お盆の時期になりますと、先祖の霊や死者(故人)の霊が地上に帰ってくるというのは本当の話ですが、誰もが帰ってくるものではありません。よく霊界の扉や釜が開いて霊がとても多くなる時期だという説というのは完全な間違いです。そこで、お盆の意味と先祖や故人の霊について少し説明させて頂きます。
お盆には先祖霊など色んな霊が地上界に来るの?
私も霊体験をするまでは、お盆には霊界の扉や釜が開いて様々な霊が私たちの住んでいる地上に来ると思っていました。
それは先祖の霊から魑魅魍魎(妖怪や様々な化け物)まで、盛りだくさんに湧いて出るほどのことを想像していました。
しかし実は霊の世界に扉や釜などはなく作り話であって、日本のお盆という人間界の行事に霊の世界にいるものたちが自由意思で地上に帰ってくるというだけのものです。
なので先祖や自分たちに縁やゆかりのある故人たちが地上に帰って来るだけでなく、それに乗じて邪霊なども地上に集まってくることは現実としてあります。
お盆という行事の意味は?
本来お盆というのは盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、一般的には「祖霊崇拝」「故人を偲ぶ」というものを目的とした仏教行事です。
由来は餓鬼道に落ちた亡母の霊を救済するために供養することから始まったといわれています。
このお盆という行事も日本の宗派によっても考え方は統一しているものではなく、宗派によっては成仏が出来ない祖霊への救済であったり、先祖供養や縁のある故人への供養の意味であったりと少し解釈の違いがあるようです。
お盆で帰省できなかったり、お墓参りに行けないとき
ご先祖に対して、いままで毎年お盆という行事をしていたのに自粛や何かの理由で行けない状況になったとしましても、お墓参りや行事(法事やお祭りなど)がすべてではないので自宅でご先祖や大切な故人に心を向けたりすることでお気持ちは伝わりますので大丈夫です。
本来お墓といいますのは面会所のようなもので、お墓にご先祖や故人が眠っている(存在している)のではなく亡骸が埋葬されているに過ぎません。
なかなか、お墓や仏壇の前でないと拝んだ気持ちにならないと思うのですが、お墓も仏壇もその中にいるのではなく、お参りに行ったり拝もうとする気持ちから先祖や故人の霊が他所から来てくれるのです。
人間というのは目に見えるものに対して初めて実在を感じるために、お墓や仏壇のような物質的なものがあると心を向けやすくなるというのが、一つの基本みたいな形になっているとご理解いただいて良いと思います。
このあたりのことは、当ブログの記事でも説明していますが初めて読む人のために記述させて頂きました。
このようなことは盂蘭盆会という意味合いから少しズレるかもしれませんが、仏教的な教えは別としまして現実的な話で説明しています。
お盆の時期は全国統一ではない
お盆の期間はご存じだと思いますが、8月13日~8月16日が一般的で関東おもに東京など一部の地域では7月13日~7月16日ごろという1か月早い時期にお盆という行事を行ないますが、全国的には8月にお盆を迎えるとされています。
お盆が一般に広まった時期
お盆が一般大衆に広まったのが江戸時代ごろからで、それ以前は宮廷・貴族・武士・僧侶など上層階級に限られて行なわれていた行事です。このことから江戸時代が1603年からなので、一般大衆目線でいいますとお盆というのは400年余りの歴史しかないものです。念のため起源は606年推古天皇の時期からといわれているようです。
ハロウィンは西洋のお盆というのは完全な過ち
ハロウィンというのは古代ケルト人の収穫祭が起源といわれており、そこに悪魔を追い払うといった儀式が混ざったようなものです。
西洋でハロウィンというお祭りがありますが、キリスト教などにお盆という儀式はなく死者への考え方がまったく仏教とは異なるものです。
仏教のなかにも一部で即身仏や即身成仏などを唱える宗派がありますが、似ている面はあるのですが少し違うように思います。
キリスト教も大きく分けるとカトリックやプロテスタントなどがありますが、若干の解釈の違いはあっても『死』というのは、死者は天に召されるものであり、永遠の生命への始まりであり祝いのような解釈になります。
このようなことから、死者への供養というのは基本的にないので『ハロウィンが西洋のお盆』ということは、完全な過ちでしかありません。
さいごに
お盆に霊が増えるという感覚も少し違い邪霊がすべて怖いものであるかというと、そういうものではなく未浄化で彷徨っているものや何か地上界に未練や執着があるものなどが大半なので怖がることは一切ありません。
今年はコロナの影響で自粛や帰省を諦めざる人も多いと思いますが、先祖供養に関しては自宅でもできるものとしてご理解いただければと思います。
ご先祖や故人もこのような状況というのは理解されていますので、お墓参りをしないから怒ったり寂しく思われるということは、ありえないということです。
では、この辺で終わります。
最期までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>