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水子の祟りのウソと本当|流産・死産・中絶について

テレビやネット・一部の霊能者や寺などからの影響で水子の祟りがあると信じている人が世の中に多くいるようですが、この世に生まれてこれなかったものの本当のことを知れば水子の祟りがウソであることが分かります。そこで流産・死産・中絶といったことについて、それぞれ水子の祟りより知っておきたいことを説明していきます。

 

水子の祟りがウソである理由

 

ちび子
ちび子
なんで水子の祟りがないって言えるん?

 

イトケン
イトケン
それはね、まず赤ちゃんが悪霊に変異したものと関わったことないこともないということ。それとこれは私見が入るのだけど昔の宗教的な思想が命の大切さから広めたとも考えれるんだ。

 

ご存知の通り妊娠中に胎児が亡くなったり・流れたり・中絶(堕ろしたり)したことによって生まれてこれなかった赤ちゃんのことを水子といいます。

世間では、このように生まれてこれなかった恨みや寂しい念を水子がもつために祟りが起こるといわれており、これを水子の祟りというようです。

 

こういったことは残念ながら金銭が絡むことから世に広く浸透してしまったようです。

実際のところですが仏に仕える住職や僧侶といわれる人たちの多くが霊能力や霊感というものを持ち合わせていないものですから、神社やお寺で霊のことに対処できるところが少ないのです。

 

「水子を供養するお寺の関係者は、水子といわれる存在を感じることもなく見ることもなく供養しているのが普通なわけです。」

 

言い方が悪いですが、お経を読んで仏の教えを言ってればいいのです。

 

それでは水子の祟りがないものかということを、これから詳しく説明していきます。

この水子といわれる何らかの事情で亡くなった胎児ですが、懐妊中段階の魂というのは資質という性格的なものは持っていますが、はっきりとしたものは持ち合わせていません。

それを証拠に普通に生まれてきた赤ちゃんは、まだ何も分かっていない状況ですよね。

もっといえば欲求というとお腹が空いたからミルクを望んだり、オムツが濡れて気持ち悪くて泣いたり細かな欲求があったとしても、その程度なものです。

おまけに生まれて間もないころは、目も見えなく手を握るのも偶然のようなものです。

成長するによって性格が形成されていきますが、どうであってもお母さんのお腹のなかでは純粋無垢でしかなく人を憎んだり恨んだりすることすら知らないのが普通なのです。

 

このような状況ですので、懐妊中といいますか妊娠中に何らかの理由で生まれてこれなかったとしても、祟りを起こすといった念が生じることはあり得ません。

胎児の魂が母親のお腹で受肉(霊が宿る)したときには前世や霊であった時の記憶はありませんので、何もかもリセット状態の存在ですので怨念・憎悪・寂しいといった感覚を持ち合わせないのが正しい見方です。

 

なぜ水子の祟りが通説になっているのか

 

以前はよく霊能者が出てテレビなどで水子の祟りというような番組をやっていたようですが、視聴率が上げるために番組が仕掛けたものであることが多いのです。

このテレビの番組(視聴率アップ狙い)のために、このような間違った情報が通説になったに過ぎません。

いまでもネットを検索しても、「水子供養」「水子の祟り」「水子は怖い」などというようなものを見かけますが、これらは寺を含む宗教団体や一部の霊能者などが本質を知らないままに情報を出しているに過ぎません。

なぜならば、お母さんになるはずだった人の懺悔の思いや不安や恐怖を煽ることによって、お金儲けをするといった人たちが宗教に絡んでいて絶えないのが事実なのです。

それは霊能者とて、すべてではないですが同様のものが多数存在するわけです。

 

このように遥か昔から水子の祟りというような説は定着してはおらず、比較的歴史が浅いなかで形成された逸話のようなものでしかないのです。

 

胎児が流産や死産してしまう理由

 

多くの場合、流産や死産といいますと母体などに問題があると思われがちですが、決してこのようなことがすべてではありません。

医学的に見れば、そのような原因として判断せざるをえない状況でしかないだけです。

 

