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育児とは育自であり子供は親の成長の糧なる存在

育児というのは子供を育ててあげるものと多くの人は解釈しますが、本当は育児は育自であり子供以上に親の成長に影響し学びや忍耐などのために授かる糧なる存在なのです。子育てに悩んだり病気や事故で最愛のお子様を失くされることも、すべてが親の成長のために関係しているのです。

 

育児というのは自分を育てる育自である

子育てをすることを育児といいますが、子育てをしていると親が子供に育てられていることに気付かれる人も多いと思います。

実際にサイト検索しましても、この育児というものが育自であるというタイトルに幾多にも当たる通り、育児とは親自身が育てられる育自という意味で間違いありません。

独身の時は、仕事で疲れて帰ってきても親が作ってくれたご飯を食べたり友達と食事したり仕事以外は比較的自由に過ごすことが出来たり、休日は好きなように羽を伸ばすことも一日中寝ていることも時間を自由に使うことは可能だったりします。

しかし出産して子供が出来ると、たちまち生活は一変して自分の時間というものが極端に減ることになったり心身の負担が増えていくことになります。

この自分の時間が減ったり心身の負担というのは子供に費やす時間が増えて、出産当初は赤ちゃんに個人差はあっても24時間問わずの授乳やオムツ交換などに伴い、昼夜関係なく泣くことも独身の時には考えられない負担になる要因になります。

そのほかにも朝は朝食から始まり洗濯や掃除、日中は買い物に検診に夕飯の仕込みに洗濯物を仕舞い、夜は家族の夕飯を作ったり片付けたり子供の風呂に寝かしつけるために授乳しながらといったことを赤ちゃんがいる中でこなしていく感じでしょうか。。。

人によっては赤ちゃんの入浴を一人でこなし、赤ちゃんを洗って着替えを済ませるまで自分の服も着ることが出来ない状況になることもあります。

女性のなかには夫となる男性の協力が得ることが出来ないワンオペ育児に苦労される人も現代においても少なくないように感じます。

これだけでも子供が成長するまでの最初のスタートから、育児ノイローゼになりそうなところを我慢したり睡眠時間を削ることなど様々な負担を乗り越えていくことになります。

育児や子育てとは本当に大変なことですが、このようなことなどを経験しながら親として人間としての忍耐強くなったり成長をしていくことになっていくのですが、これからどのようなことが親の成長につながるかを下記にて説明していきます。

 

幼児とは純粋無垢であり自分を振り返るチャンス

子供は生まれてくるときには、ある程度は性格も資質も持ち合わせています。

そこに親に育てられることによって善かれ悪かれ変化が加えられていって性格や性向などが形成されていきます。

しかし幼児の時はまだ親の強い影響を受け始めなので、すべての子供が純粋無垢の状態を維持しているものです。

この純粋無垢のときには親の固定観念(凝り固まった考え)などから、幼いからとか小さいからといった理由で子供の発する言動や行動に注視することが少なかったり否定的な見方をするように感じます。

余談になりますが、この時期の子供は霊的なものが視えることが少なくありませんし、子供の口を介して神仏や故人の霊が声を掛けてくれることもあるのです。

私が守護霊様から教えられたものに『子供には丸に見えるものが大人には四角に見えるかもしれない。しかしそれは本当は丸なのかもしれない』といったことがあります。

このようなことを言われても理解できない人もいるかもしれませんが、大人が正しいと思うことが本当は間違っていて、子供の言うことの方が正しいこともあるという意味です。

子供の発するものというのは、経験も何もしていないなかで純粋にものをみることが出来る貴重な存在でもあるのです。

こういったことに気付くことが出来れば自分の固定観念(凝り固まった考え)を見直したり気付きをもらえたり、初心に帰るチャンスをもらえるということにもなります。

 

