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『神仏の声を聞く』・『神仏と会話する』とは・・・

『神仏の声を聞く』とは、どういうことなのか?また『神仏と会話する』ことは本当に出来るのか?どのような形で神仏の声を聞いたり会話が出来るのか?といった疑問や方法などについて説明していきます。

 

神仏の声も会話も五感(耳)を使わない

人間が会話するときは、五感のうちの耳や口や目などを使うことが一般的だと思いますが、神仏や霊といった存在と会話するときは基本的に五感(耳・口・目)を使わないことのほうが多いものです。

それは人間が持つ肉体というものは、期間限定の物質を魂(霊体)が纏っているに過ぎないからです。

つまり見えない世界の存在は人間のような肉体を持たないので、神仏や霊的な存在と人間の共通の部分である魂(霊体)での会話というもので通ずることになります。

しかし人間も霊的な能力に個人差があるために、神仏と会話が出来たり声が聞こえるといった少数の人から、思い付きのような感覚で神仏の声を受け取っているケースなどがあります。

では、次では神仏の声を聞くとはどういうものなのかを説明していきます。

神仏の声を聞くとは・・・

神仏の声を聞くといったときに、どんな声色だとか話し方などと想像するかもしれませんが、多くの場合は直感などに入ってくることの方が一般的です。

この直感というもののなかには、神仏の声だけでなくご先祖様・大切な故人・守護霊様・霊的なもの・邪霊といったものまで関係してきます。

このようなことを書きますと不安になるかもしれませんが、心身が健全な状態であれば邪霊など悪いものに対して心配するに至りません。

しかし我欲の強かったり自己中心的だったりしたときに、改心する気持ちがなければ間違いなく神仏の声は届くことはなく、邪霊といった同じような波動の低い存在が囁いてきます。

そのほかにも人生を諦めるような気持ちで心が満たされてますと、上記同様に邪霊などが死ぬと楽になるといった思考にもっていかれます。

話しが少し逸れましたが、神仏の声を聞くということは何も神仏をお祀りしていなくとも、自己啓発的(自己の能力の開発・精神的な成長など)なこと・人生の選択など頑張っているときや方向修正に悩んでいるときなどに神仏の声が届くわけです。

おわかりだと思いますが、神仏というのは日常のアドバイスをくれるような存在ではないことはご理解ください。

なぜならば、この地上に生まれてきたのは誰一人として人より優位に立ったり幸福になるためではなく、それぞれの人が今世での修行として辛苦を乗り越えるためにしか生まれて来ていないために、ある程度は自分で判断して人生という道のりを歩いていくことに簡単に手を差し伸べることはしないからです。

神仏という存在は厳しくもあり慈悲深いために、悩んだり困ったりしている人に簡単に手を差し伸べてしまうと、その人の霊的な成長を無にしてしまうことがわかっているために、固唾を飲まれても静観されるのです。

そのほかにも、神仏と関わっていて心が清浄な人に対しては、霊的なことや神仏に関して必要な答えが返ってくることもよくあります。

ということで、神仏の声というものは科学的な根拠は示すことは出来ませんが、神仏を信じ頑張っていれば御加護や導きといった形で直感のような形でお伝えいただけます。

人によっては会話が出来ないけれども、声として聞けたり適切な御言葉を具体的にもらえるといったケースもあります。

 

神仏と会話するとは・・・

当ブログの記事にも書いていますが、神仏と会話できるという人の99%はニセモノとお伝えしていますが、ほぼ間違いのないことを含めて説明していきます。

霊能力や特殊能力があるからといって、神仏と会話が出来るものではありません。

それほど神仏という存在は厳しい面をお持ちなので、むやみやたらと安々と金儲けのために走る行者や霊能力者や祈祷師などにチカラを貸されることは、まずありえません。

知らない人も多いと思いますが、神仏と深く関わるということは生活に制約が出来ることも御怒りを被ることさえあるのです。

なので、虚言で神仏を語っていても神仏は相手にはしてくれませんし、よくあるのがタヌキや狐のような霊に神仏と名乗られて騙されている自称霊能者も少なくないといったことがあります。

基本的に他者のスピリチュアルなブログを読むことはありませんが、ブログや書籍の世界で、この人は神仏に対して書いていることがズレていない本物と思える人は未だ一人しか見たことがありません。

またまた話が逸れてしまいましたので元に戻しまして、神仏と会話するということは冒頭にも触れましたが、肉体の五感というものを使って話しするものではありません。

心といいますか思念というのでしょうか、もちろん口に出しても思いというものは伝わりますので可能ですが、こちらから心の声で話しかけるのです。

出来れば神仏のおられる前や御札や梵字また写真や掛け軸といった、対象となる神仏に対して話しかけるわけです。

普通の人には難しいかもしれませんが、神仏の声を受取れる人は耳ではないところで声が聞こえたり、頭の中に言葉が降りてきたりするわけです。

意外に一般的に男性の神仏であるといわれていてる存在でも女性であったり、また神仏から伝わってくるオーラや雰囲気がそのまま言語になることがあります。

神仏にも人間と同じように様々な雰囲気があり、クールな存在から丁寧な存在だったり、全ての存在が礼節を重んじられるということは間違いのないものです。

 

さいごに

神仏の声や神仏との会話というものは、普段から頻繁にもらえるものではありませんが、我欲や自己中心的な状態ではなく純粋な気持ちでいれば頂けるものです。

しかし故人といった大切な存在と話すことも難しいなかで、どうして神仏のような高尚な存在と話せよう聞けるのだろうと考えることもあると思いますが、とにかく信じることから始めるのが大切です。

多くの場合は、直感のように降りてくることが多いように感じます。

何かの問いに対して悩んでいるときに、必要な場合は御言葉をもらえます。

できれば人の役に立つためのことですと、御言葉を頂けることが多いです。

 

ということで、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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