたいものです。

 

ではこの辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

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