「子は親の鏡」は親の内面を写す鏡でもある

ここで言う「子は親の鏡」というのは、子供を見れば親がわかるというものではなくて、子供が荒れているとか悪いということは、親の状態に問題があるというものです。

対象とする年齢をあげますと成人するまでとします。

年齢によっても当然接し方を変えていかないといけませんが、現代でいう一つの段階が子供が親にスキンシップを求めなくなる年齢かなと思います。

この時期までの子供は、親に甘えたかったり目を向けて欲しい年代とでもいいましょうか。

一つ目の段階の子供が悪かったり荒れたり言うことを聞かないなど反抗的な態度をとるときは、親自身に余裕がなかったり気分にムラがあったり面倒臭くて型にはめようとしているときです。

いわゆる親自身に問題があり、接し方は精神のバロメーターともいえるのです。

子供の態度は顕著に出ますので、子供に異変を感じるときは自分の視野が狭くなっていたり自分に問題があるといって過言ではありません。

毎日鏡を見て自分の顔の様子を伺うのと同じように、子供を注意深く見ることによって自分の内面の状態を知るといったことにもなります。

このようなことから日々心に余裕をもって、子供とのスキンシップ(抱きしめてあげたり)をはかったり遊ぶときに同じ目線になってあげたり、ときに子供が酷い発言をするようなときは余裕をもって大人目線で冷静に対処したりと、心豊かになっていくことも親として人として大切な時間を過ごしていくことになるわけです。

では、次は二つ目の段階ともいうべき時期の学びについて次項にて説明していきます。

 

『親の心、子知らず』は無償の愛と自尊心の強化

子供も成長してきますと生意気になっていき、世間のことも親の苦労も何も知ることもないのに一人前な口を聞き、勘違いの塊のような評論家みたいになっていく世代を二つ目の段階とします。

少し表現が悪い気もしますが、このまま説明を続けていきます。

このことは逆にいいますと『子の心、親知らず』にもなるわけで、どちらがどうだというものには甲乙つけがたいというのが正直なところなのです。

親としては子供のためを思って言っていることも、子供からしますと鬱陶しく思えたり反発したりするものです。

状況や内容の種類は置いておきまして、親側に言えることは過干渉しない・過保護にしてはいけないことが沢山あるということです。

親からしますと危ない目に遭ったり苦労させたくないなどの理由から、自己の経験や持っている知識を活用して子供に言ってしまうことがあると思うのですが、人生経験の浅い手探りのなかで生きている子供にとって親のこうした発言が気に入らないのです。

『可愛い子には旅をさせよ』といわれるように、子供には子供の人生があるので失敗も苦労も危険も子供が身をもって経験しないといけないということです。

ここで出てくるのが相当の我慢であったり愛であったり、人(子供または子供の可能性)を信じる心を奥深さをもっていかないといけないことになります。

もう一つ言いますと、子供の人生なので親の責任は「親がいなくなっても生きていける子供」にすることだけが親の使命といえます。

このようなことを経験する親にとっての我慢も然り、無償の愛を続けてきたなかでも信じる心を強化したり、自尊心(自己肯定感やプライドとも類似する語句)を曲げたり譲歩するといった結果的にこれらを強化していくことに繋がっていくものになるわけです。

 

子供の死とは親の試練に深く関係する

大切な子供であり最愛の子供を事故や病気で亡くしたのに、親の試練といわれても納得がいかない人も多いかもしれません。

霊的な世界を知っているものからしますと、老弱男女との死別は例外なく早かれ遅かれすべての人に必ず訪れるものであり、その辛苦や悲しみを乗り越えて人として霊として成長に深い意味を持つものになっていくことになります。

