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虐待されて育つ|失うものが意外に大きいこと

これは私が生きてきて虐待で育ったときの淡い記憶を書いた実話です。私はこの親子関係によって、生きていく失うものが意外に大きいことに気付きました。なぜ、このようなものを書こうと決めたのかと申しますと、いま生きることが辛い人の参考になればと思ったからです。いままで誰にも語らなかった虐待されてきたことを、覚えている限りしか書けませんが、少しでも記していきたいと思います。

 

 

物心ついたときには義母が母親に

 

 

この部分は、あまりにも小さい時のことなので、成人してから親戚に聞いた話をもとに書いていきます。

 

私が生まれてすぐ両親は離婚したそうです。実の母親は私を引き取ることなく、父親に育てられることになります。

 

当然ですが、会社勤めしている父親が赤ん坊を育てることが出来るわけがありませんので、私は親戚夫婦の家に預けられることになっていくのです。

 

そこで父親が再婚するまでですから、少なくとも1~2年いや3年は親戚に育てて頂いたのだと思います。

 

私が物心ついたころには、いまの義母でしたから、やはり2~3歳ぐらいかと推測します。

 

このようにして、私自身はわからないまま義母に育てられることになっていきます。

 

 

長続きしなかった普通な生活

 

 

私が3歳のころに、義母が出産して腹違いの兄弟ができました。

 

最初のころは、普通に育ててもらったと思うのですが、父親は体育会系の厳しい気性で、わずか3歳の私に時計の時間を覚えさすために、ビンタを繰り返して襖まで飛んだりして、1日で時間がわかるようになったと言ってたぐらいでした。

 

この辺は、むかしによくある光景なのかとも思います。

 

しかし、この段階では既に褒められたことが一度もありませんでした。

 

この普通?な状態も長く持たず、私が小学校に入る頃には家庭環境は崩れだします。理由はひとつ父親の浮気が始まっていったことが原因でした。この父親ですが、浮気症だったようです。

 

このようにして義母の父親への怒りは、私に向けられてく形になっていきました。

 

 

虐待の日々がはじまる

 

私が5~6歳ごろになると、理由はいろいろだったと思うのですが、義母は何か気に入らないことがあると、私の髪を掴み引きずって足で数回から十数回は蹴るようになっていきました。

 

ここで泣けば、さらに逆上して手や足が飛んでくるので泣くことも許されませんでした。このおかげなのかどうか人前で泣くことと、他人が涙することが許せなくなりました。

 

そのうえ言い訳といいますか弁解といいますか、子供ながらに自分ではないといったことは聞き入れてもらえるどころか、そのようなことを言うと、また怒らせてしまいますので一度怒られてしまうと、黙って耐えることしかできませんでした。

 

このことも人に対してとか会社に対して、言い訳や弁解をしないことが最善なのだと勝手に思うことになっていきます。

 

幸いにも、食事や衣服や学校のことはしてくれていたので、いままで生きてこれたことには感謝しています。子供ながらに家庭というものはこんなものとしか思えなかったですし、自分の居場所なんてないものが普通と思っていました。

 

勉強を教えてくれたことも一度もなかったですし、分からないことを聞く雰囲気ではなかったので、小学校1年から常にテストの点は下から数えた方が早いレベルでした。勉強は分からないまま成長していきましたねw

 

こんな状態でしたので、学校であった出来事や友だちとのことなど、親に話した記憶が一度もありません。普段の日常会話といえば、義母から話してくることに答えるだけだったように思い出します。

 

とにかく怒られないようにすることだけにアンテナは張っていた感じです。

 

こんな風に育ってしまうと、自然と彼女ができたり親友ができても、自分のことを話すのが無意識的になくなっていくものですね。よく何考えてるか分からないと言われてきました。

 

ここで父親(実父)はどうだったのかの話しにいきますが、日頃から帰宅というと20時から22時ごろではなかったのかと思います。帰らない日もあって父親がいるのも最初のうちは日曜日だけでした。

