神仏に関すること

先祖と神仏どちらの方が守りは強い?

先祖とは、すでに亡くなっている自分の血縁者全般のことをいいますが、この先祖神仏のどちらのほうが自分にとって守りが強いかといった説明をしていきたいと思います。

 

はじめに

一般の人にも簡単に分かるようで分からないものかと思い、自分を守ってくれているのは先祖と神仏のどちらのほうが強いのか答えを出していきます。

 

単純なことですが、大切なことを書いています。

 

先祖と神仏の守りが強いのはどっち?

答えからいきますが、守りが強いのは間違いなく先祖のほうです。

 

それはなぜかというと、神仏は基本的に無条件で守ってくれるものではなく祈願や祈祷して初めて御力をお貸し頂けるのです。

 

無条件というのは信仰したり毎日お参りに行ったりしていても、人々の運命の出来事を神仏自らが変えようとはしてくれません。

 

「寸前のところで難を逃れた」「自分が窮地になったときに手を差し伸べてくれる人に巡り合えて助かった」「何となく思い立ったことを実行してうまくいった」「別れて正解だった」など、これらは神仏に感謝しそうなものですが実は先祖のおかげです。

 

だからって神仏に御礼を言っても先祖は拗(す)ねませんし、子孫が良くなればそれだけで喜んでくれるのです。

 

ハッキリ申しますが、神仏ってマジ厳しい目をお持ちなので分かっていても静観なさられて教訓をお与えになります。

(ここでの教訓とは、身をもって解らせる・悪い経験から学ばせる)

 

ところが先祖は個人差は当然ありますが、どちらかというとお節介みたいに気にかけてくれたりもしますが、運命の許す限りなことに対して意識に入ってくれます。

 

先祖以外にも守護霊みたいな背後の霊ということもありますが、先祖以上に私たちを守ってくれている存在は居てません。

 

私の他界した祖母などは、夜更かしが続いていると何かしら音などで知らせて睡眠を摂るように気付かせてくれたり色々と助けてくれています。

 

もちろん、逆に繋がりのある神仏が教訓を与えたのちに救ってくれることもありますが、それは繋がりのある神仏ゆえの計らいです。

 

先祖は供養するだけではない

先祖といえば子孫が一方的に供養する存在みたいになっていますが、実は先祖にも守られています。

 

先祖の守りが強い人は、貧しくても不運が多くても必ず手を差し伸べてくれています。

 

究極に最悪な状況が続かず気付けば乗り越えているようなことも、時には先祖の導きがあるのかもしれません。

 

私たちが不運や不幸といったものに苛まれるのは、因縁因果が関係しているだけで偶然にその境涯に生まれてきたのではなく必然です。

 

輪廻の回数が多いほど、当然に因縁因果は増えても然りなのです。

 

それをわかっていても、何とか良くなれと先祖は思ってくれています。

 

日本は御利益信仰なので、神仏が願いを叶えたり無条件で助けてくれるというような風潮ですが、実はもっと身近に先祖が助けてくれているということを感じていただきたいと思います。

 

先祖は供養するだけのものではなく、実は私たちの方が感謝すべき存在なのです。

 

お墓参りに行けなくとも、心のなかで感謝を伝えるぐらいしていきたいものです。

 

親が子を守るように、先祖は子孫を守り続けています。

 

さいごに

なんかわかり切ったことを書いているのかしれませんが、先祖に日々感謝する心を向けることによって、守りも良い導きを授かれることにもなっていきます。

 

もちろん行ないが悪すぎると先祖も離れてしまい、流れのままに堕ちていく人も少なくありませんが、自業自得は先祖とて救えないのは周知の通りです。

 

なにか救われたなぁって思ったら、これからは神仏だけでなく先祖にも感謝を伝えていって下さい。

 

それでは、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。<(_ _)>

POSTED COMMENT

  1. イトケン より:

    さびまり 様

    おはようございます。
    返信が遅くなりまして、申し訳ありません。

    『寿命の蝋燭の火』まさしく、その通りです。

    さびまり様は、とても聡明で娘様も自慢の母親だと感じます。
    ご返信ありがとうございました。

    暑い日が続きますが、御身体大切にお過ごし下さいね。

  2. さびまり より:

