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スピリチュアルは毒にも薬にもなる

スピリチュアルは霊的な世界のことを知ることによって、人としての精神性や魂レベルの向上を目的にしたもので、良いものはのように救われたり成長したりしますが、方向を間違えるとそれがとなり現実離れした洗脳と不運の種を生むことになっていきます。

 

 

スピリチュアルというと、見えない世界のことや占い・精神世界や予言予知など多岐にわたりますが、本来の目的は人々にとってプラスにならないといけないものです。

そこでスピリチュアルの毒になるものと薬になるものについて書いていきます。

 

スピリチュアルは毒にも薬にもなる理由

まず、スピリチュアルに関連する先人の知恵である「ことわざ」を交えながら、説明を進めていきたいと思います。

 

スピリチュアルな記事なのに「ことわざ」が関係ないように感じるかもしれませんが、スピリチュアル以前に人生を歩むうえで参考となるものです。

 

そこで、みなさんがよく知っている「ことわざ」を少しあげてみますと、「笑う門には福来たる」「人事を尽くして天命を待つ」「ちりも積もれば山となる」みたいなものでしょうか。。

 

ことわざにも色々ありますが、その一つに「雲の上はいつも晴れ」というものは、天気が悪くとも雲の上はいつも晴れていることから、「うまくいかない時もあるけど、それを越えれば明るい未来が待っている」という意味です。

 

もがいてもがいて、あきらめず努力していれば必ず光明がみえるというものです。

 

人間の一生は「山あり谷あり」で、山だけの人も谷だけの人もいないように、それぞれがチャンスやピンチを迎えるときがあり、それを活かすも殺すも本人次第ということがあります。

 

そうしたものを活かすことが出来なければ、なんか人生は不運ばかりと思ったりするため、「ことわざ」や「スピリチュアル」などを参考にして、先人の知恵を活かし如何に世の中の真理を学び自分のものにしていくかが、運命を切り開いていくことになるのです。

 

「笑う門には福来る」なんかも、霊的なことは知らなくとも如何なる時も笑って過ごしていれば、心にモヤがかからないために霊的な存在とも繋がりやすくなるということがあります。

 

霊的な存在とは、先祖や背後霊(守護霊)また神仏などの高次元的な存在です。

 

思い悩んだり心配するよりも、大らかに楽観的(なるようになるさ)でいてるほうが、神仏に祈願するよりも断然に幸福の近道になっていくのです。

 

取り越し苦労といった、将来のことを考え無駄な心配をすることは、自分の気を乱し精神や肉体に悪影響を与えるばかりか、理性をも不安定にさせるので霊的な支援を閉ざしてしまう最悪な壁を作ることになります。

 

こういうことが、自分を不運や不幸にしている元凶であると悟るべしです。

 

ことわざでいえば、「案ずるより産むが易し」「明日は明日案じよ」なわけです。

 

いくらスピリチュアルでいう神仏に祈願や参拝をしても、自分の波長が低ければ叶うものも叶わないに関係してきます。

 

もちろん、神社やお寺に参拝に行く利点としては、邪気を祓ってもらう部分では行かれることは望ましいことはあります。

 

スピリチュアルでいわれる神仏よりも、先祖や背後霊(守護霊含む)の支援のほうが、より身近で確実に自分のチカラとなってくれるのです。

 

スピリチュアルに興味のある人は、神仏は人間の便利屋さんのように解釈されているようですが、神仏は人間目線でもなければ、物質的なもの全般に対して価値をもっていません。

 

あくまでも人間(魂)の成長に寄与(役立つ・貢献)するものでないと、神仏は見向きもしてくれないのですが、一般の人には理解できないのかもしれません。

 

もちろん、恋愛なども含め物質的なものや金銭を与えて(叶えて)、何らかの試練を与えるための手段としての御利益もなかにはあります。

 

毒された霊能者の教え通りにして叶うものなかには、魔物や悪霊が叶えて魂の成長を落とす手段といったものがとなります。

 

毒された霊能者とは、素晴らしい霊能力をもっているにもかかわらず、魔物の誘惑によって欲や願望に流されてしまい、気付かずに人々を誤った方向に導く霊能者のことをいいます。

 

これを例えますと、腐ったリンゴが周りのリンゴをダメにするように、そういった毒された霊能者を支持する人が多くなると、いずれは全体に悪影響を及ぼすことになるというものです。

 

社会情勢の悪化に拍車をかけてしまう一因となりうる毒なわけです。

 

スピリチュアルを通して、心が豊かになったり倫理観を養ったり、人として魂として少しでも成長しましたか?ということを思います。

 

まさか。。。愚民化政策(3S政策)と同じように、社会や真実に目を向けることなく魅力ある情報に踊らされていれば、もうされているといって過言ではありません。

 

ここで改めて毒されるというのは、人として魂としての成長も然りですが、自分だけが良くなっても周りの人が不幸であれば、良いことは続かないことを知るべきなのです。

 

貧しい人が増えれば犯罪が増加し、自然を破壊すれば生態系が狂い、農業を減らせば食料自給率が下がり、物価上昇や米の値上がりだけでは済まなくなるようにです。

 

共に助け合い、人間一人では動かせない大きな石も多くの人が協力すれば動くように、ひとりのチカラでは何事も限界があるのです。

 

家族・近隣・社会の人々が互いに助け合い、災難を乗り越えることが本当の幸せを手に入れるコツであり、神仏祈願はそこに奇跡を起こすものであったりします。

 

話しが逸れてしまいましたが、スピリチュアルとは精神性を磨いたり気付くものであり、他力本願のクセをつけて現実逃避するものではないのです。

 

スピリチュアルを薬とするならば、自分の魂を磨き神仏や支援してくれる霊との間に遮るものを作らずに生きていれば、必ず願った方向に進むことができるようになります。

 

人が上がろうとするとき、必ずといっていいほど邪魔が入りますが、大きな変化や幸せを勝ち取るには相応に時間がかかったり難題が降りかかるものです。

 

そこに「ことわざ」や「スピリチュアル」を手引きとして活用していけば、時間がかかっても間違いなく晴れの日がやってきます。

 

さいごに

霊能者や宗教関係者といっても、ひとりの普通の人間なので全てを信じたり鵜呑みにすることなく、自分に薬なるものだけを見極める目をお持ちください。

 

いらぬ薬は服用すると害になるように、スピリチュアルも選択することは必要ですね。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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