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不幸な人生や境遇の意味

生まれながらに貧困や毒親といった不幸な家庭に育ったり、何をしても上手くいかない不幸な人生や境遇を背負ったと思えば、逆に幸せな家庭に恵まれて何不自由のない人生を送る人がいるのも然り、この不公平ともいえる不幸な人生や境遇に生まれた意味とは何なのかを説明していきます。

はじめに

この記事を書いているイトケンも生まれながらに幸福とは言い難い愛のない環境に育ち、高校時代が終わるころには親の支えもなく生きたゆえなのか、生きること・人と関わることすべてを手探りでやってきました。

そのうえ身元保証人など何かの保証人としても受けてもらえなかったという過去をもっています。

幼少期以降は血が繋がっていない毒親に育てられましたが、三度の食事と布団で寝れたこと学校に行かせてもらえたことは多大に感謝しています。

とはいえ毎日のように虐待と毒を吐かれはしたものの、人としての心や生きる術は教えてもらえなかったことで生きづらく、色々と人間関係でも苦労してきたことも事実です。

そのような境遇のせいなのか、いままで死を怖いと思ったこともなく何事も開き直ることでしか自分を保てなかったように思います。

しかし、そんな自分を救ったものとして、不幸な人生や境遇には必ず意味があるという霊的な世界という現実でした。

生まれてこれまで自分の身に起こったことは、今世の自分の因果ではなく過去世から継続していることで、何も今に始まったことでないのは出生時から始まっていたという事実で、つまり過去世からの因果に気付かないまま今まで過ごしてきただけです。

それでは自分のことは終わりにして続けていきます。

 

人間は輪廻転生を繰り返すものといわれたところで、そのようなことを本当に認識したり実感できる人は少ないと思います。

一度きりとも思える人生のなかで、周りを見れば自分より恵まれた家庭に生まれたり楽しい人生や境遇に生きている人と比べると、とても不幸で生きていても仕方ないとか楽しくないと感じても決しておかしいものではありません。

それならば生きるのを諦めて早く消えることもアリでしょうが、不公平とも思える人生も境遇もすべてが肉体を纏った人間では振り返ることができない過去世に意味するものが明確に存在しているということです。

人間といった視野の狭い感覚で人生や境遇を判断すれば目先のことに嘆き苦しむことになりますが、いま置かれている状況すべてが死後に魂の世界に戻れば納得できるものだったと後悔することになります。

このようなことを信じるも信じないも縁やタイミングなので、とりあえずでも読み流して頂ければ幸いです。

 

不幸な人生や境遇は過去世からの因果が関係する

当ブログでは、辛苦を味わうような人生や境遇が霊的には決して不幸ではないと説明してきていますが、それはこれまでにも多くの霊的な存在と関わってしまったから分かる現実です。

人間というのは、お金など物質的なものを中心に考える傾向が強く、魂本来の心や思いといった精神的なものや愛というものが優先することを忘れています。

残念ながら魂が肉体を纏ってしまいますと霊的な記憶は途切れ、この世の集団意識に並行した考えや比較が中心になって不幸と感じてしまうのです。

もし霊的な目覚めという内にある魂が主体的な考えに戻れば、いかに自分の感じていたことや考えこそが霊的な不幸と気付くことになります。

 

では、不幸な人生や境遇が過去世の因果からくるということ説明していきます。

これまでにも書きましたが、いまの自分の身に起こっていることは過去世からの因果というものが絡んでいます。

当然に今世の因果の人もいると思いますが、基本的に疑問に思うほど不幸と感じることについて書いていきます。

因果というのは、字の通り原があるから結として現れているというものです。

そんなん過去世のことなんて分かるわけないといえば、それまでですが如何なることも必ず因果という因果律(=因果の法則)が関係しています。

環境汚染からなる自然破壊にもみれるように自然界でも然り、いまの社会になったのも元はといえば国民が選んだ国民の代表や団体の行ないによるもので、何事も突然降って湧いたものではないということです。

精神的なことでいいますと、ストレスが重なり続けると健康的な生活を続けようとも病に侵されるリスクはジャンクフードを食べ続けるよりも高確率であるといえます。

決してジャンクフードが問題ないといっているのではなく、それほど心的ストレスというのは肉体の正常な機能を阻害していくわけですが、これも何れは因果として現れます。

このストレスの因果で病に伏す人もいれば、精神的におかしくなって最悪なケースでは人に何らかの危害を加えるかもしれません。

こういったように何年何十年もしくは何百年か後に必ず因果律の清算が来るという話です。

 

つまり人間のなかにも完璧といいますか、仏様のような清浄かつ心優しい人が稀であるように、誰でも何らかの因果を背負って生まれて来ていても微塵もおかしくないのです。

ですから人間も同様に絶対的な因果律の清算が来るのですが、それが今世だけの出来事ではないということ、今の境遇には必ず意味があるものと理解して頂きたいのです。

こういったことはスピリチュアルに興味のある人ならば、過去世や輪廻転生も理解しやすいと思いますが、霊的な世界を否定する人には難しいかもしれません。

ということで過去世の因果の説明はこの程度にして、もし現在不幸だと感じる場合の捉え方を次の項で説明していきます。

 

不幸と感じるときの捉え方

ここでは人間的な目線で不幸と感じることに対しての対処の仕方は、色々な人が書いているものを見ていただいた方が賢明と考えます。

霊的な捉え方になりますが説明させていただきますと、まず今世か過去世において必ず何らかの因果が絡んでいるということを理解すること。

この因果は清算するまで消えないが死ぬまで因果を背負うとは限らないものということであり、占い(?)などでよく聞く大器晩成というタイプの人などは、この因果の清算の途中であるとも解釈できます。

人間的目線の不幸というのは基本的に物質的や対人関係に起因するもので、決して霊的な見解では不幸ではなく逆の因果の清算と霊的な成長の糧なるものとみるべき。

いわば心から幸せいっぱいでこの世を終われば再生した意味がなく、苦難が多いほど霊的にも成長し逞しい精神を身に付けることになるということです。

気付いている人は少ないようですが、人間という僅か100年余りの人生に一喜一憂するよりも霊的世界で過ごす数千年(正確には無限と思いますが数万年というには経験による根拠がありません)に焦点を置く方が幸せというもの。

ネット上だけでも輪廻転生が一万回とか数千回などと曖昧なことを書いている人を多く見受けますが、私の知る限りスグ生まれ変わる人もいますが、どちらかといいますと数百年程度は再生しない人も少なくないように感じます。

なぜならば、成仏の世界が人間の世界より快適であることと人間の世界に生まれてくるのは幸せになるというよりも修行や特訓といった過ごしにくい世界であり、霊的見解からしますと、そんなに生まれ変わりたいと望むほど快適なところではないからです。

 

さいごに

個人差はありますが、多くの人がこの世を去ったときに人間の世界に生まれることを必ず切望するものではないということです。

多くは満たされた霊的な世界に飽き足り、自分が人間として生きた軌跡に後悔し再び荒波に飲まれること決意したり、霊的な成長のために地上に舞い戻る形で再生します。

ある程度の霊的な成長をしたものならば、人間という肉体を纏わずして霊的な状態で人間の世界に戻った人たちをサポートする存在は多くおられます。

わかりやすいところでいいますと、寺院にいるような仏様や宗祖なども人間として再生せずに見守ってくれているといった感じでしょうか。。。

如何なることも不幸と感じなくなって、霊的な成長のためと理解できる人が一人でも多くなることを願います。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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