人に憑依した自殺霊との会話や関わってきた経緯から、自殺したら死後どうなるのかを実際の体験からお伝えします。自殺したあとの死後の姿は一般的にいわれているものが真実ではなく、引用されて多数出回っているのが事実としてあります。
自殺した死後の状況
当記事については、とある自殺した女性が霊となって話したことや、様子から得たものを書いています。
それでは今回の記事のモデルになった自殺霊の内容から紹介します。
《自殺霊の概略》
居住していた地域:大阪府郊外
性 別:女性
職 業:水商売
年 齢:20代
自殺した動機:異性問題
自殺方法:首つり自殺
この情報については、詳細を記載していましたが、故人の意思により簡素化しました。
では、自殺したら死後はどうなるのかという『事実』を書いていきます。
自殺しても消え去ることはない
多くの霊などと関わってきたことから、死後の世界は確実に存在し、魂は死後も変わらず生き続けると断言できます。
肉体がなくなるだけで、過去の記憶もあり性格も変わることはありません。
自殺霊が言うのは、「本当に死ねたかどうか、分からないような感覚」になり、最初のころは戸惑うようですが、そのあたりは時間とともに死を理解できるようになっていきます。
死後は苦しみ続けるのか?
ズバリ書きますが、「四六時中」苦しむわけではありません。
当時、自殺した女性の霊は、本当に自殺霊なのかと思えるぐらい普通な状態でした。
ただし、生前にあった死にたい原因が強くなって巡ってくるので、そのときは生前の比ではないほど苦しみ続けることになります。
まるで怨霊かと思えるぐらいの言動や様相になり、熱く苦しい感じのイメージが適切な表現でしょうか。。。
死ぬということは、記憶の上塗りができなくなるということと、24時間眠ることは無くなるので、どうしても生前の記憶を回想してしまうことが苦しくなる状況を作ります。
自殺しても、「動機(原因)になった気持ちは消えることなく、死後も自殺した苦しい動機が何倍にもなって襲ってくることが現実」としてあります。
この苦しかったことは、避けても避けても思い出すことになります。
死ぬということは、人間のように会話することも寝ることもなくなってしまいますので、誰かに聞いてもらったり何かで紛らわすことがなくなり、自分のなかに閉じ込めてしまうので切り替えができなくなります。
自殺しても成仏できるのか?
「成仏はできるが、自死は苦しみが先行するので、相当な時間がかかります。」
これは自然死のように、寿命まで生きてきたものとは大きな違いがあります。
このように不慮の事故や寿命まで生きたものは無念というものがありましても、そこまで大きな苦しみが襲ってくることはありません。
しかし自殺した霊というのは、前述の苦しさを自己で消化できずに死を選択しているとおり、そう易々と成仏もできなくなります。
自殺してしまうと、数百年成仏できないというものまでおります。
呪縛となった苦しみから脱しないと、成仏からは遠ざかってしまうことになります。
私が関わった自殺霊もそのようなときもありましたが、頑張ろうとすれば「苦しみ悶えていた」ことを数回見たことがありました。
自殺しても供養は伝わる
自殺したら多くのサイトなどで、地獄など隔離されるようなイメージですが、おそらく自殺抑止などの意味から、そのような表現なのかと当サイトでは解釈しています。
しかし、実際に自殺霊と関わってきた経緯から申しますと、お墓参りや供養といったことは全て届いています。
「家族が墓参りに来てくれた」とか、「彼が新しい彼女を連れてお墓参りに来てた」ということも話に出ていました
このあたりは、普通の供養してもらっている霊と何ら変わりありません。
自殺するとココが大きく違う
死後の世界は、思念(心に思うこと。思い考えること)が中心の世界です。
この思念というのが、普通に死んだ人と自殺した人との大きな違いになっていき、これが大きな原因となって死後に苦しむ結果になるのです。
思う念という「苦しい・悲しい・寂しい・怨み・妬み」などの感情が消えないまま、死後の世界へ行ってしまう形になります。
自殺しても解放されないのが事実
思念が中心の世界と書きましたが、自殺しようが寿命まで生きようが、人間という肉体がないだけで、他は何も変わらないのが事実です。
死んで原因(パワハラ・イジメ・借金・失恋・人間関係など)から解放されたと思っても、頭の中はリセットされずに継続していくわけです。
わかりやすくいうと、『目覚めることなく悪夢を見続ける感じ』と似ています。
さいごに
まだブログを始めたころに書いた記事で、説明がわかりにくいと思いますので、気付いたことがあれば、内容に手を加えていこうと思います。
私も一度だけ無意識に自殺を考えたことがありましたが、本当に死ぬ人は目の前が真っ暗になって、死ぬ以外のことはまったく頭になかった記憶があります。
ほんとうは、生を受けて今この世に生まれているだけで奇跡であり幸せなので、肉体を持てる期間は魂(霊)の存在からすれば、とても短く僅かな期間です。
嫌でも惜しんでも、明日や未来に生きているとも限らないのですから。。。
ではこの辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>
りり 様
こんばんは。
自殺しても月日が経てば四六時中苦しんでいることはありませんが、突如として襲ってくる苦しみが人間でいうところの人格が変わるほどの憎しみや恨み・悲しみなどに変わってしまい耐え難いものと感じます。死後この世を彷徨いますが、生きている人間が見る景色というよりも幻想を見ているなかでの存在の照射みたいな感じです。それは死ぬと肉体がないので、人間のような眼で見る視覚とは異なり痛感自体は基本的になくなり痛みは感じません。
また質問失礼します。
自殺したら苦しみながらこの世を彷徨うという感じですか?
生きている人間やこの世の景色を見ることもできるのですか?
肉体がないから痛感とかはないですよね?
りり 様
そのようなことは一切ありません。
先祖の霊は基本的に死後の世界を知っているために、子孫が生きることを望みサポートします。
しかし例外的に、行ないの酷い子孫の場合は助けたくとも助けることが出来ません。
お応えありがとうございます。
守護霊がいるとしたら、
先祖の霊が、「この人この世で生きるの苦しすぎて限界そうだな」と逆にお迎えに来てあの世に連れて行ってくれることはないのでしょうか?
りり 様
>>自殺が成功するか失敗するかは宿命のようなもので決まっていますか?
➡いいえ。宿命で全く決まっていません
どちらかというと、運命的なものに関連付けられており回避するか乗り越える手立てを打たないといけないものですが、失敗のなかには背後(先祖など)のものが阻止してくれることも多々あり失敗に終わります。
りり 様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
早速ですが、ご質問にお答えさせていただきます。
ケースが様々なので、詳しく説明となると長くなりますので簡単な説明に留めさせていただきます。
>>自殺をした場合と、死にたい死にたいと苦しみながら寿命で死んだ場合とでは思念は同じにならないのですか?
➡自殺をするということは、苦しみや悲しみなどに堪えかねて自らで命を絶ち寿命という道半ばですから、生前の極限の状態を引き継ぎます。
しかし、死にたい死にたいといって寿命まで生きる人は多くいますが、辛苦に堪えれるだけの精神であったり精神の極限まで追い詰められていない状況なのです。つまり、この思念の違いには大きく差があり、死後に彷徨うことがあっても自殺までしなかった心の状態は自分を取り戻すことができるという大きな違いがあります。
>>例えば人を恨みながら寿命を全うした場合も、自殺したような感じにならないですか?
➡人を恨みながら死ぬとは、怨念霊のほうなので自殺とは見解が少し違います。
つまり、死とは生前の状態を引き継ぐものであって、恨みの念は対象者を恨むことから辛苦に堪えかねてと異なります。
自殺が成功するか失敗するかは宿命のようなもので決まっていますか?
はじめまして。
自殺をした場合と、死にたい死にたいと苦しみながら寿命で死んだ場合とでは
思念は同じにならないのですか?
例えば人を恨みながら寿命を全うした場合も、自殺したような感じにならないですか?
ごろう 様
こんばんは。
ごろう様はじめまして。
早速ですが、ご質問などにお答えさせていただきます。
少し厳しいお答えになることお許しください。
>>後追い自決の場合も成仏には寿命の数倍、数十倍の時間が掛かるのでしょうか?また、会いたかった人には会いに行けるのでしょうか?
➡当然に成仏には相応の時間がかかります。(辛苦や彼女を失くした衝撃が回想するので癒えるまでといった感じです)
会いたかった人との波長が合わないので会うことは叶い難いです。
>>失礼ながら、他の方のコメント回答も拝見させて頂きました。
➡ご覧くださって大丈夫です。ありがとうございます。
>>供養する為に、地蔵菩薩様や千手観音様のいらっしゃるお寺へ定期的に参拝すれば、少しでも2人の力になれますか?
➡そのお気持が彼ら二人の心を動かすことになるので、根気はいりますが多少チカラにはなれると思います。仏様は清浄な心と熱意を無駄にはなさられません。
>>こんな場合は私に出来る事は何でしょうか?
