人は生まれながらに幸福であったり不幸であったり、同じ人間なのに不運や不幸な人生を歩んでしまうのには意味があります、これらは現在の自分自身が悪いのでもなく他者が優れているわけではありません。そこで、それらについて説明していきます。
生まれたときから環境が違う理由
人によって両親の愛情に恵まれていたり、また逆に虐待や無関心な親に育てられたりするのは何故なのか疑問が湧くと思います。
それは輪廻転生を繰り返すなかで幸不幸の双方を経験するからであり、決していずれかに偏った良い環境だけに生まれたり、不幸な環境だけに生まれることはありません。
すべては表裏一体であり、そのサイクルが狂うことはないのです。
たとえ自分の先祖が貧しくても裕福であっても、同じ先祖の家系に生まれるとは限らないばかりか、同じように日本人であるか否かも定かではないのです。
じゃあ、先祖とは?となりますが、それは次回(来世)に転生するときに霊の世界で自分が望む境遇によって国や環境が振り分けられていくのです。
(人類は皆兄弟といわれるように、究極つながっているという観点があります。)
望むといっても霊の世界で過ごす中で色々考えているうちに、私たち人間には考えられないような境遇を選択をすることが一般的だったりします。
あまり今世で人を貶したり(見下したり軽蔑)誹謗中傷、イジメのようなことをしていると、次は北朝鮮などの独裁国家あたりに生まれる可能性もゼロではないということです。
今世で不幸や不運な人生の辛苦を乗り越えて天命を全うしたならば、来世では同じような目には遭わない可能性がとても高いです。
しかし途中で自殺したり、自らが人生を挫折してしまいますと同じような境遇を経験することになるので、何としても乗り切る我慢や思考の切り替えが必要になります。
つまり今世で望まない家庭環境に生まれたのは、輪廻転生のサイクルの一つだったということを認識すべきです。
不運や不幸な意味とは
過去世からの因果(応報)が発動していたり、過去世の悪しき行ないによっては因縁霊となったものに陥れられる(呪われる)といった恐ろしいものまであります。
過去世や前世の記憶がないので、そんなん知らんとなりそうですが火の立たないところには煙が立たないのと同じなのです。
いわば人を傷つけて、自分は寝たりお酒に酔って覚えていないだけで相手はきっちり覚えているといった具合なわけです。(これは簡易な説明ですが。。。)
すべての人生は、絶対的な因果律(必然的・規則的に生ずるもの)から成り立っているため、知らんと思おうが善悪双方すべての行ないは今世に来るか来世に持ち越すのかの違いがあるだけで必ず返って来る原理が働いているに過ぎません。
それが今世での清算として現れたものと理解するのが基本的なものです。
さいごに
不運や不幸は他人には計り知れないものかもしれませんが、歴史が物語っているように人々は生きるためや国のためとはいえ、様々な望ましくない行ないを繰り返した経緯があるのです。
自分がその中の一人だった可能性があったり、現代のように簡単に人を傷付けて平然と生き何も悪いことをしていないと思っても、因果として必ず現れてしまうということが不幸や不運に繋がるのです。
それ以外にも過去世で悪しき行ないをしていなくとも不運や不幸の連続だという人もいますが、これらは有名無名問わず霊的成長の終盤であったり高尚な存在といった人が稀にいることも事実です。
それでは、この辺で終わります。
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