予期せぬ間に亡くなってしまった最愛の子供に一度でも会いたい、いまどこにいるのか、会えるなら自死しても会いたいと願う気持ちだと思います。人によっては後悔の思いが強かったり子供の死を受け入れられなかったり様々な思いが強いと察します。そこで子供に会えるのかいまどこにいるのかを説明しますので、少しでも心休まればと思い書かせて頂きます。

 

亡くなった子供に会えるのか

何らかの事情で愛する子供を失くしてしまうと、今後もう会えないのかについて現実的な話をさせて頂きますと、子供だけでなく人間というのは肉体が死んでも魂(霊体)は生き続けるので、会えないのではなく見えないし感じないだけというのが正確な答えです。

見えないのに会えてますとは言っても理解しにくいと思いますが、実際には亡くなった子供の方からは親の姿を生前と変わりない状態で見えています。

要するに親からは見えないだけで、実は子供と会っていることの方が多いのです。

あなたが亡くなった子供の遺影をみて「泣いている姿」や「話しかけている姿」など亡くなった子供はすべて見ていて、いまも知っています。

親の想いはすべて伝わっていて、生きている方が分からないだけなのです。

これでは答えになっていないとか理解できないと思いますので、次に子供の居る場所について説明していきます。

 

子供の居る場所について

基本的な話になりますが、人は亡くなりましても生前と同じような行動パターンをとることが一般的といえます。

 

○乳幼児の場合は、比較的に成仏が早いケースが一般的です。

 

生まれてきて僅かな期間に病気などで亡くなる赤ちゃんというのは、親の試練のために生まれてきてくれることが多く親が死を悲しみ後悔するものですが、赤ちゃんの方は死後に平然としています。

何処に居るのかということですが、位牌や飾っている写真の辺りにいたりベッドがあれば生前と同じように寝ていることさえあるのです。

ただし赤ちゃんというのは、親の試練や赤ちゃん自身の再生の観点から早い時期に再び生まれ直すことさえあるのが現実といえることです。

 

○幼児や年齢の低い子供の場合というのは、元気なときと同じように日々のルーティンを繰り返します。

なので何処に居るのかと思いがちですが、意外と目の前に居たり、親の身体にへばりついたりといったことが普通です。

視えないし感じないために手の届かない場所に行ったものと思いがちですが、想像以上に身近にいてるものです。

 

○10代20代になると一定の場所にいるというよりも行動範囲が広くなるのが普通です。

毎日のルーティンが基本ですが、死を自覚する頃には自宅居ることも多くなりリビングや自分の部屋に居たりすることが多くなります。

 

子供が視えなくても気配を感じる方法

亡くなった子供に会うということは、私たちが人間として肉体を纏っている以上は肉眼で見るということは霊能者みたいな霊能力がなければ不可能です。

しかし、そのような特殊な能力がなくても注意すれば僅かであっても何か存在を感じたり、側に来てくれていると思えることが出来るのです。

誰であっても僅かであれ霊能力を持っているもので、視えるだけが霊能力ではなく気配を感じたり肌で感じる(気配)といった様々な能力を持ち合わせているものです。

ですから子供と会えていると何らか実感したいと願うのでしたら、肉体がある期間だけ一時的に離れている(本当は現実なものですが・・・)と心に言い聞かせ、いままでと変わりなく子供と接してあげる方が子供も構えなくてよくなります。

すれば各々年齢的なものに違いがありましても、子供のいる場所や動きが把握しやすくなると思います。

人はどうしても死を永遠の別れや別の世界に行ったと思いがちですが、親から距離感を作るのではなく普段通りにしているほうがよいです。

 

子供に限らず亡くなった人を感じるというのは、鳥肌のようなものや目の白目部分辺りで何かが動いたような感覚を覚えるときなどは、子供の気配を感じているという部分であったりします。

そのほかに遺影や飾っている写真の表情が変わることもあるので、注意して欲しい部分でもあります。

意識はしないと何も分からないといったことになり兼ねませんので、このようなことを参考にして頂ければと思います。

 

一般の人が亡くなった子供と会うというものは、『夢』でしか会うことはできません。

これは人間というのは本来霊体(魂)が主体であるため肉体から離れた状態が基本なので、人間としての記憶に残らなくても子供とは会っているのが現実です。

この『夢』というのは非現実とか妄想と思いがちですが、それなら見たいと思い込めば見れるのではないかと思われるでしょうが実際どうでしょう?