➡いつまでも忘れずに心を手向けることが最善であり、ごろう様自身が如何なる苦難にも負けずに乗り越えていく姿を二人に見せていくことです。もし生きている友人が苦しみの淵に立たされていた時にどうすればよいかと同じようなものです。これらが相乗して、あいつが頑張ってるから自分も頑張ろうと思わせる(気付かせる)感じですか。。。
少しでも参考になれば幸いです。
イトケン様
こんばんは。初めまして。ごろうと申します。
先日、大切な友人が自決しました。おそらく恋人の後を追ったのかと思います。
今日、お葬式を終えて帰ってきたのですが、友人が無事に恋人を迎えに行けたのか、いつか2人で成仏して、また生まれ変われるのか心配でなりません。
後追い自決の場合も成仏には寿命の数倍、数十倍の時間が掛かるのでしょうか?
また、会いたかった人には会いに行けるのでしょうか?
失礼ながら、他の方のコメント回答も拝見させて頂きました。
供養する為に、地蔵菩薩様や千手観音様のいらっしゃるお寺へ定期的に参拝すれば、少しでも2人の力になれますか?
こんな場合は私に出来る事は何でしょうか?
質問ばかりで申し訳ございません、、。
お手隙の際にご返答下さりますと幸いです。
イトケン様
お忙しいところ早速お返事頂き本当にありがとうございます。
2人に思いの念が届いているとのこと、嬉しく思います。心が救われました。一日でも早く2人に穏やかな日々が訪れるよう、これからも思いを送り続けたいと思います。
日々辛くて投げ出してしまいたいと思ったり、また頑張ろうと思ってみたり、その繰り返しですが、乗り越えた先に光があると信じて、まだまだ未熟ものですがこれからも頑張ります。イトケン様のお言葉本当に心強いです。ありがとうございます。
イトケン様のブログで、私をはじめ、きっと多くの方の心が救われていると思います。これからも更新楽しみにしています。どうかお身体を大切になさって下さい。本当にありがとうございました。
かたつむり 様
はじめまして。コメントありがとうございます。
コメントの期間ですので迷惑なんてとんでもありません。
早速ですが、ご質問等にお答えさせていただきます。
>>2人にとって成仏のさまたげになってしまうとは思いながらも、亡くなる前にもっとこうしてあげれば良かった、とか、無性に会いたくなって悲しくなってしまいます。
➡️当然の想いですので、成仏の妨げにはなりませんのでご安心下さい。
>>苦しみから解放されて穏やかでいて欲しいと願っていますが、その思いは届いていますでしょうか?自死は成仏に時間がかかるとのことですが、2人はまだこちらにとどまっていますか?
➡️はい。かたつむり様の思いは届いています。
お父様はまだこの世にとどまれておられますが、かたつむり様のことを思っておられるようです。お兄様の方は彷徨っているのだろうと感じますが、はっきりしたことがわからない状況ですが思いの念は届いています。
>>生きていると楽しい事ばかりではなく、辛いことも沢山ありますが、それを乗り越えた先に自分の成長があると信じて、生きていければと思っています。
➡️仰られる通りです。楽しい時には気づくことさえ出来ないことが、辛いことや悲しみを乗り越えていくことによって様々な気付きになったり成長に繋がることは間違いのないものです。時に後退したり停滞することもあると思いますが、それも必要なことですので自分のペースで少しづつ乗り越えていければ良くて人生という長いようで短い期間を生き抜いてくださいね。この世を去った時に乗り越えてきて良かったと必ず思える時が来ます。
かたつむり様、勇気を出してお越しいただきましたこと、応援して下さっていることに感謝致します。
くれぐれも御身体を大切にお過ごしくださいね。
イトケン様
初めまして。いつもブログ拝見しています。
以前からコメントしようか悩んでいましたが、コメント返信終了と伺い、終了間近でご迷惑かとも思いましたが、勇気を出してコメントさせて頂きました。
数年前に兄を、今年5月に父を亡くしました。2人とも自死でした。
2人にとって成仏のさまたげになってしまうとは思いながらも、亡くなる前にもっとこうしてあげれば良かった、とか、無性に会いたくなって悲しくなってしまいます。4人家族のうち2人も自死で亡くしてしまい、心に穴が空いたように感じます。特に父は亡くなって日が浅いというのと、大好きだったのでどうして逝ってしまったのだろうとふと考えてしまいます。
苦しみから解放されて穏やかでいて欲しいと願っていますが、その思いは届いていますでしょうか?自死は成仏に時間がかかるとのことですが、2人はまだこちらにとどまっていますか?稚拙な質問で申し訳ありません。
私は体が丈夫でなく、日々辛いと感じていますが、どのように乗り越えようかと考えた時にスピリチュアルのブログを読むようになり、周りに感謝の気持ちを持てるようになったと思います。イトケン様のブログいつも参考にさせて頂いてます。いつもブログ発信ありがとうございます。生きていると楽しい事ばかりではなく、辛いことも沢山ありますが、それを乗り越えた先に自分の成長があると信じて、生きていければと思っています。
返信終了間近のため、お忙しいようでしたら返信無理なさらなくて結構です。
お身体には気をつけてお過ごしください。これからも影ながら応援しています。
イトケン様
早々のご返信、ありがとうございます。
返信したようでしたが、送信されていなかったようです^^;
早速、遺影の所にお水あげました。
魂はここにはないと思っていたので、故人を思うというよりは、自分の思いを納得させるために、「成仏できますように」と護摩木などを書いていました。
今まで育ててくれてありがとう、とか、みんな仲良く元気ですよとか、私は幸せだから心配しないでねとか、そういった事を投げかけてみようと思います。
イトケン様の記事を読み自殺がなぜ良くないのか、納得しました。
ありがとうございます。
杉香 様
はじめまして。
コメントありがとうございます。
早速ですが、ご質問にお答えさせていただきます。
>>自殺者の供養とは、具体的にどのような事をすればよいのでしょうか?
➡️ブログの記事でも書いていますが、自殺者の供養で一番大切なのは法事などの儀式的なものよりも『心の供養』です。
お母様に対して、どのような言葉をかけてあげれば喜んでもらえるか、少しでも心救われる言葉は何なのか、などを考えて声に出さずとも日々心で声をかけてあげてください。杉香様が自分なりに供養をしていることや何とか苦しんで欲しくないと願っていることは、お母様にとって救いであり本来の供養そのものでお母様には伝わっています。
死とは生の延長であって、亡くなった後も肉体がないだけで生前と変わらない状態を継続しているものなのです。なので自分自身が苦しいときに、心許せる人がどうしてくれたら少しでも救われるのか考えてみてください。お母様から学んだ救われた言葉や状況、嬉しかったことなどもお伝えすると良いです。
毎日の供養には最低限お水はお供えし、ご飯などの供物を供えてあげたり位牌がなければ紙の短冊に生前の名前〇〇〇〇之霊位と書いて倒れないように固定し祀れば大丈夫です。
お亡くなりになられて時間も経っていますので、お住まいのお近くで構いませんので地蔵菩薩様や千手観音様がおられるお寺に定期的にお参りに通われることもお導きをいただくためによいです。念のため、お母様はまだ成仏に至っていないですが貴女様のことは思っているようです。
また、わからないことがあればご連絡して下さい。
イトケン様
はじめまして。
母が11年前に自殺しました。実家は遠いため、納骨堂へのお参りはなかなかできませんが、私なりに、供養をしています。
供養するために護摩木などに書いたりしています。
自殺者の供養とは、具体的にどのような事をすればよいのでしょうか?
もう、苦しんで欲しくないので、どうしたら良いでしょうか?
宜しくお願い致します。
ミケ 様
吐き気や嘔吐が原因の病気で餓死した場合も自死にはなりません。
<参考として>過度のストレスや生きにくさを感じるような原因が拒食に関係があるのならば、そうした原因を和らげる意識の転換はしておいたほうが良さそうです。もうひとつは、生き物(動物)の肉を控え野菜や豆類などといった菜食中心の食事に切り替えたほうがベストです。質問と一見繋がりのないことを書いているように感じるかもしれませんが、死後の意識も然り存命中の流れを変えることに有効と考えます。
再びお願い申し上げます。吐き気や嘔吐が原因の病気で食べられなくなり餓死した場合も自死でしょうか?
ミケ 様
コメントありがとうございます。
拒食症で餓死することは自死ではありません。アルコール依存でなくなった方が何処で亡くなろうと自死にはあてはまりませんが、依存の場合はアルコールへの執着が死後にも続きますので最悪の場合は餓鬼に近い状況になりかねない要素を含んでいます。
失礼致します。
拒食症で食べられなくなり、餓死するのも自死でしょうか?また、アルコール依存でのみつづけたあげくに路上で亡くなったのも自死でしょうか?
