死後の世界

終活|死後の世界で困ったり後悔しないために

終活で生前に残された者のためや身の回りの整理はしていても、多くの人が死後の世界を意識しないままに旅立って、死んだあとに想像以上に様々な思いを抱えて成仏せずにいることが事実としてあります。終活とあわせて死後に困ったり後悔しないために最低限知っておきたいことや、やっておきたいことをお伝えしたいと思います。

 

死(寿命)を迎えるということは

 

だいたい就活されるぐらいの年齢になれば、多くの人が死後の世界の存在も薄っすらと意識できるころだと思います。

しかし実際に死んだらどのような感じになるのか簡単に説明していきたいと思います。

人は死んでも魂は死なずに肉体がなくなるだけになり、たとえ病気や身体的な痛みや苦しみがあっても死んだ瞬間にそれらはすべてなくなります。

当然の話しなのですが肉体というものが生きるうえで精神などに大きな影響をしていましたが、死ぬことによって肉体の影響がなくなり精神つまり思念が中心の状態に入ることになります。

この思念が中心という状態になりますと、いま心配事があれば死ぬことで心配事は倍増(実際は数倍心配)することになります。

なぜならば肉体があることによって、睡眠や食事やテレビなど何かで他のことに意識が逸れていたのがなくなるためにダイレクトにそればかり気になりだします。

このように死ぬということは実は肉体がないだけで、いまの延長で続くということです。

 

死後の世界で困ること

 

ずばり申しますが、再生してきた意味を死んでから知って後悔します。

ここでいう「再生」は生まれてきた意味と理解していただいても問題ありません。

おそらく死後すぐにそのような思考には決してなりませんが、時間とともに自分の使命や自分が決めたことを意識するときがきます。

みなさんが考えている以上に長い霊での生活が待っているので、再生することでクリアできなかったことが大変残念に思われるでしょう。

 

まず最初に死後に降りかかってくる問題で困るのは、死後は思念が強くなるので生前(現在)に気になっていることが途切れることなく頭のなかを回想します。

といいましても、そこまで強いものがなければ問題はありません。

人によっては大切にしていたものが誰かの手によって不本意なかたちで処分をされたり、遺された家族のなかに心配なものがいれば心配で仕方なくなり、後悔していたことがいたたまれなくなったりと生前と勝手が少し変わります。

まさに死んで終わりなら終活もせず犯罪を犯そうが捕まらなければ要領よく好きなように生きていけばそれがベストなように思いますが、なぜ世の中の人の多くが秩序や理性を守って生きていくのでしょう。

たしかに自分さえ身内さえ良ければいいと思っておられる人も一定数の割合で存在してると思いますし、世の中の人間が作った基準に逸れないようにしてる人も多いと思います。

でも、そのうえで終活さえしていれば問題ないと思ってられるのでしょうか?それとも寿命が来るまで、なんとなく生きているだけですか?それは浅はかですと言わせて頂きたいです。

これは就活すると同時に過去を振り返り、残された時間で自分が生まれてきた意味を考え死ぬまでに出来ることをしないといけない時間でもあります。

ただ恵まれた環境で過ごせたから良かったのではなく、恵まれているからこそ心の余裕があるのだから色んな方向に目を向けるべきです。

家族や会社のためだけに生まれてきたとお思いですか?たしかに家族を守り子供を育てることはとても意味があり素晴らしいものですが、会社に尽くしたところでただ社畜として生きたに過ぎず再生を繰り返す魂からすれば大方もったいない時間を過ごしたことになります。

好きなことや趣味に時間をかけて満足な人生を送った人もいるでしょうが、辛苦の少ない人生は霊の世界では不幸としか言いようがありません。なぜならば霊として成長するために何十年何百年待って再生してきた魂からすれば、楽しいことで人生が終わるのは何の成果も得れなかったことになります。

それは人間の世界は生きて100年ですが、霊の世界は数千年もしかしたらそれ以上の時間が待っているわけですから、一瞬の大切な時間を逃したので死後は必ず後悔します。

簡単にいえば人の人生は旅行のような一瞬のもので霊として得るものがなければ、再生は失敗であったと後で知ることになります。

これらが死後に困るということになります。

 

いまの本来の姿は霊である

 

いま生きている現在も霊というものを意識できないだけで肉体と一体となっています。

今回細かい説明は省き簡単に説明させていただきます。

死ぬということは借りの肉体を捨てるときであり、分かりやすくいえば衣服を脱ぎ捨てる程度のものになり中身は霊ということです。

 