 

しかし実父といえども子供に関心がないのか、距離感が大きく平日は話すこともなく、休みの日も何となく過ぎる方が多かったように思います。そんな父親も時間とともに家に帰って来なくなっていきました。高校生になる頃には、ほとんど失踪状態でした。

 

 

いま思い出せるきつかったこと

 

私への虐待は、生まれてから17年間のうちの約12年あまりですが、思い出せることは少なくて、そのなかでも小学生当時に子供ながらにキツイと思ったことを書いてみます。

 

〇学校から帰って来た時から調子が悪く、食事中に吐いてしまったことに激高され、吐いたものを掃除させられたこと

 

〇おねしょをしていた時期があり、学校に登校する前に布団を担いで行けと、何回も背中に布団を乗せられたこと

 

自分が入っていてトイレがつまってしまった時に、トイレを直せと言われ数十分トイレのつまりを直すことをさせられたこと

 

〇習いごと(スポーツ系)の大会や検定試験にも一度も見に来てくれたことはなく、ほかの友だちがうらやましかったこと

 

〇スポーツの大会で表彰されたものを持って帰っても無反応で、トロフィーや表彰状を自分の机に置いていたが、数日後トロフィーの置き場所が悪く破損してしまったら、捨てろと言われたこと

 

〇自分で買ってきた小動物(鳥系)は、一切面倒は見てくれず、それが死んだときに気持ち悪いから捨ててこいと言われたこと(埋めてあげろとは言わない)

 

いますぐ思い出せるのは、このような感じでしょうか‥。暴力的なことは日常茶飯事でしたので、そのあたりは書いていません。

 

 

虐待されて育って失くしていったもの

 

いまこうやって書いていますが、何点かは克服といいますか改善済みなものも多くあります。しかし根底にある自分が感じたものや劣るものを書いています。あくまで自分レベルでの記述ですので、ご理解ください。

 

◇自信と自己肯定

◇喜怒哀楽の喜と哀と楽

◇人にすがること、弱みを見せること

◇本当の優しさ

◇人の気持ちを察すること

◇自分を出すこと(素の自分でいいということ)

◇生きる楽しみ

◇思いやり

◇社会性

◇感謝すること

 

 

虐待で育って身に付いたモノ

 

いまは随分と変わりましたので、これは以前の私の姿です。いまもこのような人間とは思わないで下さいね。

 

▽自己否定

▽冷酷さ

▽礼儀正しさ

▽孤独への忍耐力

▽自分目線でしか人を見れない

▽涙への嫌悪感

▽非社会性

▽人への厳しさ

▽いつ死んでもいい感覚

▽近寄ってくる人の偽善が分からない

 

本当にこのような感じでしたので、昔のヤ〇ザに向いていたかもしれませんねw

 

 

どうして変わっていけたのか

 

これはひとえに、いろんな壁にぶち当たって逃げて乗り越えてきたからです。

 

決していますべてを克服しているものでもありませんし、正直生きずらい面もたくさんあります。しかし数々の失敗や苦い経験をしてきたからこそ、ここまで来れたのです。

 

あとはスピリチュアル系になりますが、先祖や守護霊さまや神仏との縁が、大きなきっかけになっていったことは間違いありません。

 

誰しも私と同じように、見えないし感じないかもしれない存在の先祖や守護霊さまですが、決して孤独ではないと思って欲しいところです。

 

少し長くなりますが、生きてきた経緯を混ぜながら書いていきますね。

 

私は17歳で家出をして(それまでにも何回かしてますが)親元を離れて年上の女性の家に転がり込んで同棲を始めていきました。その後も同棲は数人の女性としました。

 

それ以来、親の援助はなにひとつ受けていません。就職に必要な保証人は親の代筆と安い認印を使って就職をしたり、車のローンも同様にして支払いだけ滞らないようにしていました。