ここでは子供の死について少し説明していきます。

子供の死と直面する親にとっては、後悔や自責の念に苛まれることになるケースが多いと感じますし、このようなことは計り知れない悲しみのどん底に身を置くことになります。

しかし子供の死は親の責任というよりも、その子の宿命であり寿命がきたものです。

小さな命を救えなった苦しみは、親にとっては耐え難く生きていくことさえままならない境遇に追い込まれるのですが、本当に気付いて欲しいことがあります。

人はいくつもの生死を繰り返しながら霊的な成長を目的として生まれ変わってきます。

今世では経験したくないほどの境遇に身を置き、生きた心地さえしない日々を過ごすのは、子供が身をもって親の霊的な成長のために生まれて来てくれているのです。

そのような子供たちは、霊の世界では痛みや苦しみというものがなく一般の故人(霊)よりも成仏の世界に行くのが早いことが普通であり、寂しさというものも先立ったご先祖や周りの霊たちのサポートによって解消されていきます。

なかには亡くなって間もなく霊的な自己を取り戻し、霊的に成長した意識で過ごすこともあるのです。たとえが飛びますがイエスキリストの死後は彷徨うことなく神の元へ戻ったといわれているほど、人のために生まれて来てくれる魂というものが多く存在しているのが現実です。

少し話が逸れてしまいましたが、子供の死を通して親が自分というものに向き合い、深い悲しみや苦しみを乗り越えて様々な学びを受けるための試練として、大切な子供また最愛の子供との死別というものが訪れるのです

いずれにしましても、子供の死というものを無駄にして欲しくなく一日も早く気付いて欲しいようなものになります。

 

さいごに

最近のお問い合わせからしましても、お子様の死や子供に関する質問などを受ける機会が増えてきたために少し書いてみました。

子供とは、純粋無垢で無邪気な存在です。子供は育てるものではなく親が育てられたり学ばされることが非常に多い存在です。

お子様と一緒に過ごす僅かな時間を大切に使って頂ければ幸いに思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

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POSTED COMMENT

  1. イトケン より:

    ろど様

    はじめまして。コメントありがとうございます。

    お母様が旅立たれて数か月とのことで、想像以上に受け入れ難くとても辛く悲しいですよね。ろど様が生きられるところまで生きられたら必ずお母様は迎えにくれて再会できます。亡くなられる最期の姿ではなく、元気に過ごされたときの表情や姿であらわれ痛みも苦しみもない状態での再会です。お母様のご出棺のときに別れを告げなかったことは、ある意味正解で肉体がなくなるだけで間違いなく存在していますからね。お母様が心配されないように会う時まで頑張って楽しく生きていってください。すればお母様も案じることなく安心して過ごすことが出来ることでしょう。

    ブログを楽しみしてくれているとのことは、とても嬉しく励みになります。今後とも、よろしくお願い致します。

  2. ろど より:

    はじめまして。
    私も数ヶ月前に母を亡くしました。覚悟はしていたつもりですが、思っていた以上にとても辛いです。
    何度も母は頑張って元気になってくれました。限界まで頑張ってくれたと思います。大好きでした。
    とても辛いですし、寂しいですが、私も生きられるところまでしっかり生きれば、いつか会えるんですね。
    イトケンさんの言葉で、とても救われます。
    母の出棺の時もさよならだけはどうしても言えませんでした。また必ず会いたい、会う!って願ったからです。
    いつか会えるのなら、それまで頑張って楽しく生きようと思います。
    これからもイトケンさんのブログを楽しみにしています。
    ありがとうございました。

  3. イトケン より:

    のばら様

    おはようございます。お気遣いありがとうございます。私の方は元気に過ごさせて頂いています。こちらこそ本年もよろしくお願い致します。メールの件ですが、昨晩ヤフーメールがログイン障害があったためなのかメールは届いていませんので、よろしければ再度お送りいただければ幸いです。

  4. イトケン より:

