死後の世界

死んだらどうなる|家族・愛する人・自分の死後

大切な家族愛する人が亡くなったり、自分が亡くなったときに死の瞬間という臨終の状態の時の状況から葬式のときはどうしているのか、死後の感覚や状態のほかに家族・愛する人・親しくしていた友人などに会えるのかなどの流れを分かる範囲で死んだらどうなるのかをお伝えしていきます。また死後の世界を信じないと、どうなるのかなども加えて説明していきます。

 

死後の瞬間はどうなる

 

はじめに・・・これを書く前に少し他のサイトを覗いてみたのですが、ほんとうに諸説あってどれを信じていいのか分からないことになるかもしれませんが、霊媒体験から得たなかでの説明をしていかせていただきます。

 

多くの人が周知の通り死んでも、まず間違いなく魂は死なずに霊となって存在します。

死んだ瞬間といいましても、病院で亡くなられる人もいれば自宅で急死する場合もあれば外出先で事故や事件などに巻き込まれるといった形でさまざまです。

しかし一番気になるのは、完全に息絶えるまで意識があるのか痛みや苦しみはあるのかですが。これについては少し前に記事に書いていますので、そちらを参照していただくとして飛ばさせていただきます。

その記事については下記になります。

死の瞬間と死後の痛みや苦しみはあるのか

 

そこで病院や自宅や外出先で亡くなられたことについてですが、よく死の寸前に呻き声をあげていたり何か言葉にならないことを発していても、実際のところは魂は抜けてしまっている状況になります。

いわば残された肉体の条件反射のようなもので、こういったことになっているのです。

その死の瞬間といいますか死の前後は魂が抜けていることが多く、ほとんどは魂が抜けて自分の肉体の上あたりをフワフワと浮遊している状態になります。

ここでひとつ伝えておかないといけないのは、死から生還した人とはこの状況が異なることになるケースのほうが多いのです。(暗闇であったり浮遊もあるようですが・・・)

看取っていた家族が泣き叫んだり、事故現場に集まってきた人のなかに顔にタオルをかぶせてくれる人など色々ですが。

ここでほとんどの人(死の当事者)が・・・

いや、死んでないし

って思われる状況になります。

これが死後の本当の瞬間になります。

 

葬式や通夜の状況に同席している

 

まるで他人の葬式や通夜に同席している感じで他人事のように同席しています。

まだこの段階でも自分が死んだことも分かっていない人が多いのです。

なぜならば自分の意識や感覚は生きている時と何も変わっていないので、「なぜこんなことしているのか不思議」程度にしか思えない人が大半ですので、多くは一緒に参列していることもあります。

すべてとはいいませんので、死を自覚していて亡くなられた人のなかには葬式や通夜で認識する人も当然存在します。

 

四十九日前後か、それ以降の状態

 

説明の目安で四十九日という形で書きましたが、だいたいこのあたりの時期までは亡くなった人のほとんどが自宅に戻っていることが多いです。

霊となったことの認識の有無にかかわらず、生前と同じパターン(ルーティン)を繰り返すためにこのようなことになります。

ただ少しづつ自分の変化にも気付いてきます。

それは触るものすべてがスケルトン状態ですり抜けること、自分が近くに居ても誰も気付いてくれないなどの状況に戸惑い始めてきます。

おそらく、こうやって文面を呼んでいるとそんなものなんだと思うでしょうが、実際には焦ると思います。

肉体がないほかは、性格も感性も性向もなにも変わらないからです。

 

この四十九日ごろになりますと、早い人で死を受け入れることから先に他界した親族や親しい友人などが会いに来てくれたりします。

世間でいいますお迎えといっていいのでしょうか、定かではありませんが・・・。

先に他界した家族や親しい友人、場合によっては愛する人との再会ができます。それには彼らの階層が上がっていても波長といいますか波動といいますか、それを下げてでも会いに来てくれるのです。

ただし自殺してしまいますと波長(波動?)が低くなりますので、そこまで波長(波動?)を落とすことが困難なので会えないことになります。

これが自殺した人の後を追って自死した場合も会えないことになりますが、それも先に自殺した人の思念が強いために困難を極めますが、堪えて寿命をまっとうすれば会う方法は無きにしも非ずです。