私の憑依経験などからなので見解ではありません。スピリチュアル的なブログをやっていますが他者が書いたものには全くといっていいほど興味がなく、参考にするものといえば諸尊のことや仏教的な教え程度でしょうか。。。ただ本人の痛みや苦しみの立場になり自分に置き換えたときに、もし見えない世界のことを知らなければ私も堪え難いことだったと心から思います。しかし意識不明になりますと痛みや苦しみということは感じなくなりますし、自死をしなければ痛みや苦しみの因果の精算は終わったことになります。これらは頂いた文面が百歳を越えた延命からの話についての回答になります。
早々の返信ありがとうございます。
自分ではコントロールできない自律神経によるものでもそうなんですね。どんな薬や治療をしても治らない全身の強烈な痛み、吐き気や嘔吐等、日常生活を送れない人生を数年いや下手すると数十年送れる自身がイトケンさんならお有りかと思いますが、我が身に帰って考えて頂ければです。ドン・キホーテでもマゾヒストでもどうかと思います。
因みに、あくまでもイトケン様の観点からですよね?
コメントありがとうございます。原因不明の病気や症状で苦しみからの自死も同様に死後に苦しむことになります。なぜ原因不明なのにと思われるかもしれませんが、人の辛苦は心身の何れかに影響を与えるわけで、どちらか片方といったものではないからです。つまり楽になりたいために自死を選択しようとする動機が強くなることにより苦しみが生じるわけです。
延命治療について、延命することは肉体の寿命が訪れているのに命をつなぐことは魂がないに等しい状態にあるといえまして、和尚様の仰っている病死と同様の判断です。もう病死同様なので、苦しみであれ天命を全うしたのであれば死後には苦しみから解き放たれて楽になられるときが訪れるというものです。
検査結果異常がない原因不明の病気や症状で苦しんでの自死も同じでしょうか?医療は余命のついた病気を除けば延命させる事は得意ですが(事実、意識不明のまま腸瘻で百歳超えしてます)行く宛のない苦しみに長年耐えられるかといえば私でもどうするかわかりません。(あり和尚様にお聞きしたら、もうそれは病死だよと仰ってました)この世で苦しんであの世でも二重罰の如くでは可哀想です。
どらむすこ 様
ご感想いただきまして、ありがとうございます。
とても良い内容と感じました。
説得力があり参考というか、なるほどと思いました。現状を変える努力の方が楽なのかも、とも思えました。他のサイトでは根拠がなく断定する内容が多いのですが、断定されていない点も好印象でした。
桜の頃 様
ご返信ありがとうございます。
生きていると色々ありますが、気力は落とさないように進んでいって下さいね。
いつでも、些細と思われることでも、お待ちしております。
こちらこそ、失礼いたします。
イトケンさま、早速のお返事ありがとうございます。
全文を読んで泣きそうになってます。
頂いたアドバイスは全て心の糧にしたいと思います。
最後の一文の「頼っていいよ」とのお心遣いが本当に本当に嬉しいです。いざという時の心の支えにさせてもらいます。
今度は楽しく嬉しい報告ができればいいな。
では、失礼します。
桜の頃 様
はじめまして。コメントありがとうございます。
ブログの記事が少しでもお役に立てたとのこと、とても嬉しくご連絡いただけましたことに感謝致します。
大切な人の自殺や自殺未遂に直面するということは、とても辛く悲しく怖いものだと思います。私も自殺の第一発見者ということを経験をし、そのときの状況は数年経った今も鮮明に覚えており、後悔や悲しみが込み上げてきたり命の儚さを同時に感じたりもします。
ご主人様をすぐに発見されて一命を取り留めたことですが、様々な理由や事情があって自殺することも、亡くなって霊になったとしても残った思念によって何ら解決や解放されるものでもないので、結果的にいえばご主人様の命を救われたことは間違っていなかったと言えます。ケースによっては同調するような霊によって自殺に引き込まれるといったこともありますが、この場合は意図しない死になりますので亡くなった本人も後悔が残りやすく救ってあげた方が良かったという結果になります。引き込まれるような死というのは、本当に本望でないので亡くなってから唖然とするものです。
お酒とお塩を使って事件の箇所を清めたとのことですが、その方法は間違ってなくて私も霊的なことで家や土地の四隅にまいて清めるということも行ないますので、これからも家の気が悪く感じるようなときは試してみると良いです。
ご主人様が予期せぬほど快方に向かわれていることは本当に良かったです。未遂時のことも墓場まで持って行く覚悟で嘘を貫き通して下さいね。諺にもあるように「嘘も方便」というのも間違っていないことですから。。。
あと、ご主人様が時折見せる鬱のような表情に対してですが、神仏のご加護が頂けるようにお願いしていくことも良いと思います。表情などで心配や不安になると思いますが、ご主人様を信じられて言葉にしなくても念というものを使って魂に語りかけることも効果はありますから、励ますよりも心を通わせる感じでやってみて下さい。
桜の頃様の感謝の心はとても素晴らしいもので、そういったことが好転を呼ぶことにもなりますので清浄な御心でお過ごしなさって下さい。
今後において、不安や心配なときに何か出来ることがありましたらとお力になりたいと思いますので、コメントからでもお問い合わせからでもお気軽に連絡して下さいね。
カメリア 様
こんばんは。返信が大変遅くなりまして、申し訳ありません。
発達障害であろうとなかろうと、少しでも納得していただければ幸いに思いますので謝られることなど微塵もありません。死にたい衝動に駆られることは、経験したものしか理解できない大変なものだと思いますが、ベッドにしがみつかれても乗り越えていって下さい。何かで詰まったときなど、少しでも支えになれればと思いますので、いつでも遠慮することなくコメントしにきて下さいね。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございます。
まずはイトケン様にお礼を。
私はここしばらく本当に厳しい面持ちで毎日を過ごしていました。その時にこちらへ辿り着き他の方へのコメントを拝見して、救われた気持ちになりました。
ご先祖様はもちろんのこと、神様仏様に心からのお願いをしてたのです。「阿弥陀如来様」のお話を目にしてからは、阿弥陀如来様にもお願いをしました。
お願いばかりで本当にすみません···の気持ちもありましたが、私にはご先祖様方にすがるしかできなかったのです。
主人が自殺未遂をしました。
発見者は私です。幸いにも事後すぐにみつけて狼狽えながらも救急車を呼び、一命は取り留めました。
ですが心臓がおそらく一瞬止まっていたらしく、脳に酸素が行かず中枢神経にも影響があり、脳死か植物人間、上手くいっても歩いて帰宅はできないとICUの担当医に告げられて様々な覚悟をしました。
すぐに発見した為に命は助かったとしてもこれから辛い人生を歩ませる事になるのか、それならあの時に見つけるべきじゃなかったのか。そうすると私は恨まれてしまうのか。
主人の死顔は脳裏から離れません。
子供もまだ成人していません。
本当に毎日が悲しくて辛くて怖くて不安で。
なんとか良い未来のイメージで自分を鼓舞する時もありましたが、すぐに陰な気持ちに戻されました。
お塩とお酒で事件の箇所を自分なりに清めたりもしました。「大丈夫、あの時の彼の鬱な気持ちや陰な気は成仏したんだ!大丈夫!」と強気で自分に言い聞かせながら。
きっと正式なものではないので、気休め程度かとは思いましたがそうせざるを得ませんでした。
ところが私の不安とは裏腹に、目を覚まし手足の動きも徐々に増え、意識も少しずつですが戻ってきたらしいのです!
