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豊臣秀吉「時世の句」にみる人生に学ぶこと

 

豊臣秀吉といえば貧しい農民の家に生まれながら、足軽から天下統一を果たした夢のような成功を収めた人物ですが、その豊臣秀吉でさえ臨終のときに寂しいと思うような「時世の句」を残しています。まさに現代の私たちの人生にも学ぶべきことがあると感じたので、後悔しない生き方について書いてみました。

 

 

豊臣秀吉の簡単な紹介

 

 

 

1537年 尾張国愛知郡中村郷(現在の愛知県)の下層民の家に生まれたとされる

 

当初、今川家家臣に仕えるも織田信長に仕官する

 

容姿は、「猿面冠者」という言葉が残るように「猿」と呼ばれた

 

6本指で、指が1本多い「多指症」で身長150㎝以下とも160㎝余りともいわれ小柄

 

正室 北政所(おね・寧々)   側室 淀殿(茶々)・南殿 ほか数名 

 

1590年 天下統一                               1592年 朝鮮出兵16万もの軍勢を出兵                     1598年 (慶長3年)8月伏見城にて秀吉死去(享年62才)           

 

 

豊臣秀吉の時世の句

 

 

「おごらざる者もまた久しからず 露とおち露と消えにしわが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

 

 

個人的に訳させて頂きますと‥

 

平家などのように奢らない生き方をしてきたのに今思えば朝露に消えるがごとく、あっという間の自分の一生だったな。天下統一をし太閤になり大阪城も築いたことも、夢のまた夢を見ているような儚い人生であった。

 

 

何とも寂しいことを言われて臨終を迎えられたことでしょう。

 

 

 

望むもの全てを手に入れても、この言葉の意味

 

 

 

豊臣秀吉のように、欲しいものすべてを手に入れた人物の言葉に意味深いものがあります。

 

現代でいえば、地位も名誉も財産も自分が欲しいと思ったものは何でも手に入れることができたのに、臨終のときには儚い過去のこととして夢のまた夢とまで語っています。

 

これだけを見るとなんとも贅沢なことをって感じですが、実際に死を目の前にして生きてきた人生を振り返って望むものを手に入れてきたとしても、これが現実なんですよね。

 

どれだけ大成しようが貧困に苦しもうが、臨終を迎えるときには過去のこととして夢を見ていたに過ぎないということになります。

 

たしかに過去のことは、「楽しかったな」とか「いい思い出だったな」、「辛かったけど乗り越えてきた」とか「死なずに生きてて良かった」など何れも渦中のその時は、満足したり苦しんだりするけど、過ぎ去ってしまった時間は薄れてしまいます。

 

人生その時その時が一瞬のできごとであるように思います。

 

だから、楽しいことも辛いこともバンバン経験していけばいいと思います。

 

「楽しかった・美味しかった」などは、その時幸せな気分になるだろうし「辛かった・悲しかった」ことは、それを経験した人の心の成長になりますし、どちらも必要だと思うからです。

 

でも地位や名誉や財産を追いかけたり、人と比べて裕福だとか優位だから幸せな気持ちは自己満足のようにも思います。

 

これって、人が輪廻転生を繰り返すとしたら何の修行にもならないようにも感じます。

 

生まれてくるのも1人であれば死ぬ時も1人で去っていき、地位も名誉も財産も大事な家族さえも、なにひとつあの世に持っていけないのですから‥。

 

秀吉が言うのも、なんとなくわかります。

 

 

では、何のために生きるのか

 

 

 

関白までのぼり詰めた豊臣秀吉でさえ、 「露のように儚い人生で大成したのは夢のまた夢を見ていたようだ」としたら、何のために生きるのでしょう。

 

たしかに、死ねば魂もなく無になり消えるなら秀吉の生き方は大満足な人生で良かったと思いますが、欲は尽きないから最終点はなく満足は一瞬になるでしょうけど‥。

 

もっともっと上へ、もっともっと多くの財産をとキリはないですよね。人間の欲は尽きないですし、現状どれだけ裕福でも慣れてしまうと満足は少なくなります。

 

 

では、何のために生きるのでしょうか?

 

 

最初に断っておきますが、何のために生きるかは答えが一つではないように思いますので仏教的な観点からお話しします。

 

 

ですので違和感を感じる方は、以下はスルーして下さいね。

 

 

 

私自身プロフィールにありますように、霊的体験を通して神仏の存在を信じていますので、その観点からお話させて頂きます。

 

人は死ねば魂が残り、魂は死なないと言われています。そのため幾度となく輪廻転生を繰り返し肉体を宿して、この世に生まれ変わってきます。

 

その目的は、苦難を乗り越え人の役に立ちながら寿命を全うして、現世で修行するために生まれてくると言われています。

 

 

人の役に立つということは、人を生かしたり喜んでもらえたことは記憶は色褪せても感謝の念は消えませんし、自分の生きた証が人の人生に良い影響を与えたことになります。

 

苦難は自分が生まれてくる前に前世は恵まれていたとかの理由で、今世は苦難に立ち向かうために自ら苦難を選択して生まれてきます。

 

そうでないと、輪廻転生を繰り返しながら修行するという意味がないからです。

 

例えるなら、とがったような凸凹な石を丸くなめらかにするような感じで何回も生まれ直してくるような…。

 

 

この繰り返しが、生まれてきた意味だと思うのですね。

 

 

詳しくは、いずれ別で書かせて頂こうと思います。なかなか伝えるのが難しくて先延ばしになってしまうのですが‥(^^;

 

 

では、この辺で終わります。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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