人は遅かれ早かれ『死』というものを迎えますが、亡くなり方や今世の行ないによって個人差がある死後の世界の実情と成仏の世界とは、どういうところなのかということを分かる範囲で説明していきます。

 

死んだらどうなる基本的なこと

この人間の死という解釈についてですが、肉体に例えるなら借りていた衣服を脱ぎ捨てる程度のものでしかないということです。

現実として肉体がなくなるだけであって魂は生き続けるので、何も変わらない自分が存在していることに戸惑いながら魂の存続に気付いていくことになります。

この肉体がなくなるだけと書きましたのは、性格や感情また知識や嗜好また性的嗜好などもそのまま死後の世界に引き継いでいくことになります。

死んだという人間の世界での区切りは、霊の世界からしますと一時的に棲む場所が変わっただけであり、死後は地上界と成仏の世界との中間のようなところに身(魂)を置くことになります。

成仏の世界に行くまでには個人差がありますが、おおよそ先に他界した先祖や家族また知友といった存在の導きによって成仏の世界にあがっていくということが一般的です。

では、このあとは死後から成仏までの流れやその世界はどのようなところなのかを説明していこうと思います。

 

死後の間もないときの状態

こうしてスピリチュアルに興味のある人や死後の世界のことに興味のある人は、まだ死後に戸惑うことは軽度?といいますか、あまり問題はないと思いますが、死後の世界を否定していた人や何も知識のない人の多くは間違いなく戸惑ったりオロオロしたりするものです。

よくありがちなのが自分が死んだことに気付かない状態になる、いわゆる死後の自覚が出来ない人が少なくないといった感じです。

なので自殺した人などの霊は何回も自殺行為を繰り返してしまうといったことは普通によくあることといえます。

このようなことから、お葬式や法事(初七日・四十九日・初盆など)を行なうことによって自分が死んだことに気付いていくのが一般的です。

もし法事などが執り行われないような人の死は、自覚することが遅れるので未浄化霊などになって彷徨ったりすることもあります。

自分の葬式なのに他人事のように葬儀に参列していたりすることは、とても多いです。

あと祖父母や両親などが死ぬ直前に枕元にきたり虫の知らせのようなことが起きるのは、その状態というのは意念が届くもので、まだ生きているのに肉体から魂が抜けている状態を表しているものです。

人の死というものは、肉体が微弱に機能していても魂が抜けているといいますか、魂が皮一枚でつながっている状態になることは普通にあります。

この状態についてですが、一部の霊格の高い(魂の成長した)ものは死後の世界を知らなくても戸惑うことなく過ごすものがいたり、いきなり成仏の世界を越えて階層の高い境涯にいくものも存在します。

 

死後の自覚と中間の世界

自分が死んだことに気付くと通常は先立った霊たちがお迎えに来てくれたりするのですが、地上の世界に未練や執着がありますと、そこから離れたくなかったり気になったりすることもありますが、よほどの強い想いや念がなければ先祖や先立った家族や知友のものたちの姿を見て安心して成仏の道に上がられるのが一般的です。

この中間の世界では、どちらかといいますと地上界という人間の世界とも密接で霊なのか人間なのかというような感じで過ごすようなものです。

では成仏と中間の世界では何が違うのかといいますと、成仏の世界では人間として住んでいた環境を格段に良くした地上界と同じような世界であり、中間の世界は肉体がなくなった状態で地上界に存在するとでもいえましょうか・・・。

ここで注釈ですが、死後の世界という場所は遠く離れた宇宙の果てなどと思われるかもしれませんが、異次元という説明が正しいのでしょうか、空の上あたり?といった説明が正しいのか分かりませんが、そのような感じです。

 

成仏という世界(夢幻の世界)

成仏といいますと魂(霊)の終着点のようなイメージを持たれている人も少なくないようですが、本当はその上の階層へ行くために何度も生まれ変わりを繰り返し霊的な成長を望むことになります。

成仏の世界を一言でいいますとパラダイスといって過言ではない世界です。

 

=成仏の世界が、どのような世界かということを少しあげてみます。=

◎生きるためや食べるために働くことがない。

◎肉体がないので病気や痛みや肩こりなどが一切ない。

◎地上にいたときと同じような世界(もっときれいな世界)

◎周りには生前に共にいた家族や友人がいる(他界してきているものたちやペット)

欲しいものは何でも手に入る(物質といわれるものは、どんなものでも入手可能)

◎やりたいことがすべて叶う(趣味・スポーツ・旅行・釣りなど)

◎食べたいものが何でも食べれる(意識のなかの欲求であり本来は空腹というものがない)

◎犯罪や醜い人間模様を見聞きすることがない。

◎穏やかな日常など

 

このような世界が、成仏の世界です。

しかし生前の記憶も性格なども変わらないままの自分がいてるのです。

 

成仏が最終的な目標ではない

この成仏の世界に浸り続けるものがいる一方、何の不自由もない生活も満ち足りた生活にも何れ飽きがくるときが訪れます。

すると、この成仏の世界から出ようという気になり、上の階層に行くために霊的な成長をしたいと望んだり、自分の足りなかった部分を補おうとする思いから再度再生(生まれ直す)して目的を果たそうと願うのです。

このときに人間としてお金持ちになれなかったとか地位や名誉などの目標が達成できなかったなどを考えることはなく、霊的な成長という課題に沿って目的が出来ていくのです。

そのために霊的な成長を望むということは、地上界という人間の世界で何らかの辛苦を自分に課すことの方が多いということになります。

なかには前世でのカルマの解消を目的として、イジメをして人を追い詰めたら今度は追い詰められる側にまわりたいと望み、人を騙してきた人は騙される側に、虐待してきた人は虐待される側に、と自分の悪しき行ないを今度は身をもって受けて乗り越えようとします。

ですから今世での苦しみや悲しみというのは、生まれる前に自分が設定したものでしかなく、偶然に起きたことではないということを理解して欲しいのです。

少し私見ですが、霊的な成長を望むうえで人間という世界で様々な経験や体験を通して利他愛に目覚めていくことが目的なようにも感じます。

 

さいごに

霊的な世界のことについて、本日に別の記事でエビデンス(証拠・科学的根拠・証言・形跡・裏付け)を求められる方がいましたが、机上の理論や科学をもって立証できるものではないので、そのような方は自ら体験されるように努力され本記事が真実であることを確認頂きたいと願います。

当ブログでは霊的な関わりから得たことをベースに記述し、基本的に他者引用をするつもりは一切ありませんので、他者と見解が異なることも多々あります。

本記事の目的は興味を引くためとは一切考えておらず、霊的な真実と残された人や悩み苦しむ人たちに少しでも寄り添うことが目的であり、机上の理論や宗教的教えよりも事実を優先したものです。

少し本記事と違うまとめになりましたが、成仏というものは生死の別れたものが再会して再び地上の世界と同じような生活をすることになるという所でもあるのです。

期間としては個人差が大きく違いますが、人間の世界よりも一般的に長いものではないかと考えます。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>