このご時世、直接会えることはなかなかなかったのですが、看護師さんや担当医師の方々から良い報告を聞く度に驚きと安堵がありました。
私が一番不安だった未遂時の記憶も、ありがたい事にその前後をすっかり忘れているらしく、あくまでも体調不良で倒れたことにして未遂のことは隠し通すつもりです。
フラッシュバックが怖いところですが、そこはごまかし続けるつもりです。絶対に思い出して欲しくはないし、絶対に嘘を突き通します。
今、主人は自宅に帰ってきてます。
病院の方々が驚くくらいの回復力だったらしく、元通りに近い生活ができています。
体力筋力共に激落ちして色々辛そうではあります。
時折鬱の時の表情を見せるのでその時は「まさか」と不安がよぎってしまいますが、未遂前のあまりにも辛そうな感じではない様に勝手ながら思ってます。
彼には「死」よりも「生」を思いながら毎日を過ごしてほしいと心から思います。
長文になりましたが、お医者さま、看護師さん、私を気持ちの面で支えてくれた友達や私の母親、もちろんご先祖さま、神様仏様、阿弥陀如来さま、我が子供、そしてイトケンさまにも心からのお礼を申し上げたいと思います。みなさまに助けていただきました。
本当に本当にありがとうございました。
正直、不安や心配は尽きません。
彼の鬱な表情を見るたびに泣きそうになります。
二度目を実行しないか常に不安です。
ですが覚悟を持って彼を甦生させたのは自分なので、心を強く持っていたいと思います。
長文、失礼しました。
イトケン 様
ご回答ありがとうございます。
発達障害の特性上、具体的な話がないとなかなか理解できないもので、
また死後の世界等、一部の方以外には本当に未知の事なので納得いくまで質問してしまい申し訳ありませんでした。
最後まで生きた事で得られる忍耐力がどういうものなのか、思念の波長の違いで具体的にどう違ってくるのか、よく分かりました。
自殺と寿命での死で魂のみになったあとの世界では、まだ他にも色々と変わってくるのかもしれませんが、それこそ死んでみないと分からないので、死にたい衝動に駆られてもベッドにしがみついて、お不動様の真言を唱えながら耐えたいと思います。
家庭の事情で祖父母にお線香をあげることが出来ない為、お不動様のお焚き上げでもなんでも良いと思える供養をするのが良いとの事なので、続けていきたいと思います。
今後もブログの更新楽しみにしております。
ありがとうございました。
カメリア 様
ご返信ありがとうございます。他の記事を読んで頂けたり、感想までもらえて嬉しいです。それと私も説明が下手なので、ご理解頂けるまで何度質問して頂いても大丈夫ですよ。
≫≫堪えてきた力で思念の切り替えもしやすいと言うのはどういう事でしょうか。
例えばですがフラッシュバックの様に、幼少期や職場等での悪い思念に囚われてしまっても、寿命で死んだ場合は、悪い思念自体の拘束力も弱く、その当時好きだった物事を思い出したりして、マイナスな思念から切り替えたりできる余裕があるという事でしょうか。
⇒カメリア様の仰られるとおりです。最後まで生き抜くということは忍耐力がつくことにもなり、辛苦に堪えたり逃してきたチカラがつくということにもなるものです。諦めたり投げ出すことも勇気がいるかもしれませんが、そこに命を絶つ行為があれば当時の思念が継続してしまい苦しみは逃れれないことは然りで、何事も堪えたり気持ちを逃すということは精神的にも無駄ではないということです。
≫≫また波長がそこまで下がらないとの事なので、穏やかな他の霊や存在の影響を受けて苦しかった思念から一時的でも抜け出す事が出来たりするという事なのでしょうか。
⇒そのようにもなりますし、霊的にも精神的にも視野が広がるということが大きく違い、一時的ではなく他の穏やかな霊の影響を受けて同じように穏やかになっていくことが可能です。幼いときや若いうちに何らかの影響を受けて辛苦を味わいながら育つということは、健全な家庭で育った人よりも霊的に得るものが大きく、一見弱者のように見えましても精神的に乗り越えた分、一般の人より強くも弱くもなれるのも確かなものです。
≫≫もう自分は人生を確り全うできたのだから、生前苦労した事なんて考えなくてもいいんだと思える様になるということでしょうか。
⇒そのようにもなります。霊の世界に帰ればわかりますが、時間が経てば自分の再生した使命を思い出すことにもなり生き抜いたことが無駄ではなかったということが喜びにさえ変わるのです。
≫≫延々と苦しみ続ける(自殺した場合と比べたら短い様ですが)世界なのかどうかは死活問題だからです。
⇒生きにくい人生を過ごしてきているものとして、思われていることは大変理解できます。それらを知りたいと願い一筋の光を救いにしないと希望が持てなくて当然だと思います。これらのことは本当に大丈夫なので安心して下さい。
≫≫新興宗教にどハマりしそうな、酷く利己的な考え方に軽蔑されると思います。
⇒そんなことは微塵も思うはずがありません。
≫≫死は救済なんかじゃなく、どんなによく生きようがその後も生きた分と同じだけ苦しみが待ってるのだとしたら、私にはどうしようもできない
⇒そのようなことは100%ないと断言できます。私が言っていることは霊の世界に帰られたときに分かって頂けると思います。
≫≫既に苦しみの中にいる他界した祖父母の為に、お不動様で供養してもらいながら何となく生きていこうと思います。
⇒他界なさられた祖父母様には、カメリア様が生きている間に心で想い供養し、良いと思える供養をしてあげて下さいね。
イトケン様
早々にご回答ありがとうございます。
あれから他の記事も拝見致しました。
イトケン様も家庭環境が良くなかった事、
それにより内面に影響を受け、
生きにくさを感じながらも乗り越え、
何点か改善に成功された事を知りました。
私自身も幼少期の親や同級生による虐待やいじめ、職場でのモラハラ等、うつが悪化する前は、許せなくてもそれを認め未来に目を向ける事、影響された性格、考え方等の改善に努めておりました。
実際に成し遂げている方の話が聞けて改めて希望を持つことが出来ました。
“恨み憎しみの感情は自分をダメにする”
の記事につきましても、改めて、うつ病を患うに至った人々を憎しみ続けるのは、私の為に良くない、早く忘れてしまおう。と思える事が出来ました。
ありがとうございます。
他記事の感想を長々と失礼いたしました。
頂いたお返事について、
私の要領が悪い為確認させてください。
“生きていても仕方ないと思いながらも寿命まで生き延びたならば堪えてきた力で思念の切り替えもしやすかったり、波長がそこまで下がらないといったことで苦しみから解放されることの方が多い”
こちらの堪えてきた力で思念の切り替えもしやすいと言うのはどういう事でしょうか。
例えばですがフラッシュバックの様に、幼少期や職場等での悪い思念に囚われてしまっても、寿命で死んだ場合は、悪い思念自体の拘束力も弱く、その当時好きだった物事を思い出したりして、マイナスな思念から切り替えたりできる余裕があるという事でしょうか。
また波長がそこまで下がらないとの事なので、
穏やかな他の霊や存在の影響を受けて苦しかった思念から一時的でも抜け出す事が出来たりするという事なのでしょうか。
それとももう自分は人生を確り全うできたのだから、生前苦労した事なんて考えなくてもいいんだと思える様になるということでしょうか。
死んだ後の事にこんなに執拗にならなくてもいいだろうと思うかもしれませんが、現在フラッシュバックや悪夢に苦しみ、常にある希死念慮をグッと押し込めて我慢して寿命を全うした先が、延々と苦しみ続ける(自殺した場合と比べたら短い様ですが)世界なのかどうかは死活問題だからです。
今生をがんばって生きるからせめて、その後は安寧なものでありたいと、死は救済であると、願ってやまないからです。
新興宗教にどハマりしそうな、酷く利己的な考え方に軽蔑されると思います。
死は救済なんかじゃなく、どんなによく生きようがその後も生きた分と同じだけ苦しみが待ってるのだとしたら、私にはどうしようもできないので、せめて既に苦しみの中にいる他界した祖父母の為に、お不動様で供養してもらいながら何となく生きていこうと思います。
カメリア様
はじめまして。コメントありがとうございます。
カメリア様も幼少期から家庭環境に恵まれなかったということは、少し生きることにも苦労されてきたことと思います。
早速ですが、ご質問などにお答えさせていただきます。
≫≫寿命で死んだとしても、やはり思念の世界を漂うのでしょうか?生前自殺しようかどうしようかと考えていた人は、自殺者と同じ様に辛い思念に苦しみながら存在し続けなくてはならないのでしょうか?
⇒はい。人間の肉体がなくなるということは思念が中心の世界になりますが、彷徨うというよりも思念によって霊の世界での生活が変わるようなものです。ところが人間の思念の問題点は、どのような思いで最期を迎えたかが一つの区切りになるので、苦しくて悲しくて堪えれずに自殺すると死後も同じ感覚を持ち続け、生きていても仕方ないと思いながらも寿命まで生き延びたならば堪えてきた力で思念の切り替えもしやすかったり、波長がそこまで下がらないといったことで苦しみから解放されることの方が多いものです。
私が関わってきたなかで一番長く接していたのは記事の自殺した女性ですが、この女性は他のもの(霊)とも関わることもなく自死の後は孤独に彷徨っていたようです。私とは、とても仲良くしていたのに死のうとした動機が再燃してしまうと、これまでの関係を破壊するほど恨みや苦しみが訪れてしまったときには簡単に修復できることなく、
暑苦しいような面持ちで変わり果てた姿になってしまいました。それから数ヶ月か半年したのちに落ち着いた姿で私の元に何回か現れたことはありましたが、なんとなく距離感が出来てしまってました。このように自殺するということは孤独に彷徨うことになったり、苦しみが訪れたりすることを考えると生きていた方が楽なように感じます。カメリア様が仰られていましたように、ネットやオシャレ、食事など何か娯楽を楽しみながら過ごす方が少しでも気を紛らわせることも気持ちを逃すことも出来ると思うので・・・。
そのほかにもずっと泣き続けているもの、部屋の片隅で後悔しながら小さくなって座っているもの、苦しみや恨みの念から豹変して波長のあった人間に取り憑いているもの、生前の苦しみから抜け出せないものなど、亡くなったのに自分の姿はあれど波長が低いために先祖や他の霊などと関われなかったりするので、生きても孤独死んでも孤独な状況から苦しい時を思い出しやすく、それが現実のように感じるのです。ただ自殺したすべての存在が同じような状況とは限りませんが、死のうと思った動機が死後につきまとうことを考えれば大体は苦しむ方が多いといえます。
説明が下手なので、ご不明なことや質問などありましたらお気軽に連絡して下さいね。
はじめまして。
幼少期から家庭も含め人間関係に恵まれず、前世での業なのかと、ネットで調べていたら、こちらのブログにたどり着きました。
記事を読み疑問に思ったのですが、寿命で死んだとしても、やはり思念の世界を漂うのでしょうか?
