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人は幸せになるために生まれて来ていない

色んな書籍やブログで賛否両論の『人は幸せになるために~』生まれて来ているのか、生まれて来ていないのかですが、霊的に言えば輪廻転生を繰り返す魂としては目的が違い後者になるということになります。それは誰もが今世での幸せを願いますが魂は逆を望む理由があるからです。

 

幸せになるために生まれて来たことも間違いではない

色んな著名人が提唱するように『幸せになるために生まれて来た』ということも霊的な観点からみましても間違いではありません。

それは人というのは『幸せ』と『不幸』が隣り合わせであり、どちらか片方だけで人生を終えるものではなく、幸不幸が混在し比較するからこそ感じるものであり、幸せになるために努力するということが良いのです。

しかし、この『幸せ』か『不幸』かというのは人の尺度や感じ方など多種多様で個人差によって違うものであり、如何に幸せに思えるか・どれだけ長く幸せと思えるかということにも注視する必要があります。

人の感覚というのは継続して同じ感覚を持ち続けることが苦手で、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といわれるように、悪いことも時が過ぎれば忘れてしまうもので、その反対も然りなわけなので「足るを知る」ということが幸せを追求することなのか、現実は難しい問題なのかもしれません。

 

なぜ幸せになるために生まれて来ないのか?

私たちは輪廻転生を繰り返して、この世に何回も生まれて来ているのですが、その目的はひとつしかなく『霊的な成長』を望むほかにありません。

霊的な成長とは何かといいますと、よく魂がどうだといいますが私たちの本来の姿は肉体を纏った魂(霊体)でしかありません。その魂の成長つまり霊の世界で成長することによって神様に近づくことであったり、階層を上がることによる平穏かつ得も言われぬ優美な世界を目指すことです。

この魂ですが死ぬということはなく、何百年何千年いや何万年も生き続け霊の世界での上昇を望むためには試練や修行を乗り越えて完成された魂になるために、地上という霊的波長の低い人間の世界に来て自己の課した課題などを消化して輪廻転生を繰り返します。

時として前世で自分の犯した過ちの清算という形で生まれてくることもあります。

そのために辛いことや悲しいことや苦しいことなど、人が避けて通りたいような様々な苦難や境遇を乗り越えて、魂(霊)として磨きをかけていくために生まれ変わるのであって、長く生きて僅か100年のために幸せを追求して魂(霊)の成長が出来なければ生まれ直した目的を達成できずに後悔することになります。

 

さいごに

世の中では幸せや不幸という言葉が飛び交いますが、このようなものの感じ方は人によって多種多様であり基準のないものです。

ある人は些細なことでも幸せを感じ、ある人は誰もが手に入らないものに優越感と幸せを感じるというのが現実で、この基準のないものに憧れたり追いかけたり、死ぬまで継続して続くことのないものに価値があるのだろうかと個人的に思います。

人間というのは必ず『生老病死』という避けて通れないものを抱えて人生を過ごし、その合間に幸せに拘るのですね。

生まれて(赤ちゃんで)スグに幸せを実感できる人はいなくて、老いては身体が不自由になったり認知症になり幸せの実感どころではなかったり、突然に襲う病に苦しんだり死という地上との別れを迎えるのです。

この幸せを実感できる僅かな期間に『幸せ』や『不幸』が生きる基準になるのは寂しいことと考えてしまいます。

如何なる時も常に視野を狭めることなく広く持つことが本来の幸せではないのかと。。。

霊的にいえば今世に生まれてきたことは修行であり学びのステージでしかなく、霊(魂)の世界という長い長い期間(本来の居場所)での霊(魂)としての完成を目指すためなのですが、そのことを生まれてきたときには忘れてしまうので目的が変わってしまいます。

生きているときに、このことに気付くことができれば、どれほど本当の幸せに気付けるのだろうと思います。

 

では、この辺で終わります。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

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