供養と成仏

先祖がいてるのに不運や不幸な理由

だれにも先祖はいて先祖供養も欠かさずやっているのに、なぜ幸せな人と不幸な人がいるのだろうか、不運が続くことも先祖のちがいによるものなのか。見守ってくれているといわれても何の実感も恩恵も受けていないように感じることについて、先祖の影響に対する不運や不幸なことや先祖ができる範囲について説明していきます。

 

不運や不幸は先祖の行ないの影響か

 

ずばり答えからいいますと、不運や不幸に関しては先祖は関係していません。

なぜならば今まで不運や不幸で生きてきたことは、あなたが再生(新たに生まれてきたこと)を果たすために霊であるときに望んで自ら選択してきたことなのです。

またこの再生については、いずれ掘り下げて書くつもりですので今回は簡単に触れますと前世の自分のカルマ(因果応報)からくるものと足りない経験や不足したものを補うために、あえて苦労や苦難を選択したと考えます。

このことが先祖の霊がわかっていたとして、大切な子孫に手を差し伸べたり助けたくても出来ない理由があるのですが、このことは別の項にて説明していきます。

 

ちがう説から説明しますと、よく世間一般で言われている何代か前の先祖が悪いことをした影響が私たちにあるのではないかということですが、まったくないわけではありません。

しかし何百年も昔の怨念を引きづっているものがいるのかというと、それらも疑問でしかない部分といえます。

といいますのも、戦国武将の末裔だという家系や大戦を指揮したA級戦犯の子孫が揃って不幸や不運なのかというと、そうでないことの方が多いわけで実際調べられると理解できると思います。

たしかに生きている人たちからの風当たりは耐えれないものがあったにせよ、先祖霊の影響については問題ないというレベルなのです。

織田信成さんが織田信長の末裔かどうかという真偽は定かではありませんが、もし末裔だとしたら不運で不幸でしょうか。

このように知名度の高いものを例えにしてみましたが、私たちの先祖よりはるかに酷いことをしてきた人の子孫でも不運や不幸と先祖の行ないの関係は薄いということが分かるものです。

 

先祖の祟りはないが同調する先祖に注意

 

このことについては別の記事でも少し触れている感じになりますが、先祖供養が直接災いに影響することはないものです。

供養のことは重複するのでここでは触れませんが、先祖が影響してしまうものはあります。

といいましても、これは代々家系の習慣や感性を少なからず受け継いでしまうものからくるようなものといいましょうか。

いえば子どもは親の背中を見て育つように、生まれながらに持った資質の中に親の影響を少なからず受けるように世間でいわれる血筋みたいなものがあります。

これがいいものであれば問題ないのですが、悪いものまで受け継いでしまうのですね。

この悪いもののなかに思考を意識的にも無意識にも親によって植え付けれることがあり、この思考が先祖霊と同調してしまう可能性があるのです。

先祖霊といいましても成仏したり階層が上がっているものもいれば、低級霊のままや地縛霊になっているものなど様々なわけです。

そのなかの悪いほうの先祖の霊と同調しやすいことが可能性としてあるのです。

成仏していたり階層が上がっている先祖ばかりではなく、人間界に未練を残したままのものたちがお酒を好んだり色情に狂っていたり物欲が絶えなかったり悪い考えに同調したりするなど身近である子孫に悪影響を与えるものもいてるのです。

だからといって悪意をもっているのではなく先祖としての立ち位置でいるために厄介でもあるのです。

しかし、これらは私たちの思考が方向修正できれば影響は消えてしまいます。

 

本当は手を差し伸べたい救いたい先祖は多い

 

なぜ先祖が子孫に対して手を差し伸べたり救いの手を出してくれないのかと申しますと、霊的真理が働くために助け出したくても出来る範囲が限られているのです。

これは逆の立場になればお分かりいただけると思うのですが、かわいい子どもや孫がいてるのに他界してしまってから、そのものたちの色んな事がみえるようになるわけです。

わかりやすくいいますと本物の霊視ができる霊能者以上に予見できて普通なのです。

しかし冒頭に説明しましたように霊的真理を破ることができないわけですから、辛くても見守ることしかできないことが多いわけです。

予見できてるのに静観するしかできないって逆の立場ならショックですよね。

これが先祖の立場にもあることをわかっていただきたい部分であるとともに、いま不運や不幸から脱出することは先祖の喜びにもなることなのです。

 

先祖の大多数といいますか、ほとんどの先祖霊は守護霊の了解のもとにしか子孫に対しての働きかけを許されていません。

これは宿命や運命的なものを試練として乗り越えることが、私たちの再生してきた意味でもあるために回避させたり手伝うことは許されないといったものです。

現世で生きている私たちからすれば、そんなこともわかる訳はないので先祖は何も助けてくれないと思うことも先祖霊からしたら本当に辛く切ない部分なのです。

よく先祖供養や仏壇で先祖にお願いをする人がいますが、先祖からすれば悩みのタネにしかならないものです。

先祖霊として、してあげたくても伝えたくても出来ないことが多くあるのです。

許された範囲や守ってくれるところは本当に守ってくれています。

私も事故寸前のところで救われたことや未浄化霊の阻止のために助けてくれたこともありますし、気付かないだけで色んな部分で影響は与えてくれているのです。

他界しても物質的なことはできなくても、生前と同じ気持ちでいまもなお見守ってくれていることを少しでもご理解いただければ幸いに思います。

 

さいごに

 

先祖供養はしてもしなくても意味がないものではなく、別の記事に書いていますが大切なことであり最終的には自分のためになることです。

供養に対しての考え方は諸説ありますが、第一にが大切なものです。

よくある葬儀会社や宗教関係者がネットなどで先祖供養について書いていますが、正しいこ部分もありますが形式は鵜呑みになさられず、他界しても人は変わらないという前提で判断なさればいいです。

人の不運や不幸の基準も千差万別なもので生かされていることが幸せであり、周りと比較せずに社会の常識も変わるものであり、世間の普通自体が計れないものとして認知していただければと思います。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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