神仏に関すること

神仏とつながるということ

神仏は見えなかったり感じなかったりしますが、信仰している人の意識に働きかけてくれることがあったり、好かれているのか嫌われているのか少しでも参考になればと書いてみました。

 

神仏のことについて、何か少しでも参考になることを説明しています。

 

神仏とのつながりは真実を得る

当ブログは、スピリチュアルのことを書いていますが、神仏と関わらせて頂いていますと、わずかでも真実というのが頭によぎります。

 

ただこれって。。情報操作された多くの人たちが右にならえしている時に、少数派として左にならえしているわけです。

 

ここで言えるのは、コロナワクチンは百害あって一利なしは当初から自明のことでしたし、ロシアとウクライナの戦争を起こした根源は○国だとか、いろいろあります。

 

神仏との御縁ってそんなもので、何か良いことが舞い込んできたり、ザクザクとお金が入ってくるというよりも、質素で慎ましやかな日々を過ごすようなものです。

 

ほんと、ほかの人が書いたスピリチュアルなんて、見ても「ふ~ん」って思うぐらいで、まったく興味がわきません。

 

私よりも霊能力に優れた人は沢山いるのに、いまの世の中に「えっ?神仏と話して、それだけなん?」っていつも思います。

 

もっと、地に足が着いた大事なことを周知してもらわないといけないのに、開運や御利益なんか利己的なこと言っている時代やないんですけどね。

 

「自分」「自分以外の人」「社会」がある程度の共助や協調がなければ、幸せも長続きなんかしないものです。

 

増税や値上げも然りですが、移民による犯罪の多発とお決まりの不起訴・法律の未整備・国民のモラルの低下・食料自給率の危機的状況などなど、山積みの問題をもって幸福になれると思うのでしょうかね。。。

 

神仏よりも人間の思考や行動が優先する

いくら神仏が存在するといっても、いつの時代も世界中で争いごとや戦争が絶えないことからもわかるように、殺伐とした社会を作るのも平和もすべて人間次第なわけです。

 

世の中の宗教関係者や霊能者が人類が平和になるようにと一生懸命に神仏に願っても、聞き届けてもらえないことにも理由があります。

 

それは、人々に教訓(教え諭す)を与えるために、あえて静観なさられているのです。

 

歴史が繰り返されるように、幾度も幾度も同じ過ちを繰り返しながら、過ちに気付き改心することで人類が成長していくのです。

 

こうしたことは、私たち個人も同じことで、形はちがっても同じような境遇を繰り返して転生しています。

 

形とは、家庭環境・人間関係・職業・国籍・容姿・性別などのことです。

 

この世に生まれて来るのは、肉体をもつ期間だけ幸せになることが目的ではなく、魂としての自分の未熟な部分を補う(直す)ためです。

 

それが、前世に他人に害を与えてしまった時には、今世で自分が害を与えられる身になって、害を与えることはやってはいけないことだと心に刻んだりします。

 

過去世で人を騙して利用してきた人が、今世でも同じようなことを重ねて命の強制終了ということもありますね。。

 

色情因縁といわれるもののなかには、性のコントロールを誤ることによって人生を棒に振ったり、不運が続いたりと憂き目(苦しい人生)を強いられることが教訓だったりします。

 

神仏の好き嫌い

よく神仏に好かれる人や嫌われる人といったタイトルのものを散見しますが、基本的に神仏に好き嫌いというのはありません。

 

なぜならば、神仏は人間の目線とは全然違うからです。

 

人間のなかにも人に厳しい人と優しい人がいるように、神仏は寛大な心をお持ちです。

 

人間は未熟ゆえに、この地上に生まれてくるのであって、卓越した心をもっていれば間違いなく人間として生まれることは稀なことになります。

 

要するに、神仏は卓越した心をお持ちなわけです。

 

この世には、必ず陰があれば陽があるように、善あらば悪ありが然りなわけで、そのバランスが崩れれば平和と困難のどちらかに傾きます。

 

たとえば3歳児が悪いことをしても、かわいいものと見るように、神仏の境地からしますと地上の人間のことを赤ちゃんを見ているようなものです。

 

ただ、神仏に好き嫌いはなくとも、目をかける人間と遠い目で見る人間というのはありますから、いずれにせよ信仰などには影響してくるでしょう。

 

悪事を働いて命をもっていかれる人と長生きする人の違いって知っていますか?

 

大勢の人を苦しめるような悪人は長生きをし、特定の人だけを苦しめる悪人は命をもっていかれやすいと感じます。

 

そのちがいは、前者は多くの被害を受けた人が打破するステージであり教訓になるもの、後者は被害者のダメージだけが残り教訓になりにくいものだからです。

 

様々な悪事がありますので一概にはいえませんが、魔物に守られる悪人もいれば死神に憑かれる悪人もいるわけです。

 

教訓を与えられた人たちは黙って流れに任すのではなく、腐ったリンゴは他のリンゴが腐らないように取り除かなければいけないということになります。

 

さいごに

神仏とつながるということについて、説明させていただきました。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

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