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利他愛を実践するということについて

利他愛を実践するということは、ひとえに霊的成長を望むものにとって大切な行為であり、人生の様々なものにも対しての考え方や生活に影響していくということにもなります。利他愛を実践していることを人にいうものではありませんが、体験から得たものや利他愛について説明させていただきます。

 

はじめに

利他愛を実践することで何が得するのかと思うかもしれませんが、そのような自己中心的な思いがある段階ではスルーしたほうがよいものといえます。

そもそも自分をさておき困った他人に分け隔てなく手を差し伸べることが出来るのか、人間の感性をもって考えると厳しい部分があるかもしれませんが、誰もが平穏であって欲しい願いは持っていると思います。

見返りを求めない行為というのは、無償の愛であり生きた証として刻まれるものです。

 

利他愛を実践することについては、霊的に高尚(=知性が高く品位の高い上品なこと)な存在にとっては、ごく当たり前に行なわれていることです。

日本でいえば仏様という存在などがこれにあたり、私たちは祈願やお願いをするばかりで参拝や供物を供えるようなことがあっても、必要がなければ参拝すらしないといった有様だったりします。

しかし仏様というのは、人々のために見えないところでも御尽力され、祈願を受ければその人の様子を静観し叶えるか否かの判断をしたうえで御利益を下さるのです。

当然なほどに人々の感謝は祈願したことにだけ感謝することが多いと感じます。

ひとときでも仏様の立場に立って物事を考えたことがおありでしょうか?

それほど寛容さが求められることも利他愛の特徴といえます。

では、これから利他愛を実践することについて説明させていただきます。

 

利他愛とは

簡単にいうと、自分よりも困っている他人に対して自分のことよりも優先して無償の施しを与えることです。

この施しですが、ただ単に物質的なものを与えるといったものではなく、精神的にも物質的にも無償で与える行為のことをいいます。

ただし恋愛感情からくるものや家族親族といった存在に対しての行為などは利他愛に当たらず、あくまでも対象となる他人に対して見返りを求めたりしないうえに自己犠牲も厭わない(いとわない=ためらわない)ものであることです。

つまり家族や親族また恋人よりも、自分より困っている他人に救いの手を差し伸べることが利他愛の基本であり霊的な根本であるのです。

わかりやすいものですと、見返りを求めない何よりも先に他人を優先する純粋なボランティア活動といったものも利他愛の実践になります。

そしてスピリチュアルといったことを発信している霊能者などは、霊的なことに対しても他人に無償で提供しないといけないというのが利他愛の基本というものです。

この霊的なことについては、下記の項で説明を入れさせていただきます。

 

利他愛とは忍耐と寛容な心がないと厳しい

人それぞれ利他愛に関する解釈は多少の違いがあっても、大体は同じ方向を向くものと思われます。

だいたい何かを「他人にしてあげて」という「してあげる」と思う時点でヤバいかもしれなくて、つい上から目線になったり自分が無理してと思うから感謝を求めてしまうことにつながったりします。

でも恋人や家族のような愛のある関係であれば、いちいち「ありがとう」の一言がなくても許せるのに、他人には一言がないだけで厳しいのが一般的なものです。

酷い場合は、してやったのに礼も言わんと罵り悪口まで言う始末だったりします。

利他愛というのは見返りを求めない無償の愛なので、相手が如何なる人でも同じ目線にならずに受け止める寛容性が必要になってくるのです。

いわば感謝も気持ちのない礼をもらっても我関せず愛を与えるのみです。

 

忍耐についてですが、自分のなかにある物質的なものを無償で提供したり・心身を労したり・時間を費やしたりしていくというのは、やはり違うところでシワ寄せが起きてもおかしくないことです。

それを継続していくことに対して、人を選ばずに続けることは大変なものです。

たまたま困っている人が良い人なら無理なく利他愛に徹することも出来るかもしれませんが、なかにはそうではない癖のある人にも分け隔てなく実践せねばなりません。

そうでなくても自分の時間を割いたり、心身を労することを継続していくことに何の疑念も抱かなかったり後悔しないかといえば難しいかもしれません。

それを継続していくというのは忍耐にもなってくると思います。

では次で、どうして利他愛が継続できるのか伝えていきます。

 

利他愛を実践したり継続できる理由

どんな人間であっても魂は同じであり平等な存在であるということ。

天皇陛下や富裕層であっても精神や肉体に障害があってもホームレスであっても、間違いなく上下のない一個の魂であるということです。

各々の境遇によって現在があるだけで、誰もが好き好んで低い位置に生まれてきたわけではありません。

ここで未熟な魂をもった人間は、努力が足りないとか自業自得といった残念な発言や思考を平然としてしまいます。

たしかに生まれたときから厳しい境遇で生まれた人もいるでしょうが、多くの人は自分が世間一般的な恵まれた環境からのスタートだったことにも気付かないまま、人を見下しがちです。

このようなことに気付かないことほど霊の世界から見て憐れなことはないでしょう。

 

利他愛が実践できたり継続できるのは、様々な苦労をしてきたことによって現実というものが理解出来るようになったこともあります。

なかば無になる心情が利他愛を駆り立てることにも拍車がかかったりします。

利他愛を継続していくことによって因果なのか新たな発見にも結びます。

個人差があるかもしれませんが孤独を感じることは微塵もなくなります。

スピリチュアルを知らない人間が本能から利他愛を実践されていることもありますが、多くは霊的な真理を知ることで理解できるようになると思います。

本来の姿である霊的な存在として目覚めることによって、魂として本当に大切なことを知ることが利他愛を実践しようとする気持ちにもなれます。

多くの人の欲求は時代の変化に流されることもありますが尽きないもので、あることで生涯満足は得ることは容易ではないということにもあり、一種の悟りが利他愛であったりします。

 

霊的真理を知ったものの利他愛とは

スピリチュアルでいう霊的真理を知るべく霊能者やヒーラーといったものが人を欺き利己的な行為を続けることになれば利他愛を実践していなくとも、いずれは霊的な罰を償うことにも繋がっていくことが基本です。

なんかややこしい説明にもなりますが、一般の人が利他愛を実践しようとすることは試行錯誤も許されるが、霊的真理を知るような位置にいるものが人を欺き私腹を肥やし続け利他愛を実践しなければ無条件で天罰が下ってしまうということです。

 

さいごに

利他愛のことについては様々なところで情報が出ていますが、私の経験を通して少しでもお伝えできることができればと思い書かせていただきました。

利他愛を実践していくなかで私の場合は殺生ということもなくなり、神仏との繋がりもありますが肉食というのも基本はしなくなっていきました。

慣れれば、利他愛こそが普通の生活とも感じるようになると思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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