ほとんどの人が思ったときには意図しても見れないのが現実です。

『夢』というものを簡単に説明しますと、睡眠中に魂(霊体)は肉体を離れて霊として活動し肉体自体はその特性上から睡眠によって休息をとるわけです。

しかしこの『夢』ですが、魂(霊体)が戻ってきたときに少しズレみたいなものが生じるので、寝起き前に非現実的すぎる『夢』を見ることがあります。

その寝起き前の『夢』は記憶に残りやすいものですが、完全に睡眠状態のものは記憶にさえ残らない場合があるので、霊的な世界で会えていても実際は目覚めると記憶には残っていないということが多いものです。

理解して頂きたいので同じようなことを書きましたが『夢』というのが現実の再会です。

 

そのほかにも子供と会うには一般的な人の感覚では、見えたり感じることはできませんが兄弟や従妹などの幼い子供の視線や言動に注意することです。

亡くなったものは、幼い子供に見えることが本当によくあります。

この幼い子供が何もない方向に目を向けたり目で追いかけたり、また壁や天井を見て笑っていたりする時は亡くなった子供がいてる場所だったりするのです。

言葉が話せる子供ですと、一瞬亡くなった子供の言動ということもあるのです。

一般的な人ですと、このあたりが亡くなった子供に会えるものになります。

 

子供は幼くして亡くなると違う親に生まれ直すの?

子供が幼くして亡くなると違う親の元に生まれ直すのかというと、一概にはいえませんが生まれ直さないほうが多いように感じます。

しかし流産や中絶などのようなケースでは違う親の元に生まれ直すことは多いものです。

少し厳しい言い方をしますので受け入れれないかもしれませんが、子供が幼くして亡くなるときは前世からの流れをくんでいるほうが多く、天命(宿命である寿命)であるケースが多いというのが実際です。

要するに前世において何らかの事情で天命を足らずして亡くなったなどの経緯があるために、再生して短い期間生きれば霊としての目的が果たされるというものです。

このほかにも子供が幼くして亡くなるのは、親の試練のために生まれてきてくれたということも少なくありません。

このことは現実的には受け入れれないと思いますので参考程度とします。

 

死ねば亡くなった子供に会える?

答えから申しますと、間違いなく会えます。

前述しましたが、中絶や流産した子供には会えない可能性は高いです。

後追い自殺をしますと天命を全うする何倍もの期間会えなくなってしまいますので、子供に早く会いたいと願うのであれば、今世の運命を受け入れて天命が尽きるまで生き抜くことが最短で会えます。

これは自殺という思念によって波動が低くなるので、先立った子供の気配も感じることもできなければ存在も声も聞こえない状況が続くことになります。

どうしても会いたいと思うならば、天命(寿命)を全うすることが最短の方法になるということを覚えていてください。

会えるのは亡くなった子供だけでなく、先に他界した親族にも会えます。死んだあとの世界では、いまよりもずっと長い期間一緒に過ごせます。ただし夫婦関係でも実質破たんしているような場合は離れ離れになる可能性は高いかもしれません。

みなさんご存知ないと思いますが、人間である期間というのはほんの一瞬であって死後の世界の方が遙かに長いのです。(数字にすると何十年~何千年単位ということにもなります)

この時どんな感じで会えるのかというと、現世に似ている情景であり地上のような醜い環境を遥かに越えた想像以上に幸せに満ちた平穏な世界で再会できます。

生老病死や痛みや苦しみがない世界で亡くなった子供たちと会い、地上時代よりも長い期間一緒に生活することになります。

 

さいごに

見えない聞こえないだけで辛く悲しいと思うのですが、書いたことは事実なので今も近くにいてくれている。あなたのいまや家のことは知っているということです。

死ねば間違いなく会えますし、人の寿命なんて長くてもたった100年ですから現在の年齢からしますと、もっと早く会えることは間違いのないものということです。

先に旅立った愛する子どもではありますが、子供の死後の世界のことも考えれるなら3年5年と月日が経つごとに生前の物はしまって保管していってあげた方が、子供の現世での未練や小さな執着も断ち切ることができるので、世間で言います成仏はしやすいと感じます。

子供への想いは変わらないと思いますが、少しでも心休まりますよう・・・・・。

 

ではこの辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>