これには胎内に魂が宿る(受肉するともいう)かたちなのですが、この魂もさまざまで長く生きるものがいれば陽の目を見ることなく母親の身体のなかで短い寿命を迎えるものがいるのです。

このことは受肉した魂である霊(分かりやすくいいますと赤ちゃん)があらかじめ決めた寿命であるものと、父親や母親になる人の試練である場合とがあります。

なぜこのようなことがあるのかと申しますと、霊から再生するかたちで人間の世界に来るのですが、前世で何らかの事情で決めた寿命まで生きれなかった分を補うためであったり、カルマという前世での因縁であったりするのです。

もうひとつは父親や母親になる人の試練という修行なのですが、こちらも前世でのカルマが関係していたり、何らかの事情で今世で子どもに対しての苦しみや悲しみを自ら背負うと決めてきた結果だということがあります。

信じれないかもしれないのですが、再生(生まれ変わり)するときは何らかの前世で足りないもの・やり残したこと・人に対して冷たくしてしまった因果などの試練を自分に課してきます。

これらが今世で死産や流産になる要因でもあるのです。

 

死産や流産をした魂が完全に再生を遂げれなく終わるのかといいますと、そこは別の母胎に宿ることがあるといわれています。(この部分だけは書物から引用しています)

 

中絶は神の真理からも罪深きこと

 

このことは中絶に限ったことではないのですが、命あるものすべてにいえることで動物でさえ殺すことは罪深いこととされています。

これはたとえ実験用のモルモットなどの小動物であっても、牛や豚や鶏などを屠殺(家畜などの獣類を、肉・皮などを取るために殺すこと)も良くないことなのです。

中絶と動物を同じ扱いにするのはどうかと思いますが、命あるものの寿命を断ち切ってしまうことには変わりありません。

これらのことから分かりますように、中絶によって水子の祟りということは起きることはないのですが別の問題として捉える必要があるわけです。

 

命を葬ってしまった医師や依頼した親も免れないカルマを背負ってしまったことになるのです。このようなことが今世から続く流れとなって来世にまで影響を与えるのです。

少し慰め的な話になるかもしれませんが、中絶される胎児も流れが分かっていながら母胎に宿っていることも事実なのです。

霊格の高い霊や守護霊クラスになりますと、その人の一生の運命が読み取れるといわれているのが霊の世界であって、再生を繰り返そうとしている魂の行方が未知な状態のまま母胎に宿ることはないのです。

あらかじめ筋書きができた状態で宿っているということです。

 

水子供養はどうすればいいのか

 

死産・流産・中絶にしても「水子供養」という形に捉われる必要はありません。

ひとつの命として普通に供養してあげれ良いのです。

各所に水子供養専門のお寺などがあるようですが、そこにお願いしないといけないということはまったくなく普通で大丈夫です。

さらにいいますと煩悩や思念の少ない魂であることから供養さえしてあげれば問題ないということです。

ここで再度いいますが、1歳2歳の子どもが殺されたからといって怨霊になった事実を見聞きしたことがあるでしょうか?実際にはないですよね。

それよりさらに幼い胎児だけが怨念をもつことはないのです。

このようなことからも、水子供養という概念をはずされても大丈夫なのです。

 

私はいつもいってるのですが、供養は心が一番大切なことなのです。

水子という形式に捉われることも必要ないのです。

出来る範囲でやってあげれば問題ありません。

ただ水子は幼い魂ですから、優しく接してあげるような供養を心掛ける方が随分とよいものと感じます。いえば生きている我が子のように接してあげて下さいね。

 

さいごに

 

項目で書きませんでしたが、私の経験からしましても胎児や幼児のような魂は純粋無垢な状態なので浄化(成仏)が早いように感じます。

霊の世界で色々と邪魔をするのが思念なので、このことからも水子供養というほど特別視することはないということで書かせていただきました。

よく中絶して体調不良になったり家族の流れが悪くなった悪いことが起きたなどというようなことも、水子の霊が原因というよりも中絶したことや偶然を結び付けていることが多いように思います。

子どもが出来なかったことに落ち込んだりすることから、波長が合ってしまった霊が寄ってくることで霊障として現れることもあるのが実際のところです。

ですので水子に結びつけることはしなくていいのです。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

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