    イトケン様
    お世話になります。
    早急で貴重な回答頂き、有り難うございました。
    古い言い方になりますが、「寿命の蝋燭の火」をイメージしました。人それぞれ大小長短有って生まれ、途中で消えないようにするのが守りで、決して神仏や先祖が蝋燭をたす事は無い。という事と理解しました。
     多種多様で情報が溢れ出し、変化の激しい欲に満ちた社会です。幅広く選択できますが、真実や本質が不透明です。なので娘には本物や本質を伝えて来たつもりです。
    今でも (美味しい、楽しい、有難い等)純粋な言動が思い出されます。娘の気持ちを大切に生きて、いつかあの世で話したいです。
     イトケン様、ご指導有り難うございました。感謝致します。

    後、1つだけ守りについて教えて下さい。   「御守り、御札」についてです。
    交通安全、長寿、金運アップ、安産、学業成就等色々あります。此等は気持ちの問題でお布施程度に考えています。回答し辛いのでしたら大丈夫です。

     今回は、早急でイトケン様の思いやりの有る回答頂き重ねて感謝致します。有り難うございました。
    また、ブログ楽しみにしてます。
    暑さ厳しいですがご自愛ください。
    有り難うございました。 

  3. イトケン より:

    さびまり 様

    はじめまして。
    コメントありがとうございます。

    早速ですが、質問などにお答えさせていただきます。

    >>先祖・神仏の守りとは「人生における発展の良い方向への導き」だけではないように思えてなりません。消滅・回帰への導きもあるのかと感じます。有るのでしょうか?

    ➡消滅や回帰の導きはありません。
    これは先祖や神仏は人々が人生を歩むなかで、その人の運命に沿いながら予期せぬ出来事の回避や良くなる方向に導いてくれたり意識に伝えてくれたりするもので、決められた宿命という寿命を変えるような導きではないです。

    >>仕事上、郷里を愛し振興する業務です。しかし如何に地域の方々が幸せに消滅する選択の考えに至っています。

    ➡たしかに、さびまり様が仰られますように地域だけでなく、多くの国民が消滅や苦境の選択をしていることに私も日々悩んでいます。しかし最近は、身をもってどん底や苦難を味わわないと気が付かない民族だと思うようになりました。

    >>私は一人娘を亡くしました。娘は美しく素直で無欲、自然を愛し、人の心の痛みが解る頭の良い病気ひとつしない健康な人間なのに、突然連れ去られたかの様に1人サラっと亡くなりました。~心の奥そこには「神も仏も無く、先祖の守りも無情」の胸中、恨みすら感じます。そして後でいつも謝ってます。(笑)

    ➡いえ、違います。
    少し表現が大袈裟かもしれませんが、心並外れた清浄な天使のような魂が鈍重で穢れた地上に長くいることの方が難しいのです。つまり、さびまり様の成長のために生まれて来てくれた存在であって、娘様の旅立ちによって何を学んでいくかです。無情の胸中察しますが、神仏や先祖が関与できるものではありません。これから社会は国難によって殺伐とした世の中になっていくでしょうから、娘様のような人が生きてくれていることも個人的には無情に感じます。

    >>私にとって救いや導きはひどく突然で強引です。「救い」は導く為の手段なのでしょうか?なぜそこに導くのか?人間の私にはご先祖様や神仏のお考えが全く理解できません。「娘の回避不可の死」の代償は大きすぎます。

    ➡この世は、先祖や神仏などからの気付きや導きによって悟るものであって、御利益信仰的な「救い」というものではないですから、「不可避な死」は当然に如何なるものにも変えることが出来ないのです。

    >>丁寧に生きてきたつもりである私は「救い・導き」が逆に怖いとも思います。
    もし寿命が来てあの世に行ったら、因果や導きをご先祖様に聞くこと見る事が出来るのでしょうか?

    ➡可能ですし、その時は悟ることも出来ます。
    悔しさは何ものにも代えられないと思いますが、丁寧に生きて来られたからこそ清浄なる娘様が来てくれたことであり、娘様との再会で納得する日が必ず訪れます。

    >>娘は彼方の世界で頑張っている事と思います。娘には感謝しかなく、迷惑をかけたくないので娘の守りはいりません。このような考えの私を受け入れられるでしょうか?