その場合、生前自殺しようかどうしようかと考えていた人は、
自殺者と同じ様に辛い思念に苦しみながら存在し続けなくてはならないのでしょうか?
私の現在の状況は、機能不全家庭で育ち、軽度の発達障害を持っている事に気付かず就職し、鬱病を拗らせ、現在失職し、治療と発達障害を考慮した上で再就職を目指しております。
向上心のある様に書きましたが、実際は、病院にも行く気力が持てず、波はありますが起きている間は希死念慮が強く、生きながらに死んでいる様な状態なので、自殺した方がお金も掛からないし、這いずりながら無理やり生きるのも、もういいんじゃないかなと思っておりました。
こちらのブログを読み、自殺をしようかどうしようかという思いが薄まりました。
「苦しい、死にたい、もうこんな辛いの嫌だ、親が憎い、私を無闇に傷つけてきた人が憎い、あの時ああされた、こうされた、努力したのに結局どうにもならなかった」という、嫌な記憶を思い出し苦しむ、あの辛い状態が襲ってくる時間が長く長く続くのかと、考えただけでうんざりしたからです。
ネットやオシャレ、食事等の娯楽が少しでもある現在の方がずっとマシだと思いました。
ただ、それは生きている間だけの猶予で、死因はどうあれ死んだらその気持ちが襲ってくるのかと思うと恐ろしく思います。
その様な霊と関わった事がございましたら、(ケースも色々あると思いますが)どうであったか、教えて頂けたら嬉しいです。
長々と申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
ゆ 様
コメントありがとうございました。
お声掛けしていただきましたことに感謝です。
他の人サイトを見ても何が地獄だよと思って信用できませんでしたがこのブログを見て自殺はやめようと思いました。あなたの言うことを信じて今を生きて行こうと思います。ありがとうございます。
もちこ 様
こんにちは。ご返信ありがとうございます。
他のブログまで読んでいただいたようで、ありがとうございます。
ご質問の件ですが、「お問い合わせ」からお答えさせていただきます。
メールにつきましては匿名・捨てアドで大丈夫ですので、ご連絡よろしくお願い致します。
お忙しい中、お返事ありがとうございます。
あれから、他のブログを拝読しました。
とてもわかりやすく、納得のいく内容でした。
私が自分を責めている事で親友が苦しむのはとても悲しいので、責める事をやめました。
責める事をやめたら、だいぶ気持ちが落ち着きました。
でも、お返事の中の【親友が心配している】事が気になります…
コメント欄では難しいとの事ですが、問い合わせの方で、その親友が心配している事を教えていただくことは可能でしょうか?
ビッグマム 様
初めまして。コメントありがとうございます。
すぐに返信できなくて、誠に申し訳ありません。
息子様が自殺を選択された動機になった人ですが、因果というものは必ず公平に返ってきますので存命中に因果として返ってくることになるほか、次に再生したときに今度は息子様が味わった苦しみを経験することになるのは間違いありません。
息子様が万一死ぬことになれば、ビッグマム様は死ぬのではなく日々の供養と息子様を苦しみの淵から救ってあげなければなりませんから、苦しくても悲しくても息子様のために生きてやるべきことをしてあげて下さいね。
陰陽師の方が息子様は身体から魂が抜けているとのことですが、そのお言葉を鵜呑みにされることなく最後まで諦めずに思念を送り続けてあげて頂きたいと思います。ビッグマム様の愛情が届いているかということですが、間違いなく愛情は届いています。以心伝心ということがある通り生死問わず思念や想いというものは届くものです。
息子様が意識不明ということですが完全にダメと決まったものではないので、一分(いちぶ)の望みをかけて戻ってくることを強く願い、仏様(特に阿弥陀如来様)に願をかけるようにして下さい。助けたことは悪いことではなく息子様を救う可能性のあるものですので最後まで諦めてはなりません。
いまはとにかく「死」という諦めを持つのではなく、ひたすら意識を取り戻すための努力をすることです。
このあとは、次にいただきましたコメントにて継続して回答いたします。
もちこ 様
はじめまして。コメントありがとうございます。コメントの返信が大変遅くなり申し訳ありません。
ご親友の方が自殺された件ですが、もちこ様がきっかけになったのではなく霊的なものによる加担によって突発的に自殺してしまったと考えるほうが濃厚です。なぜ霊的なものの加担の可能性が高いのかと申しますと、鬱病などは霊的なものが関与することが多く心労が重なって精神が壊れていったタイミングから寄り付いていたり、もともと生まれ持った精神の弱い人などに長期的に憑依して鬱を重症化させていくものです。それに、ご家族の人たちが出掛けられている間という考える時間もないような状態での実行と遺書というものがないといったことからも突発的と考えるほうが自然です。もちこ様の会話の後に自殺したと考えるならば、もちこ様という親友と話すことができた安心感や高揚感から魔が差してしまったと考えるべきです。私も鬱病の人とかかわった経験から感じたことは、そのときに話した内容に共感してくれたり楽しい会話をして元気になったと思っていましても、電話やメールを終えた数時間後や翌日には日々の鬱状態に戻っていることが多く、人によっては希死念慮が再燃しての繰り返すといった生活を送るようです。どちらかといいますと死にたくないと思っていても、もう一人の自分が死にたいと考えている状態ということがあります。
≫≫私は今【死】について色々考える事が多くなり、死ぬことに対して抵抗がなくなってきたりしています。
➡責任を感じられて、とても苦しい状態だと思いますが【死】という選択を考えられるよりも、ご親友を苦しみから救ってあげるために親友という立場から供養をしてあげて欲しいと願います。親友という立場からの供養というのは、故人にとって大きな支えになることが間違いないからです。私も色々な理由から【死】に対して抵抗はありませんが、霊的な世界を知ってしまったために今の苦しみから解放されることもなく肉体がなくなっただけで、思考や辛苦を背負い続けることに変わりないもので誰も救えなくなりますから生きるほうが何か出来ることには間違いないからです。
≫≫あの前向きな言葉は最後のお別れの言葉だったのか、それとも、私との会話のせいで気持ちが落ち込んで行動してしまったのか…
【躁状態】だったから行動にうつしてしまったのか…
➡お別れの言葉でも、会話のせいでもありません。考えられますのは【躁状態】の落差が影響してしまったということ。もちこ様という親友と話ことが心から楽しかったために落差が出来てしまったと判断します。それほど、ご親友の方の支えであったこと嬉しく楽しいものであったことは間違いありません。逆にいえば悲しみや苦しみから自殺という選択をしなくて良かったといえるものです。鬱病というものと自殺は背中合わせであり、人の言葉が影響するというよりも本人の変わらぬ思考や霊の加担のほうが遥かに大きいものです。
≫≫彼女の訃報を聞いた日の朝(訃報を聞いたのは午後)不思議な事が2回ありました。翌日、親友に会いに行った後も不思議な事がありました。
お墓参りに行った日も不思議な事が2回ありました。親友からのメッセージだと思っています。
➡そのようですね。ご親友の方はもちこ様のことを心配していて、とても想われているようですよ。(慰めではなく、コメント欄では理由はお伝え出来ませんが事実です)
もちこ様が、ご親友からのメッセージだと思われていることは間違いのないものです。
自責の念を抱くことは必要ありませんが、大切な人を失った悲しみや苦しみというのは完全に消えるといったことはありませんが歳月が風化させていくものです。
何よりも、ご親友に「心」や「想い」を日々届ける供養をしてあげて下さいね。
はじめまして
イトケンさんのブログを拝見しました
ひと月前に息子が自殺未遂をして
今は病院で意識不明です
もう脳波も少ししか残っておらず
心臓が止まるのを待つだけのような状態です
息子の友達などから
息子が何に悩んでいたのか聞き
助けてあげられなかった後悔と
息子が死ぬなら私も死にたい
息子をここまで追い詰めた相手が憎い
自死は魂だけになってからも苦しむと聞き
かわいそうで
どうにかしてあげたい
娘や主人、私の母
みんなの苦しみの重さ
いろんな思いに耐えられません
陰陽師という方に会ったら
もう身体から魂が抜けていると言われました
息子の気持ちが知りたいです
私の愛情は届いていたのでしょうか
苦しみから逃れたくて自死を選んだのに
既のところで助けられて
宙ぶらりんの状態で
悔やんでいるのではないかと
助けた事さえ後悔してしまいます
どこに考えを持っていけばいいのか
時間がかかっても進むべき道しるべが欲しいのです
どうか助けてください
はじめまして。
6月末に30年来の親友が自殺しました。
亡くなる直前まで、SNSで会話してました。
色々な事が重なって鬱病になっていた彼女。
私との会話の後、家族が出かけて
その間に自室で自殺していたらしいです。
遺書はなかったようです。
私との会話のせいで自殺してしまったのか
突発的に行動にうつしてしまったのか
毎日考えてますが分かりません。
私の言動のせいで、鬱病の彼女を追い詰めてしまっていたのかもしれない、と毎日責めています。
私は今【死】について色々考える事が多くなり、死ぬことに対して抵抗がなくなってきたりしています。
今日も、そんなことを考え過ぎて
検索していたら、こちらのブログに辿り着きました。
他の方達のコメントや返信を読んで
色々納得いく部分もありました。
でも、やっぱり私は
『親友は何故、自殺してしまったのか』
ということを考えてしまいます。
亡くなる直前の会話は
とても前向きな内容だったので
私はあの時、親友は良くなってきていると安心してしまって
まさか、その後死んでしまうなんて、全く思っていなく
翌日も普通にSNSを送っていたくらいなので…
あの前向きな言葉は
最後のお別れの言葉だったのか
それとも、私との会話のせいで気持ちが落ち込んで行動してしまったのか…
【躁状態】だったから行動にうつしてしまったのか…
どれが答えだったとしても後悔ばかりの毎日です。
あれから2ヶ月経ち、先日親友のお母さんと一緒にお墓参りにも行ってきました。
落ち着いて親友の事を想える事も増えてきましたが、やはり後悔ばかりです。
彼女の訃報を聞いた日の朝
(訃報を聞いたのは午後)
不思議な事が2回ありました。
翌日、親友に会いに行った後も不思議な事がありました。
お墓参りに行った日も不思議な事が2回ありました。
親友からのメッセージだと思っています。
私がいつまでもこんな気持ちでは、彼女は苦しみ続けるんでしょうか…
ゆうりん 様
ご返信ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願い致します。
いつでも、お気軽にご連絡くださいね。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございました。
イトケンさん、丁寧に答えて頂きありがとうございます!
