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終活|死後の世界に困らないために

生きていれば遅かれ早かれ必ずやってくる死ですが、死ねば終わりなのか魂は死なないのか疑問は残るところだと思います。多くのサイトや本で死後の世界について色んな情報が飛び交っていますが、本当のところ何も気にせず終活のために身の回りの整理さえすれば寿命まで生きていればベストなのか、それとも考え方を変えて現世の終活と死後の新たなスタートのための準備をして寿命が来るまで生きていくことがベストなのか説明していきたいと思います。

 

 

死んで終わりなら終活さえすればベストですが‥

 

 

まさに死んで終わりなら終活もせず、犯罪を犯そうが捕まらなければ要領よく好きなように生きていけばそれがベストなように思いますが、なぜ世の中の人の多くが秩序や理性を守って生きていくのでしょう。

 

たしかに自分さえ身内さえ良ければいいと思っておられる人も一定数の割合では存在してると思いますし、世の中の人間が作った基準に逸れないようにしてる人も多いと思います。

 

でも、そのうえで終活さえしてれば問題ないと思ってられるのでしょうか?それとも寿命が来るまで、なんとなく生きているだけですか?それは浅はかですと言わせて頂きたいです。

 

家族や会社のためだけに生まれてきたとお思いですか?たしかに好きなことや趣味に時間をかけて満足な人生を送った人もいるでしょう。

 

もし死後の世界があったり、魂そのものが死ななくて生き続けているなら人間という肉体に宿った目的は、家族や会社もしくは好きなこと趣味のために奇跡的に人間として生まれてきた意味や意義を完結したと言い難いものがあります。

 

長いようで短い期間に人間として生きることが修行であるならば、上記のように生きていることが霊の世界に戻ったときに思い残すことができてしまうということになります。

 

 

実は死んで魂だけになった時が本来の姿です

 

 

人間としてこの世に生まれ寿命を迎えるまでというのは本当に僅かな時間です。魂だけになっていわゆる霊として生き続ける方がはるかに長い期間を過ごす形になります。

 

この世に生まれてきたのは本当に奇跡であり、生まれてくることに失敗する者も多くいると聞きます。それだけこの地上の生活は稀な体験と思っていただいても何の問題もありません。

 

なぜここまで言い切れるのかと言いますと、私が他の記事で心霊体験として書いてきましたことが事実だからです。まだ伝え方も書き方も下手ですから真実味に欠けると思う点は反省のするところですが‥。

 

私が直接話した霊の多くは地上界にもっとも近いところの霊のことを書きましたが、それ以外にも階層があるようでレベルの高い霊との接触もさせて頂いています。とはいえ、仏教界までのことですけど。

 

と私の話しは置いておいて、その体験からも霊として生き続けることは事実であり人間として肉体に宿って生きることは短い期間ですし、それぞれ忘れておられるだけで使命をもって生まれてきています。

 

 

では、生まれてきた使命とは

 

 

もし神仏のことやスピリチュアルなどを少しでも信じられるなら、「生まれてきた意味や使命」などを考えたこともおありかと思います。

 

今回は「生まれてきた使命」について書いていきます。

 

それぞれの霊が肉体に宿って人間界での使命については個々違うものもあると思うので個々の使命は分かりませんが、人間界における霊としての最終的な霊的想念はみな同じところがあって「人の役に立つこと」です。

 

といいますのは、物質的な現在に生きている世の中では地位や名誉・お金などを持つことがステータスのような人間の成功という感覚ですが、死んだ時にこれらは何ひとつ持っていくこともできないわけで霊の世界では不必要なものばかりです。

 

いくらお金を稼いでも地位や名誉があっても、霊格とは無縁ですし霊の世界の階層が上がることになんら影響しないものということです。

 

霊の世界に持っていけるのは知識や経験や人の役に立つこと(徳を積んだこと)などです。

 

そのことから考えても霊の世界に戻るとき(いわゆる死後)までにしておかなければいけないのは「愛」「心」を持って生きるということのほうが、よほど大事です。

 

たしかに努力することと苦しくても生き抜くのは大前提になります。

 

なぜ使命をもって生まれてくるのか‥それは霊の世界の法則であって階層が上がることによって素晴らしい世界が不死の魂に用意されているからです。

 

 

神仏を信仰してるからって大丈夫ではない

 

 

神仏を信仰することもとても大事なことではあるのは間違いないことですが、あなたが亡くなって霊になったときに霊の世界で優遇されることはないと思っていいです。

 

たしかに私の場合は親族の中に熱心な信仰者がいたようで高野山とのご縁をいただき高野山に助けて頂いたことがあるのは事実です。自分が信仰することによって自分や身内が救われるというのは間違いないことですが、霊的な世界という部分に関しては人間としての行ないが死後あるべき姿のすべてになっていきます。

 

当然死を迎えてあの世で霊になれば、自分が蒔いた種は自分で刈らねばなりません。罪や罰を犯して死ねば当然死後に霊となって償うわけです。この物質的な人間界の様相が偏っているだけで霊の世界は完全なる公平ということです。

 

といいましても、いまも本来は霊そのものであり肉体と精神と霊の構成で生きているわけで、とりわけ死ねば霊になるのではなく今も霊そのものです。わかりやすくいえば魂とでもいいましょうか。

 

だから神仏を信仰することは素晴らしいことと思いますが、信仰してるからといって死後の世界で優遇されることもなく大丈夫とはいえない所以です。

 

 

さいごに

 

 

いまからでも遅くないので、人間として霊の一員としてこの世に生まれた使命を今一度考え直してみて下さい。

 

身近から手を差し伸べたり自己滅却できるような何かがあるかも知れません。

 

少し読みにくくバラけた文章になってしまったことに、お詫び申し上げます。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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