    ➡大丈夫です。心配なさられなくとも受け入れられます。

    少し社会に対する個人的な見解を入れて申し訳ありません。
    こちらの返答やご不明なことなどありましたら、いつでもお気軽にご連絡して下さいね。
    さびまり様も暑い日が続きますが、どうかお身体御自愛下さい。

  4. ラベンダー より:

    イトケンさんさま
    アドバイスありがとうございます。

    神社で「神恩感謝」で詣られる方達もおられますが感謝の気持ちは神様だけではなくご先祖さま方にもこの気持ちは大切なのですね。

    日常でも日々感謝の気持ちを持ちつ過ごされている方は中々見かけなくなりました。
    御年配の方々で戦争時の辛さを体験された方達は何事にも感謝する方々多く
    話していると気づかされる事が多いですね。

    今の日常は有難いんだよ~
    贅沢になってもまだ淀みなく不平不満を言うのは馬鹿者のする事って・・・

    確かに・・・。

  5. さびまり より:

    イトケン様
    いつも拝読し楽しみにしております。また心の支えとなり感謝申し上げます。
    少しお聞きしたくご連絡させて頂きました。
    今回のお話、先祖の守りについてです。
     先祖・神仏の守りとは「人生における発展の良い方向への導き」だけではないように思えてなりません。消滅・回帰への導きもあるのかと感じます。有るのでしょうか?
    そう思う私は仕事上、郷里を愛し振興する業務です。しかし如何に地域の方々が幸せに消滅する選択の考えに至っています。その適任者・責任者が、先祖代々というか一族の末裔の私です。
     私は一人娘を亡くしました。娘は美しく素直で無欲、自然を愛し、人の心の痛みが解る頭の良い病気ひとつしない健康な人間なのに、突然連れ去られたかの様に1人サラっと亡くなりました。
     娘の突然死から一周忌を迎え、娘の冥福を祈り、ご先祖様にも感謝を伝え、供養しております。
     しかし心の奥そこには「神も仏も無く、先祖の守りも無情」の胸中、恨みすら感じます。そして後でいつも謝ってます。(笑)

    私もご先祖様のおかげと言わざるを得ない経験(九死に一生)や良くも悪くも逃れる事の出来なかった人生の選択というものがあり、家族との出会い、苦楽を共にする人生はかけがえのないモノです。娘もとても短いながらも家族・良き友人に出合い充実した人生でした。

    しかし、私にとって救いや導きはひどく突然で強引です。「救い」は導く為の手段なのでしょうか?なぜそこに導くのか?人間の私にはご先祖様や神仏のお考えが全く理解できません。「娘の回避不可の死」の代償は大きすぎます。
     丁寧に生きてきたつもりである私は「救い・導き」が逆に怖いとも思います。
    もし寿命が来てあの世に行ったら、因果や導きをご先祖様に聞くこと見る事が出来るのでしょうか?
    娘は彼方の世界で頑張っている事と思います。娘には感謝しかなく、迷惑をかけたくないので娘の守りはいりません。このような考えの私を受け入れられるでしょうか?

    すみません。私の内容が漠然として焦点を得ませんが、もしお時間御座いましたらご回答いただけると嬉しく思います。

    貴重なお話、いつもありがとうございます。
    ご自愛くださいますようお願い申し上げます。

  6. イトケン より:

    ラベンダー 様

    先祖に感謝するだけでも、プラスに働くと思います。
    結婚なさられましたら、当然両家の御先祖様に感謝をお伝えして先方の先祖には「よろしくお願いします」とです。

    お墓が遠くてお墓参りに行けない人も多くいてると思います。
    お参りに行けなくともラベンダー様が仰られますようにすれば良いです。
    なんちゃってでもいいのです。(笑)
    何よりも大切なのは、先祖を想い感謝することです。
    失礼なことはありません。。。そのまま気持ちが届きますよ。

  7. ラベンダー より:

    記事を読み
    「なるほどな~」と身体の奥に染み入るようでした。

    巷では御利益神様信仰が流行していますがその前に自分のご先祖様方にも日々感謝の気持ちを手向ける事が大切なのですね。

    結婚した際には
    両家のご先祖様へ日々感謝の気持ちも
    持った方が良いのですね。

    来月8月13日からお盆に入りますが
    わたしは実家のお墓参りには遠方のため費用がかかり数年に1度しかお墓参りに行けません。
    お墓参りに毎年行かなくても問題ないのでしょうか?
    心の中で実家の母方父方のご先祖様へ
    お墓参りに行けなくてすみません!と謝りお墓を想い出し心の中でお墓参りをしているのです。
    (なんちゃってお墓参りというのでしょうか・・・脳内でお花をお供えしお線香をあげてみたいな)

    失礼にあたりますか?

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