アドバイスしてもらった事も、初めて言われた事だったので嬉しかったです。心がけてみますね!
亡くなられた方に感謝や供養も伝わるとのことなので、
きっと、たくさんの人達に光を届けたように、彼自身にもその分、早く明るい光が照らされると願ってます。
またこれからも読ませて頂きます。
行き詰まった時にはまた相談させて頂きますね。よろしくお願い致します
ありがとうございました!
ゆうりん 様
初めまして。コメントありがとうございます。
ほんと、いい俳優さんだっただけに、あの演技が見れなくなるというのはショックが大きいです。
『集中させるとさみしくなるような気持ちと自分と現世界を客観的に感じる事ができます。まだ共感できる方はいません。』とのことですが、残念ながら私にも感じることが出来ません。
『私は小さい時に母親に甘えるのが下手で、かまって欲しくてよく家で暴れていました。』とのところを読ませて頂いて、とてもかわいいお子様時代を過ごされたと思うと同時に、親に甘えることができていいなぁと感じました。でも、これって本当は大事なことで、甘えるという承認欲求が正常にできてるということです。
『自信がなかったり。うまく伝えるのも下手で、、友達の前で合わせてばかりで自分がどうしたいのかわからなくなったり、不器用なのでずっと人間関係が難しいです。
私の人への思いやりが足りないのだと思います。相手の気持ちを考えすぎてしまい、躊躇してしまいます。ひとりはさみしいけど、、ひとりが楽だと思ってました。』
➡相手の気持ちを考えるより相手の立場に立ってモノを考えてみてはいかがでしょうか。あれ嫌かな?これ嫌いかな?これ迷惑かな?など「~かな?」と思うのではなく、一緒に行動したり食事したり同じ時間を共有する部分には気を使わずに自分の思うようにしてみて、してもらったら返すとか相手の都合(時間や金銭面など)などを考慮して、あとはありのままの自分で良いように思います。私は、ゆうりん様の文面を見ていて好感の持てる人のように感じますので、もう少し自信をもっていいと思います。
ブログに共感していただけているとのこと、とても嬉しく励みになります。それも色々な記事をお読みくださいまして、ありがとうございます。人生死ぬまで勉強といわれますように、これからも無理せずに頑張って下さいね。もし何かありましたら、『お問い合わせ』からでも大丈夫ですので、お気軽に連絡して下さいね。(捨てアドでもOKです。)こちらこそ、ありがとうございます。
イトケンさん初めまして。
大好きだった俳優さんの死がショックすぎて、自死は死後の世界で苦しむと私も思っているので、
この事を少し知りたくて見ていた所、イトケンさんのブログにたどり着きました。
私は生まれたときからの記憶がよく残っていたり、
やっとこの世界に生まれる事が出来た、とゆうような思い、
今でもよくあるのが、集中させるとさみしくなるような気持ちと自分と現世界を客観的に感じる事ができます。まだ共感できる方はいません。イトケンさんはわかりますか?
私は小さい時に母親に甘えるのが下手で、かまって欲しくてよく家で暴れていました。
母親のせいにしてばかり、他の家に生まれたかったと思ったり。自分は不運だと思ったり、自信がなかったり。
うまく伝えるのも下手で、、友達の前で合わせてばかりで自分がどうしたいのかわからなくなったり、不器用なのでずっと人間関係が難しいです。
私の人への思いやりが足りないのだと思います。
相手の気持ちを考えすぎてしまい、躊躇してしまいます。ひとりはさみしいけど、、ひとりが楽だと思ってました。
今でも自分自身母親なのに、すぐ感情的になって子供みたいな自分がいます。。今も修行中です。それもあり、色んな方のブログを見ては勉強しています。
イトケンさんの今までのブログもとても共感出来ます。
宜保愛子さん、私もあの方は本物の霊能者だったと思います。精神的な病気になられてる方は、目を見たらわかる、気になる場所は2度見しない、嫌な場所には近づかない、先祖供養は思う心が大事など。
人生の教科書みたいに繰り返し拝見させて頂いてます!
まだ自分自身のこと、人間関係のこと、山積みだけど、頑張ります!
イトケンさん、ありがとうございます!