    しろくま様

    こちらこそ、ご返信ありがとうございます。
    やはり娘様の夢を見られるのですね。間違いなく夢で会われています。しろくま様のことは見えていますし日常のことはよくご存じです。残されたものにとって見えなくて感じ取ることが容易ではないですが想像以上にお近くにいることが多く、思念というものは生死問わず飛ぶものですので娘様のことを思えば来てくれたりします。霊的な世界で思念というものは、お声掛けと同じと解釈して良いものです。しろくま様のお気持ちは伝わっていますが、涙されている姿や後悔や自責の念を感じるので心配されているようです。悲しみや寂しさが癒えることは簡単ではありませんが、少しずつでも前を向かれて時が来れば再会されて頑張ったと伝えてあげて下さい。いつでも不安や心配事があればコメントして下さいね。

  5. のばら より:

    イトケンさん、おはようございます。
    昨晩長文のコメント入れさせて頂いたのですが、
    何だか上手く送れていたいような感じでしたので
    確認で送っています。
    届いていますでしょうか?
    あ、それから挨拶が前後して申し訳ありません。
    お元気で過ごしておられますか?
    今年もよろしくお願いします。

  6. しろくま より:

    イトケン様、返信くださりありがとうございます。娘の夢を見ます。娘と会えているのかな。そう願っています。娘には私の事、見えてますよね。私が感じ取れないだけですよね。思えばそばにきてくれてるのでしょうか。お母さんは、涙することもあるけど、気にしないでね、涙はあなたが大切で大好きだからだよ、その気持ちだけ分かってね、心配しないでねと心で思っています。伝わっているかな。
    イトケン様、寿命を全うしたら間違いなく再会できる、また一緒に居ることができるという言葉に涙がこぼれました。
    前を向いて歩いていきたいです。娘に会った時にいろんな話がしたいです。お母さん色んなこと頑張ってきたんだよと言いたいです。娘の話もたくさん聞きたいです。
    イトケン様、話を聞いてくれて本当にありがとうございました。

  7. イトケン より:

    しろくま 様

    はじめまして。コメントありがとうございます。

    娘様の死は気付いてあげることも、誰にも止めることはできるものではありませんでした。たしかに突然なくなってしまったことに戸惑いはあったようですが、現在は寂しくも苦しくもないようです。とても素敵でかわいい娘様であったようで、しろくま様のことを今も思ってくれておられていることは感じ取ることが出来ます。娘様が困っていることといいますと、しろくま様のことをとても心配されています。娘様のことを夢で見ることはありませんか?夢というのは見たくて見れるものではなく、霊体としての再会になります。娘様の現在の状況は成仏の世界に身を置いておられ、生前同様に元気を取り戻されて面倒みの良い性格をうかがい知ることができます。

    娘様との再会ですが、しろくま様が寿命を全うされましたら間違いなく再会できますし、また一緒に居ることが出来ます。娘様のためにも、生死を越えた関係を続けられて一日も早く、しろくま様が元気を取り戻されることが娘様の平穏な幸せにつながります。供養に関しましては問題ないようですので、娘様の自慢の母親であるように前を向いていってくださいね。サイトを見て頑張っていると仰っていただいて、とても嬉しく励みになります。

    いつでもお気軽にコメントでもお問い合わせ(匿名・捨てアドで良いです)でも大丈夫ですので、利用して下さいね。

  8. しろくま より:

    はじめまして。一昨年6月に娘を脳出血で亡くしました。小学6年生。体も丈夫で健康でした。水泳や部活は吹奏楽部でした。娘は中学に進学するのも楽しみにしていました。いつも笑顔が絶えない誰からも慕われる優しい子でした。突然逝ってしまって本人もびっくりしたと思います。何故気づいてあげられなかったのか、今、苦しくないかな、困ってることないかな、何か話したいことないかな、またいつもの様に話がしたいな。私は今でも毎日苦しいです。時間がずっと止まったままの様な感じです。今、娘はどうしてるのでしょうか。またいつか会えますか。。私の願いは娘の幸せです。心穏やかに過ごしてほしいです。気持ちが落ち込むとこのサイトを見て前向きでいられる様に頑張っています。

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