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児童虐待死について|政府と国民の責任

 

年々増加する児童虐待相談ですが、1990年統計開始以降27年連続で増加であり児童虐待死事件も一向に減らず対策もままならない状況です。昨年度の統計では1年間に84人の子供が虐待でこの世を去っています。社会問題になりつつも救うことが出来た幼い命までも救うことができないのは、政府の責任が一番大きいのは当然ですが私たち国民にも責任があります。ひとりひとりが声を上げないと救えない命、もはや他人事で済まされない時が来ています。

 

 

辛い思いをして亡くなっていった子供たち

 

 

2019年 千葉県野田市  心愛ちゃん (10歳)  虐待死

2018年 東京都目黒区  結愛ちゃん (5歳)   虐待死

2017年 神奈川県秦野市 優斗ちゃん (4歳)   虐待死

2017年 大阪府箕面市  歩夢ちゃん (4歳)   虐待死

2016年 大阪府堺市   英智ちゃん (3歳)   虐待死

2015年 東京都足立区  玲空斗ちゃん(3歳)   虐待死

2014年 神奈川県厚木市 理玖ちゃん (5歳)   餓死

2014年 東京都葛飾区  愛羅ちゃん (2歳)   虐待死

2013年 栃木県芳賀市  来夢ちゃん (4か月)  虐待死

2013年 神奈川県泰野市 あいりちゃん(6歳)   虐待死遺棄

2012年 広島県府中町  唯真ちゃん (11歳)  虐待死

2012年 名古屋市豊橋市 杏奈ちゃん (4歳)   餓死

 

ちなみに平成27年4月1日~平成28年3月31日に表面化した児童虐待死は72例におよび84人が亡くなっています。その内訳は虐待死は52人・心中32人になります。

 

ニュースに出るのは、ほんの一部で多くの尊い幼い命がこの世を去っています。

 

事件の詳しい内容については、個人的な感情で記載しませんでしたがネット検索すると出てくると思いますので、ご了承ください。

 

亡くなられた子どもたちの、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

政府(国)の責任が一番重い理由

 

 

暗に他責するつもりもないのですが、これだけ社会問題になって多くの国民が関心を寄せている中で依然大きな骨組みが変わらないことで救えた命が救えない状況にあることです。

 

児童虐待について関係各所の従来どおりの認識と行使する権限などが整備されておらず、法的にも弱い立場であるというのが現状ではないかと思われ、それゆえに強制的に踏み込めない状況のため関係各所の裁量に私たちが疑問をもってしまいかねない。

 

いわば強制力が弱いのと虐待に関する認識が甘いため事案を安易に考えやすい体質により児童相談所自体が中途半端な状態であって後手であり、人員不足以前の問題であって職務を遂行するというより児童相談所としての機能に疑問が生じます。

 

1年も満たない時期のことですが、私の知人の場合でも虐待のことで警察通報➡警官訪問という流れから児相に通報がいったそうですが、1~2ヶ月後の児相面談で年配の男性が出てきてやんわりとした雰囲気で終わったそうです。この話を聞いてるだけでも児童相談所はアテにならない機関というのが分かります。こんな遅い対応しか取れないなら問題解決以前ですよね。

 

児童相談所の職員とて人間なので、先ずは人としての良心と仕事に関して誇りをを持って欲しいと願います。いずれにしましても、政府が本腰を入れていないのが最大の原因であるのは明らかです。

 

このような状況になっても政府は、ほかの法案の成立ばかりに躍起になって全くといっていいほど身近な大切なことに関心がないように感じます。表面的な少子化対策を唱えるより、若い人たちを最優先で守っていって欲しいものです。

 

そこで願わくば、虐待に関する法の整備と罰則強化児童相談所の法的強制力の強化と人員の増員,専門知識ある人の配置関係各所の虐待に関する認識の改革政府広報による虐待防止啓発などを個人的にして欲しいことをあげてみました。

 

職員の増員については、いまの現状増やしただけでは経費の無駄遣いと思うので法の整備などから着手して欲しいものです。職員の不足も実際に問題であるのは理解できますが、いまの虐待に対する認識と立ち位置では厳しいと思います。

 

このあたりが変わると国民の認識も変わっていくので、飲酒運転や痴漢・パワハラやセクハラなどが厳しくなったように国民の意識も変わると思うのですね。

 

 

虐待死が国民全体の責任とは

 

 

先日もヤフコメを見ていたのですが、たしかに心優しい人が多くいて嬉しく思う反面で児童相談所が悪い(たしかに児相の責任は重いです)とか母親も同罪などの意見が多く寄せられていました。

 

人それぞれ発言されていることは間違っていないですし数々同調もしますが、それだけだとどんな意見でさえ批判で終わってしまうのですよね。そして結局は他人事で風化して終わり同様の事件でまた批判と文句の繰り返しだと何も変わらないと思うのですね。

 

私自身も偏ったものを書いていると感じますが、批判されても発信することによって少しでも多くの人に児童虐待や虐待死の認識が広まればと思いブログを発信することを決めました。とにかく、この問題がひとつの事件でなく社会問題なんだということを世間に広く浸透しないといけないことだと確信しています。

 

虐待や虐待死について、近隣の人たちの認識が希薄過ぎることも問題視しないといけない危機的状況で、通報によって救われた子供たちも多くいると思うのですが、テレビのインタビューで何かおかしかったとか抜け抜けとインタビューに答えてることに恥ずかしさと救えなかった責任を感じて欲しいものです。

 

子供は無条件ですべての大人が守るべきです。

 

それで私たちの責任の話しですが、他人の子供だし地域も違うので何もできないと思いますが、1人1人が声を上げSNSなどで発信することによって社会の認識を変えることなんですよね。いま私がスグ思いつくことはこれしかないです。微力で頭も良くなくてもやるしかないと思っています。気がつけば追記いたします。

 

当然ですが身近なところで起こっていようものなら、最善を尽くして子供を救える方向にもっていくことですし見過ごさないことです。その労力と優しさは必ず報われますので良い因果を作ったと思えばいいです。

 

とにかく幼い子どもたちは、我が子や兄弟姉妹のように思って見守らないといけない世の中というか時代です。

 

ということで、閉鎖的な環境であるがゆえに昔は守れた命が守れなくなっている現代社会にいて、子供たちを守れない責任は私たち国民の全体責任です。

 

 

さいごに

 

 

まことに、独断の偏った意見で申し訳ないです。しかし書かずにはおれず、発信させて頂きました。

 

重大事件に発展するような虐待をする親は、外ヅラだけが良く周りには「いい人」で通っていたりウソやフリが平気でつける人が多いように思います。だから児相の職員も見抜けない状況の繰り返しなんだと思います。

 

亡くなった子供たちの情景を思い浮かべると悲しい限りです。ひとりでも多く子供たちを救っていければと願ってなりません。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

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