うさぎ 様
ご返信ありがとうございます。
少しでもお役に立てましたこと、とても嬉しく思います。
こちらこそ、ありがとうございました。
ご丁寧にご返答くださり、ありがとうございました。
このブログで教えて頂いたことは、これまで半信半疑に思っていたことが全てすんなりと納得でき、また今生きていることを何よりも大切に考えようと思えることができました。
本当にありがとうございました。
うさぎ 様
はじめまして。コメントありがとうございます。
お亡くなりになられた俳優の方を何とか救いを見出せないものと考えることは決して身勝手ではありません。他者を思う気持ちこそ素晴らしいものです。うさぎ様が仰られますように悲しみの気持ちを持ち続けることでは故人の霊は救われませんので、感謝の気持ちで故人に触れて死後の世界で少しでも心救われるように祈ってあげて下さいね。
リカ 様
初めまして。コメントありがとうございます。
私も個人的に彼の出ているドラマなどは欠かさず見ていた方で、演技が上手で割と好きな方だっただけにショックでした。早速ですが、彼に対して心の中で祈ることが少しでも供養になるかということですが、正直なところ見ず知らずの場合は心の祈りは届きにくいということはありますが無駄ではなく供養になりますので、できれば継続して祈ってあげることが望ましいです。
はじめまして。
こちらにコメントさせて頂くのも大変恐縮ですが……
先日俳優の方が亡くなられてから、全くの赤の他人の私でも気持ちの整理がつかず、なんとか救いを見出せないものか(自分勝手ですね涙)と探しているうちにこちらのブログへたどり着きました。
私も若い頃に、数年間本当に死について考えましたが、実際には家族のことなど考えると決して決して死を選べるものではない、という時間を経験しましたので、自ら死を選ばれた原因の深さを考えるほどに悲しくて仕方がありません。せめて今安らかなお気持ちなら、と願いましたが、でもやはり死後の世界では苦しみが増幅していると知り、さらに涙せずにはいられませんが、人々の故人を想う気持ちで、少しでも少しでもどうか救われておられることを願います。悲しみの気持ちを持ち続けるのではなく、これからはがんばって感謝の気持ちで故人に触れたいと思います。
今、連日ニュースで、と、書きましたら分かってくださると思いますが、
彼が20歳くらいの時の銀行のポスターか何かで初めてみて、こんな俳優さんいるんだと、強く印象に残ったまま、NHKの番組を欠かさず見ていたくらい程度のファンですが、そんな場合でも、心の中で祈ったりする事は、彼にとっての供養に少しでもなりますでしょうか。まさかの命の選択に心を痛めています。見ず知らずですが、どうでしょうか。
なな様
コメントありがとうございます。
なな様は喧嘩をして責めてしまったとありますが、それは彼に非があったからだと思いますので自分を責めないでくださいね。
◎追い詰められ嘘をついたり裏切ったり約束を破るから人を最後に信じたいといきたいって気持ちがなくなりました
≫≫率直にいいますが、それは婚約者だった彼がそうであっただけで世の中には真面目な人は多く存在しますので、彼のことを忘れることが出来るならば忘れてしまった方が良いです。(あっさりと言って申し訳ございません。)
人の気持ちも変わりますし、人というのは決して表面で判断してはいけない部分が多くありますので、悪意がなくても付き合い始めと数年後では別人のような人は山ほどいるものです。なな様は大切な人生を壊されたと感じられているようですが、異性問題を含めて人は失敗を繰り返しながら成長するものですので、今回のことは貴重な時間や大切な人生の一部を無駄に使ったと思われるかもしれませんが、順調ばかりが良い人生ではなく山があれば谷がありますように良いときもあれば悪いときもあると捉えられ、このような失敗を二度と繰り返さなければ良いのですよ。
差し支えなければ、もう少し詳しくお伺いしたいのですが「お問い合わせ」からご連絡いただけますでしょうか?「お問い合わせ」については、捨てアドで構いませんのでお話を聞かせて頂ければ、何かアドバイスをさせて頂けるものかと考えています。(ただ思っていることを吐き出すだけでも大丈夫です。)
少しでもお気持ちが楽になっていただきたいと切に願います。
婚約者がなくなりました
遺書には私のことが書いてありました
喧嘩をして責めてしまいました
ただ、私も嫌なことや辛いセリフを言われて
死にたいと感じてました
恨みもしました
遺族からも生前二人で責められました
追い詰められ嘘をついたり裏切ったり約束を破るから人を最後に信じたいといきたいって気持ちがなくなりました
人の気持ちは変わります
でも私の大切な人生を壊されたと私は感じてます
追い詰められたから潔く手を引いたのに
その約束からも逃げました
原因をつくるのは相手なのに私のせいにされました
生きててもしんでも苦しめられ辛いです
チャッキー様
初めまして、コメントありがとうございます。
お姉さまが先日亡くなられて気配を感じられたことは、間違いなく死の自覚がないことと感じますので、そのように対応されたことはとても良いことです。以前から安定剤や睡眠薬を飲んでいたということは、すでに安定した精神状態ではなかったのですよね。仰られますように何かが後押ししてしまったということは十分考えられます。それが家系に関わる因果なのか・・・、ご両親のご先祖のなかに無念の死を迎えられた人がおられたり、ご先祖のなかに悪い因縁を作ってしまった人がいるのかご存じないですか?霊能者に視てもらうことも、まともな霊能者であればいいのですが変な霊能者に当たりますと不安だけ煽られることにもなりかねませんのでご注意ください。
「自分は絶対にあり得ないと強く思ってるのですが、それでも無理な時ってありますか?」の質問に対してですが、絶対にないとはいえません。自殺は家系で続くことは少なくありませんが原因は様々です。亡くなったことに気付いて成仏してもらうためには、供養でも特に「心で想うこと」が大切です。原因として夫婦喧嘩絡みの悩みを抱えられていたようですので、そのあたりのことを少しでも聞かせて頂ければと思います。ひとつ気掛かりなのは、父親違いの弟様の自殺も同様に飛び降り自殺であったということは気になります。私で解決できないかもしれませんが、このコメント欄は不特定多数の方が目にしますので、もしよろしければ匿名・捨てアドで構いませんので、差し支えなければ「お問い合わせ」からメールして下さい。
先日姉が飛び降り自殺しました。
本当に突然のことでした。以前から姉は夫婦喧嘩をするたびに自殺をほのめかしていたようです。
でも私には信じられません。4人の子供を残して死ぬような人じゃないんです。
その日はやけになって安定剤やら眠剤を大量に飲んでいたようなので、正気じゃなかったはずです。
私には霊感というまでのものなのかわからないのですが、霊的なものを少し感じることがあって、姉が亡くなった日に、姉の着替えをとりに姉の自宅へ行った時のことです。
姉の気配と視線をすごく感じて、荷物を探してる間にも、子供のおもちゃが勝手になったりと、不思議な出来事が続きました。
姉は亡くなったことに気づいてなくて、帰ってきてるんだろうと思います。
私は姉に亡くなった事実を語りかけて、そのまま葬儀場へ戻りました。
亡くなったことに気付いて成仏してもらうためには、供養するだけでいいのでしょうか?
4年前に父親違いの弟も飛び降り自殺をしてますし、家計的に自殺で亡くなった人が多すぎる気がします。
知人には一度見てもらった方がいい、次はあなたの番かもよ?っと脅されましたが、見てもらった方がいいのか、、。
自分は絶対にあり得ないと強く思ってるのですが、それでも無理な時ってありますか?
だとしたら姉もそのせいで死んじゃったのか、答えのない悩みで頭が痛いです
N 様
コメントありがとうございます。
妊娠中のときにクローゼットでご主人様が自殺されていたのは、当事者しか分からないほど計り知れない心情だと思います。個人的な意見を許されるとしましたら、亡くなったご主人様には申し訳ないですが、どんな理由であっても無責任であり許されるものではありませんので恨んでも当然といえます。裏切られた気持ちで一杯なのは理解できますし、私が同じ立場でも決して許そうとも思えないものです。それよりも、よくここまで地獄な思いを耐えて越えてこられましたね。
自殺の発見の当事者になってしまいますと、おそらく光景は一生消えることがないことは私も経験者として言えますので、とてもお辛いと察します。
ご主人様の自死を選択された動機は分かりませんが、死後はさらに動機が継続したまま増幅して苦しんだ末に次には後悔の大きな波が押し寄せることになりますので、あなたが許さない以上に苦しみます。ただ動機がない場合は「魔が差す」という言葉が適切かわかりませんが霊的なものに引き込まれた可能性もないわけではないので、動機が見当たらない場合は突発的とも考えられることは頭の片隅においていてください。無理に許すことも形式的な供養をすることもありませんが、あなたの思念はすべて届きますので決して「楽」にはなれないと思います。
妊娠中に夫がクローゼットで首を吊って死んでいるところを発見しました。
翌月突然の破水で入院、早産になり、私は彼を恨んでいます。
裏切られた気持ちです。
妊娠中の通夜に葬式、地獄でした。
毎日毎日あの光景を思い出します。辛いです。
決して「楽」になってほしいとは思えません。
たけ様
コメントありがとうございます。
とても優しく人望の厚い叔父様が自殺されましたと最近お知りになられたとのこと、とてもショックだと思います。仰られますように、お墓であれ仏前であれ供養をすることによって叔父様の霊は救われます。おそらくたけ様のショックな気持ちが届いているようです。ちゃんと気持ちは伝わるものですから、義務ではなく叔父さんを想ってあげることが何よりの供養です。自殺したものが地縛霊になるなど本当に稀で、そのような霊と接していないものがいうことです。まして優しくて人望がある方だったなら責任感が強すぎたのではないでしょうか?それと自殺現場には叔父さんはおられませんので現場での供養は必要いりません。それよりも何処にいても叔父さんのことを想ってあげる方が何よりの供養になりますのでご安心ください。人間と亡くなった人の大きなちがいは心で思うことが伝わることですから・・・。
また分からないことなどありましたら、いつでもお気軽にコメントして下さい。
約30年前に亡くなった叔父さんの死因が自殺だったと最近知り非常にショックをうけました。とても優しく周りからの人望も厚い人で私も大変お世話になりましたので本当にショックでした。少しでも自殺後の苦しみから解放して頂きたいのですが今まで通り墓参りだけでも力になりますか?自殺者は地縛霊になると聞いた事がありまして。。。
実際の自殺の現場でも供養をした方がいいのでしょうか?
もしご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?