人間としてこの世に生まれ寿命を迎えるまでというのは本当に僅かな時間です。魂だけになっていわゆる霊として生き続ける方がはるかに長い期間を過ごす形になります。

この世に生まれてきたのは本当に奇跡であり、生まれてくることに失敗する者も多くいると聞きます。それだけこの地上の生活は稀な体験と思っていただいても何の問題もありません。

なぜここまで言い切れるのかと言いますと、私が他の記事で心霊体験として書いてきましたことが事実だからです。まだ伝え方も書き方も下手ですから真実味に欠けると思う点は反省のするところですが・・・。

私が直接話した霊の多くは地上界にもっとも近いところの霊のことを書きましたが、それ以外にも階層がありレベルの高い霊との接触もさせて頂いています。とはいえ仏教界までのことですけど・・・。

と私の話しは置いておいて、その体験からも霊として生き続けることは事実であり人間として肉体に宿って生きることは短い期間ですし、それぞれ忘れておられるだけで使命をもって生まれてきています。

 

では、生まれてきた使命とは

 

もし神仏のことやスピリチュアルなどを少しでも信じられるなら、「生まれてきた意味や使命」などを考えたこともおありかと思います。

今回は「生まれてきた使命」について書いていきます。

それぞれの霊が肉体に宿って人間界での使命については個々違うものもあると思うので個々の使命は分かりませんが、人間界における霊としての最終的な霊的想念はみな同じところがあって「人の役に立つこと」です。

といいますのは、物質的な現在に生きている世の中では地位や名誉・お金などを持つことがステータスのような人間の成功という感覚ですが、死んだ時にこれらは何ひとつ持っていくこともできないわけで霊の世界では不必要なものばかりです。

いくらお金を稼いでも地位や名誉があっても霊格とは無縁ですし、霊の世界の階層が上がることになんら影響しないものということです。

霊の世界に持っていけるのは知識や経験や人の役に立つこと(徳を積んだこと)などです。

そのことから考えても霊の世界に戻るとき(いわゆる死後)までにしておかなければいけないのは「愛」「心」を持って生きるということのほうが、よほど大事です。

たしかに努力することと苦しくても生き抜くのは大前提になります。

なぜ使命をもって生まれてくるのか‥それは霊の世界の法則であって階層が上がることによって素晴らしい世界が不死の魂に用意されているからです。

そのうえ他人に施すということは、その施した先祖や家族の霊からも感謝され子孫に対してプラスに影響していきます。今世で自分は世間並みに過ごせて良かったと感じるならば自分の先祖や自分自身が他人の役に立つことをしてきた可能性が高いわけです。

逆に生まれながらに不幸な境遇だったり人生の途中でとてつもない不幸に襲われるのは、因果であったり自分に足りない部分を補うために避けて通れない大きな波という運命ということもあります。

 

神仏を信仰してるからって死後は大丈夫ではない

 

神仏を信仰することは、とても大事なことではあるのは間違いないことですが、あなたが亡くなって霊になったときに霊の世界で優遇されることはないと思って間違いないです。

霊の世界は人間の世界とちがって、仲良くしていたら面倒見てくれるのは人間特有の関係だけであって霊の世界は因果がはっきりしているので、良いことをすれば自分に返り、悪いことをすれば必ず霊の世界で償うことになります。

ここに神仏のご加護は期待しても無駄です。

なぜならば、どれほど熱心に信仰していても人間であれ霊であれ神仏は導きだけであり報いも償いも己で精算するしかありません。

たしかに私の場合は親族の中に熱心な信仰者がいたようで高野山とのご縁をいただき高野山に助けて頂いたことがあるのは事実です。自分が信仰することによって自分や身内が救われるというのは間違いないことですが、霊的な世界という部分に関しては人間としての行ないが死後あるべき姿のすべてになっていきます。

当然死を迎えてあの世で霊になれば、自分が蒔いた種は自分で刈らねばなりません。罪や罰を犯して死ねば当然死後に霊となって償うわけです。この物質的な人間界の様相が偏っているだけで霊の世界は完全なる公平ということです。

といいましても、いまも本来は霊そのものであり肉体と精神と霊の構成で生きているわけですから、とりわけ死ねば霊になるのではなく今も霊そのものです。わかりやすくいえば魂とでもいいましょうか。

だから神仏を信仰することは素晴らしいことと思いますが、信仰してるからといって死後の世界で優遇されることもなく大丈夫とはいえない所以です。

 

さいごに

 

いまからでも遅くないので、人間として霊の一員としてこの世に生まれた使命を今一度考え直してみて下さい。

身近から手を差し伸べたり自己滅却できるような何かがあるかも知れません。

少し読みにくくバラけた文章になってしまったことに、お詫び申し上げます。

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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