スピリチュアルな世界には神仏と会話ができる人がいたりしますが、基本的に何かの答えを具体的にもらえるといったものではありません。なぜならば神仏の言葉は人の人生そのものを左右するようなものであってはならないからです。
はじめに
見出しでは神仏の言葉は単語と書きましたが、単語というより短い文が非常に多いです。
この記事では、なぜ神仏は単語が多いのかという意味を書いています。
日本のスピリチュアルの世界では、神仏をサービス精神旺盛な存在と勘違いしてらっしゃる人が多いことに驚きます。
祈願や開運といったこと然りで、何かの具体的な答えや事細かな説明をしてくれるような存在ではありません。
人間の叡智を遥かに越えた位置にあらせられる方々が、地上に生まれてきた私たち人間の人生の問題を解決するほど残念なことはないのです。
こうしたことは、さもすれば生まれてきた意味がなくなることに繋がるからです。
神仏の言葉が単語である意味
少し能力のある人になりますと、神仏の言葉が降りてくるといったものを拾えるのですが単語(短い言葉)である方がごく自然なものです。
なぜ単語である場合が自然なものなのか。。。?
『一を聞いて十を知る』の諺(ことわざ)のように、何を伝えてくれようとしているのか、どのような気付きを与えてくれているのかを自分で考え理解するために『単語』『短い言葉』であるのです。
このことは勉強が出来なかったブログ管理者の私が言っているので、たとえ神仏が単語しか降ろしてくれなくても理解に悩む必要はないと思います。
よく神仏とあれこれと話しているようなブログや書籍を散見しますが、それは発信者が神仏や高次元の存在を人間と同じ目線で捉えているからそうなるのです。
人間は言葉を発しそれを耳で聞くというのが普通なことですが、肉体のない存在は人間の身体を使わないと言葉を発する事は不可能なわけです。
私は霊媒に憑依した高尚な存在などと会話をしてきた経験をもちますが、これはあくまで人の肉体を借りて話すために言語を耳で聞き取ることが出来るのであって、見えない存在が伝達する手段は思念でしかないことをお分かりでしょうか?
それも霊能者(神仏と会話する人)に清浄さを欠く行ない(お金儲けなどの欲望)が続けば、波動が下がってしまい神仏や高次元との交信は途絶えてしまうのが普通の考えです。
もちろんこうなると、神仏になりきった邪霊や悪霊系と波動が合いやすくなるために本人は神仏と信じ切っていても実は邪悪なものだったりするのです。
大切なことは神仏や高次元の存在は如何なるものに対しても贔屓をしないどころか、霊能力があるような一部の人間だけが利益になるようなことはなさられないのが基本です。
利益とはお金だけでなく名声といったものも含みます。
要は神仏と話せるような人は、人生に大切なことを衆生の心に火を灯すような発信をしなければ神仏の言葉は受け取れなくなっていって当然のことです。
少し逸れてしまいましたが続けますと。。。
神仏の言葉は短い言葉が適切であり、解釈の間違いが起こりにくいことにもあります。
私がこれまで教えを授かったことも比喩的なことが多くて、それをさらに自分のなかで解釈していくような感じでした。(これは憑依による会話時)
言葉が降りてくるのは、ふとした時に浮かんでくる感じです。
これが人と話すときに出てくると自身が話しているので現代語なのですが、自分の知らない仏教や神道などの教えをスラスラと発したりします。
こうしたことも不思議でしかありません。
みなさん勘違いしているかもしれませんが、神仏って数百年数千年以上前の存在が多いわけで発する言葉が現代語とは限らないのですよ。
もちろん、特定の人に対して特定の神仏が交信するのであれば言語を真似てくれることもありましょう。。。
しかし、それがすべてではないという観点からもナゼ単語や短い言葉が多いのかお分かりいただけると思います。
さいごに
神仏の言葉は清浄な心を持った人であれば誰でも受け取れると思います。
もしかしたら、それが故人や先祖の場合もあるでしょうが。。。
ただ言えますのは、波動が低くなれば受け取るものが変わってきます。
ということで、今回は神仏の言葉について書いてみました。
それでは、この辺で終わります。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>