 

同棲を解消したときは、車で寝泊まりをしていたこともありました。警察に職質だけされないように気をつけて、なんとか仕事に行っていました。

 

実際自分がやってこれたのは、女性たちとの関係があったことが救いだったのかもしれませんが、人それぞれなので今なら海外に就労ビザで行っていただろうと思います。

 

あとは自分の将来やビジョンがまったくなく、いつ死んでも仕方ないと思っていたのが、ここまで逃げながら乗り越えながら生きてこれたと思っています。

 

幸い親も放置でしたから、失踪届も出すこともなかったのも助かったのかもしれないですね。しかし辛いこともたくさんありましたし、常にどん底で生きてきたと思います。

 

虐待されたり否定されたりして育つと、生きづらくなるのですが私のケースは、スピリチュアルな体験が過去にも現在にも、分からなくても守ってもらえていたことが結びついたことが大きな原因です。

 

ある犯罪心理の有名な先生に「あなた、よく親に殺されなかったね」って言われたり、仕事の過労で夜中に居眠り運転をして、歩道との縁石に乗り上げながら走行していて、ふと目がさめて前をみたら鉄の柵が目前でハンドルをきって助かったり、救われてきたんですよね。

 

それもギリギリで‥。

 

とはいえ、毎日が自問自答の日々だったりしますよ。いまだに仕事以外に自信はないですし、人に認めてもらえるなど思ったこともないです。

 

人にも騙されてきたり陥れられたりね。自分を出せないから理解もしてもらえないし、わがままも言えないですし…。挙句の果てには何考えてるか分からないになりますし…。

 

常に自己評価は最低で、他人の目は気になるし生きづらいですよ。ふと方向修正しようと努めますが、長続きせず気付けば元通りな毎日ですかね。

 

変われたのは、人に対する思いやりとかですかね。いまさらお金持ちにもなっても仕方ないと思っていますので、大金が入るなら人のために役立てたいとしか思いません。自分が生きてこれたのも色んな縁があったからこそで、自分と同じように苦しんでいる人の支えになれれば、本望と思えるようになりましたね。

 

スピリチュアルのおかげなのか、虐待で身に付いたのか分かりませんが、いつ死んでも怖くないので、毎日を後悔のないようにと思うだけです。人の役に立つための模索ばかりの毎日空回りな日々ですw

 

寂しい人と言われそうですが、もう人を信じることも殆どないので、自分が正しいと思ったことを神仏を信じてやるのみに自分は変わりました。ここに至るまでに自己啓発な本や哲学や霊の真理などの本は読んできた結果ですね。

 

人の本心が見れないですから、仕方ないですよね。そんなところに無駄な時間を使うなら、うわべの交際で良いとまで思います。すぐ人を信じるのは悪くないけど、騙されたり利用されるのは良くないですからね。

 

このような人間関係や、生きてきた苦い経験の数だけ変われたと思います。

 

だから苦しい辛い消えたいは、いま思えば自分が変わるのに必要だったなって感じです。もし順風満帆に生きてきたら、こんな感覚にはなっていなかったと、今はそう考えれます。

 

 

さいごに

 

ダラダラと書いてしまいましたが、これが私がスピリチュアルをしている理由です。

 

本当に子供は家庭環境に影響されることが大きいです。親も自分が育ってきた経験からしか子育てできない可能性があるので、やはり情報をいれて自分は正しいのかを模索する必要があります。

 

私のような人たちが社会に出て苦しまないように、苦しんでも救いの手を差し伸べれる人間になっていきたいと、1人でも多くの人がそう思える社会になって欲しいと思います。それには、私のように苦しんできた人でないと出来ないことが沢山あります。

 

人の傷みを理解しようとするならば、自分が経験していないと難しいと考えます。

 

このような自分の恥ずかしい過去から書いたものですが、ひとりでも救いになれたら幸いに思います。

 

では、この辺で終わります。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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