 

少し逸れましたが、この四十九日で一般的にいわれる成仏するということは現実には難しいものではないかと思います。

何も地上生活で心配していることや色んな欲、未練などがなければ考えられるのですが現代の人ですと、なんらかの思念が邪魔するようにも感じます。

相続などの遺族の争いも霊として見ることになるのも当然にあります。

 

死を受け入れるか否かの認識の差

 

少しでもスピリチュアルを知っている人ならまだ認識することは早いと思うのですが、やはり霊も神仏も信じない人などは、長い期間において自分の死を認識できないといったことに陥りやすいことになります。

それほど死後の状況というのが、いまと変わらない状況だからです。

ですから死を受け入れない人は、長い期間浮遊霊のような未浄化霊として彷徨いやすくなっていきます。

よく道端で座り込んでたり徘徊している霊のようになりそうです。

死を受け入れたとしても、思い残したことなどや思念が強いと霊の世界で前に進むことは難しくなりますが、それでも大まか霊の世界を知っていれば何れ進歩はしていきますので、それほど問題ではありません。

 

かならず生前の行ないの映像を見ることになる

 

これが意外と大きなことなのかと思います。

ここでは善いことも悪いことも回想するかたちで映像で生前を振り返る感じです。

普通に生活してきた人は、それほどショッキングな映像はないかもしれませんが、たとえば暴走事故で人を轢き殺したとか人を虐めたり殺めたことなども見ることになるのです。

これが死後に堪えがたい思念となって焼き付いていくわけです。

まあですが、利己的な人や殺人を犯した人などは死後に波長の合うものが同類しかおらず暗闇へ行ってしまう運命ですので、ここで初めて罪の帳尻合わせがスタートするのです。

こういったことが映像のように見ることになるので、自殺した人は原因がクローズアップされ思念で苦しみ、欲深い人は生前の資産の物欲が気になって仕方なくなっていきます。

 

死後は先祖や親族や愛する人以外に類魂にも再会

 

よくスピリチュアルに出てくるグループソウルという言葉がありますが、これが類魂というものです。

現世での家族とは別に本当の家族に再会することにもなります。

いま孤独だとか真の友人がいないとか思われる人もいるでしょうが、不動の家族(仲間)たちが迎えてくれます。

本来は人間として生存する期間というのは、霊的な世界からとすると一瞬の旅行や学校のようなものであって霊の世界がメインで駆け引きなしの清浄な家族(仲間)と再会するわけです。

このグループソウル(類魂)はだれにも存在していて、現世で友達がゼロでも霊の世界に戻れば多ければ数千体から十数体の家族(仲間)がいるといわれています。

こういったことも霊の世界に戻れば現実としてあるのです。

 

自分が寿命を終えれば会えるのか

 

はい。家族も愛する人も親しくしていた友人にも会えます。

まず霊の世界は、形式だけではなく愛というものが大きな影響をもつものです。

もし彼らが上の階層に行ったとしても間違いなく会えます。

ただし生前は夫婦だったからとはいえ、仲が良くなければ会わないこともあるでしょう。

 

さいごに

 

サッと書いてみましたので抜けていることがあるかもしれませんが、こんな感じで死後は過ごすことになります。

本当はこれを書くにあたり、先立った人たちのことが気になるかと思い書きました。

ですから死後は一方通行に感じるかもしれませんが、思っていることも言葉も亡くなった人に間違いなく届くということです。

「死に際に会えなかった」「言葉をかけてやれなかった」「お礼が言えなかった」かもしれませんが死後でも100%伝わるので、存在を身近に感じて欲しいと思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

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POSTED COMMENT

  1. イトケン より:

    ゆめ様

    コメントありがとうございます。
    そういっていただけますと幸いです。
    少しでも心癒える日がくるといいのですが・・・。
    そうです、生きていかなくてはです。
    何か不明なことなどがありましたら「問い合わせ」からメールもできますので、お気軽にご利用くださいね。

  2. ゆめ より:

    こちらの記事を何度も何度も読み返し、息も止まりそうな思いに耐えています。つらく耐え難い日々が続きますが、何とか生きていかなくてはと思います。本当に心の支えにさせていただいています。ありがとうございます。

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