亡くなった人がどうしても伝えたいことや思いを誰かの口を借りて話すことがありますが、このようなことを知らないと見過ごしてしまうことになるので、それらのことについて説明していきます。

 

はじめに

亡くなった人が遺族や愛する人に何かを伝えたかったり、存在をわかって欲しいと願う気持ちは普通にあります。

 

あなたたちが逆の立場(故人)になれば、その気持ちはわかるはずです。

 

しかし残念ながら、スピリチュアルな世界にはそのような経験をしている人が稀なようで確かな情報がありません。

 

不思議と神仏など高尚な存在と話が出来る人は山ほどいるのに、故人のことはわからない人が多いのは不思議でなりません。

 

当ブログの管理者は多くの死者の霊と話してきた経験から、こうしたことをお伝えしていますが、信じる信じないは各々で判断されたらよいと思います。

 

故人が人の口を借りて話すとは?

故人が人の口を借りて話すというと、世間的にはイタコや口寄せみたいなものを思い浮かべる人が多いと思います。

 

口寄せとは、神霊や死者の霊を自分(術師)に降霊(憑依)させて霊の代わりに話す術のことをいいます。

 

皆さんが聞いたことあるものですと、『青森恐山のイタコ』『奄美や沖縄のユタ』といったところでしょうか。

 

 

こうしたイタコの口寄せといったような大したものではありませんが、故人が誰かの口を借りて話すことについて続けます。

 

誰かというと抽象的な表現になりますが、故人がどのタイミングで誰の口を借りるか特定はできません。

 

しかし、その多くは故人のことを強く思っている時に、傍に居てる人の口を借りて話すことがあります。

 

話すといっても故人の雰囲気が出るものではなく、口を借りている人の雰囲気や話し方そのままですから多くの場合は聞き逃してしまいます。

 

しかし、会話の流れが少し違ったような違和感を感じたり、普段と何か違う感覚で話したりといった故人の特性が出ます。

 

たとえば、誰かと会話中に「お母さんアナタのこと大切に思ってるよね」とか、ん?そこでその会話?が出るみたいな感じです。

 

表現が故人との関係性が違うので例えが難しいのですが、故人が会話の中に口を挟んでくることは無きにしも非ずなのです。

 

私が確信をもって自分ではない存在が口をお使いになられたときの、実際にあったものを少し紹介します。

 

『俺ゴボウ嫌いなんだよね・・・』とか、私は食べ物に好き嫌いがないのにそのようなことを口走ったりしたこともありました。

 

このときも言った記憶は一切ないんですよね。

 

そのほかにも私の口を借りて仏様が話されたときは、私の口を使って身近にいた人間に『真言は届いておる・・・』と、さも私が話している口調で身近な人間に話しかけたことがありました。

 

お寺に参拝に行ってる時だったのですが、明らかに私が話す内容とは少し違ったので身近な人間があとで『こんなこと言ってたよ』と伝えてくれて、記憶にもない言葉に自分ではないことが認識できるものがありました。

 

こういう当ブログの管理者もモードが入っていたり神仏に対しては敏感に反応するのですが、普段は鈍かったりするので故人の言葉を見逃してしまうばかりですが。。。

 

このように、誰かと話している時に故人の言葉が突如として入ってくるので見逃しがちになりますが、『故人の言葉は人の口を借りて話すことがある』ということを意識して常日頃から人の言葉には注意してみて下さい。

 

さいごに

故人は遺されたものに伝えたい、存在をわかって安心して欲しい思いがあります。

 

今回書いたことは虚言や妄想ではなく現実そのものであり、少しでも故人や遺族の想いが繋がればと書いているものです。

 

故人のことを少しでも思うならば、こうしたものを信じてみてもよいと思います。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>