プー太様
コメントありがとうございます。
嬉しいお言葉ありがとうございます。
無理せずに頑張って下さいね。
ありがとうございます。
読んで少し楽になりました。
もう少し頑張って生きていきます
向日葵の母様
お褒めのお言葉ありがとうございます。
向日葵の母様、ぜひそうして下さい。
いつでも些細なことでもメールして下さいね。
お気遣いありがとうございます。向日葵の母様も一日でも早く、少しでも心救われることを願っています。
イトケン様。
イトケン様もお辛い事をご自身で経験されている状況で、見知らぬ他人に対して親身になってくださる事、本当に感動します。
今後は「お問い合わせ」からご連絡させてただきます。
朝夕冷えるようになってきましたので、どうかご自愛くださいませ。
向日葵の母様
ご返信ありがとうございます。
少しでもお役に立てたようで良かったです。
このようなことは、とても辛く苦しいことですが経験したものではないと分からないことだと思います。いまコメント欄からご質問いただいていますが、こういったことは仰る通り不特定多数の人の目に触れるものですので、もし伏せたいことなどありましたらブログ上部の「お問い合わせ」からメールして下さいね。メールは捨てアドでも構いませんので少しでもお悩みが解消されれば、それが一番だと私も思いますのでお気軽にお使いください。念のため「お問い合わせ」からメールをいただく方も多くいらっしゃいますし当サイトの方向性として、そのための「お問い合わせ」という位置づけで開設しています。
イトケン様
いくつもの稚拙な質問にひとつひとつ丁寧にお答えくださりありがとうございます。
誰にも聞くことができずに一人苦しみ悩んでいる私にわかりやすく温かい言葉で教えてくださり、久しぶりに涙が出てしまいました。
いただいたお言葉を毎朝読み返しひとつずつでも実行してまいります。
本当に苦しく、他にも色々と思い悩む事が沢山あります。ここは公共の場ですので限られた事しか書けませんが、自分の中で疑問などを整理しましたら、またコメントなどさせていただきたいと思っております。
ひとまず、今回教えていただいたことをよく理解して供養に励みたいと思います。
本当にありがとうございました。
向日葵の母様
コメントありがとうございます。とても辛い日々を送られていることと思います。
早速ですが、憑依霊に取り憑かれて自殺するということについて説明させていただきます。
(質問1)霊に憑かれて自殺した場合は、死後も自殺したものとして苦しみを負うのか?
これは自殺したい思念が一番大きなものになりますので、霊が加担する形に関わらず問題は苦しみを抱えていた度合いが死後に影響します。ちがう観点から説明しますと、人といいますのは死んだとしても肉体がないだけで精神や思考などは生前のままの状態を継続しますので、霊になることにより思念が生前より強くなるために苦しみます。
(質問2)自殺が憑依した霊の影響なので事故死のようになるのか?
たしかに突発的な自殺や電車への飛び込み自殺などは自殺霊やなんらかの悪意をもった霊が引き込む(後押しする)ことはあるのですが、これはその人が自殺したいほど苦しんだり悩んでいたかが一番大きな問題になります。もしそこまで苦しんだり悩むことがなければ死後はそれほど影響は受けることなく苦しみません。そのあたりが事故死のようになるか否かの境目になってしまいます。
(質問3)自殺したら憑依した霊と同化するのか?
憑依霊は次なる憑依を繰り返しますので同化はしませんし、霊の数は無数に存在しますので会うこともありません。
自殺した人を遺されたものが供養以外に助けてあげる方法として滝行に行かれたとのことですが、滝行自体は仰るように自己を清めるためのものになりますが決して間違っているとは言えませんが、亡くなった大切な人の自殺の罪が軽くなるようにとの願いは神仏に届かなくても大切な人にその行為が伝わっていることになります。とても身の切るほど冷たかったものをよく頑張られましたね。
供養でも一番大切なのは「亡くなった大切な人を想う心」です。その形式的に分かりやすいのが位牌に線香やロウソクの他に水やご飯(水もご飯も食事前に一番に)果物や生前好きだったものを供えてあげるのがいいです。あくまで霊になれば食べるのではなく匂いが主体になりますので、パック物などは匂いがするように封をあけて出してあげて下さい。供えましたら30分ほどで下げて問題ありませんので放置することなく時間には食べ物は下げて食べて大丈夫です。ただ亡くなった大切な人に対して優先する供養は日々「一緒に過ごせたことに感謝する」「いまでも大切に思っている」「また再生しても家族になりたい」などの想いを伝えることで自殺したものが救われることになり結果として最大限に救う方法になります。逆に「どうして亡くなってしまったの」「私はどうすればいいの」などと悩ませる想いや言葉はかけないようにして下さい。
この想うというのが、自殺したものにとってどれほどの慰めになって苦しみの淵から救われる言葉になることを忘れないで下さい。よくスピリチュアルで適当なことを書かれている人が多いので誤解が浸透しているようですが、自殺したことに対して神様が罪を与えるものではなく、肉体を失くしたものたちは各器官がなくなるために思念が中心になってしまうために生前の苦しい思いが増幅して逃げれない状態になるのです。寝たり食べたり音楽を聴いたり何かで紛らわすことが出来ない世界にいるために逃しようがないなかで、どうして思念を変えれるのかということを考えると出てくる答えかと思います。
それと最後になりますが、神仏というのはとても慈悲深い存在で人間には考えれないほどの心の広さをもっていますので怒るということはほとんどありません。あとは遺されたものが自殺した大切な人の影響で健康を害したり落ち込み続けることのないように一日も早く元気な姿を見せれるようにすることも、自殺したものも励みになると思います。
私は説明が下手なので、もしご不明なことや質問などがありましたら、いつでも遠慮なくコメントして下さいね。
イトケン様
貴重なお話ありがとうございます。
私は最近大切な家族を自殺で失くしました。遺書はありません。
それで、自殺したら人はどうなるか、の答えを探していてイトケン様のこのブログにたどり着きました。
自殺や死後についての記事はほぼ読ませていただきました。
少しお聞きしてもよろしいでしょうか。
精神的に弱くなって、死んでしまいたいと思いながらも実際にはなんとか踏ん張るのが普通だと思うのですが、イトケン様の憑依霊に憑かれて自殺する事があるとのお話で、素朴な疑問がありまして、お尋ねします。
死にたいと思いながらもなんとか生きている人間Aに、悪霊や浮遊霊などが憑依してAが自殺に成功してしまった場合、Aの魂と言いますか、霊性は、やはり死後に自殺した者としての苦しみを負うのでしょうか?それとも、憑依してきた霊のせいで自殺したので、Aは事故死のような死後になるのでしょうか?
憑依霊と、自殺した人の霊は同化するのでしょうか?
それから、少し話は違うのですが、自殺して亡くなってしまった人が早く成仏できるように、遺された者が生きている間に助けてあげる方法は、供養以外にありますか?例えば私は、先日滝行を行ってきました。それは自分を清めるためではなく亡くなった大切な人が自殺の罪が少しでも軽くなるように、その罪を清めていただけるようにと行ったものですがそんなのは間違っているでしょうか。または、意味がないのでしょうか、あるいは、神様を(私自身も亡くなった人も無宗教でしたが)怒らせてしまうようなことですか?
そもそも無宗教なのでお線香やお供えをするのもピンとこないのでどう供養したらいいのかも悩みます。とりあえずは火葬の時と49日にお坊さんにお経をあげていただき戒名、位牌もありますので何となく仏教的な弔いをしている感じではあります。
無知な質問を沢山してしまいすみません。
お時間がある時にお返事いただけると幸いです。
秋桜様
コメントありがとうございます。
自分から死ぬと「逃げた」といいますより、答えになったいないかもしれませんが私はそれが自己の判断のすべてではないと思っております。
いわば助長させるものの存在が間違いなくあるということです。
秋桜様が仰られるように、日本も幇助という思考をお持ちの方は一定数おられるのも事実であり異論ではないはずです。
まさしく物事の考え方は表裏一体であり種々の問題を考えると、どちらが正しいとは言い難いものかと考えます。
ただいずれにしましても、自死も幇助も悲しい選択に思えてならないのが個人的な意見です。
これがスピリチュアルな観点から申しますと、再生(数年~数百年の時を経て)を望んで生まれてきた魂のなかに前世からの補う部分やカルマ(因果)の解消というのが前提になっていることが多く、死を選択することは自分から補おうとした部分やカルマの解消を断念することになってしまいます。
長い間の霊であった身から一瞬の如き人間としての再生で霊的成長を望む観点からすると勿体なくもあり正直複雑な部分です。
なぜならば霊の世界に戻らなければ、現実各々に起きている問題が現世を生きる者として理解できなくて当然だからです。
秋桜様のご意見は間違っていないと思いますが、微力ながらその前に少しでも何とかしていきたいのが私の願いです。
自分から死ぬと「逃げた」扱いされるんですよね。。
第三者がや公的機関が、幇助してあげるのが人道的だと思われます。
ヨーロッパなどでは始まってますが、この考え方は、別に突飛でもなく、一定数の人がたどり着く思考パターンだと思います。
ただ、「最期まで投げ出さない」と言う姿勢にも一定の美学を感じます。
美学が2種類あるんじゃないでしょうか?
それぞれの美学を棲み分けて実現出来る世の中になればと思います。