たまに見かけたりするのですが、霊能者に神仏が怒っているから参りに行かないと祟りがあるとか、いま起きていることは神仏が怒っているからというようなことを言われたりするようですが、神仏が怒ることがあるのか神仏の祟りは本当にあるのかを説明していきます。
神仏の本質を知る
神仏といいましても、神様と仏様がいますよね。これを一緒に説明するのもおかしいことですが、今回は神仏の怒りや祟りが本当にあるかという部分ですので神仏共通で説明しても問題ないと思いますので続けます。
私の知る限り神様は神様ですが、仏さまは高級霊の部類に属するのではないかと思います。
それで私の書いてきた記事のなかでも説明させて頂いたことはあるのですが、神様や高級霊だけでなく霊というのは、私たちと違って人間の先を見通せたり考えていることが分かる存在なのですね。
だから、参拝などに行って声を出さなくても胸の内でお願いや祈れば叶えられるのですが、実際にはお礼を言ってるだけでも心の中というか考えていることは、神仏にはすべてお見通しなわけです。
神仏と私たちを比べるのはおかしな話ですが、理解して頂きたいので続けます。神仏と私たちの精神や思考とはかけ離れていて、一般の人間の目線で神仏の気持ちなど到底察することができません。色々な経典や書物を参考にして崇高な存在であるから、多分こう判断されるだろうなぁ程度です。
それで神仏の本質の話しですが、神仏というのは私たちの霊的成長や進化を望まれているわけで、決して上から目線ではなく私たちの行為や思考の良い行ないも悪い行ないも、すべて常に静観なさられている存在ということです。
それは人間というより霊としての成長や進化を望まれるから、悪い行ないも困難も自分で反省し乗り越えるためにステージをくれていて、ごつごつした石が研ぎ澄まされたキレイな石になるように見守ってくれています。
これが神仏が私たち人間に対しての本質です。
神仏の怒りや祟り
ほんと霊能者がそんなことをいわれるということが不思議でなりません。霊能者もピンキリでしてまったく霊能力がないものから、それなりに霊能力を持った人までいますが、本当に凄いという本物の霊能者というのは正直お目にかかることが出来ないぐらい稀であるだろなぁとは思います。
稀というのは、日本の総人口の1%にも満たないか限りなく0に近いと思います。それなりの鑑定料を取ってられるだけでも、まずたいしたことはないと思って大丈夫ですよと断言できます。このあたりは、また次回に書くとしまして神仏の怒りや祟りの話しに戻していきます。
先ほども説明しましたが、神仏が怒るというのはまったくの人間目線であって怒ることは有り得ません。なぜならば、神仏というのは私たち人間のようなちっぽけな思考や感情は持ち合わせておられないからです。
もし神仏が人間に対して怒られるような感情があるなら、多くの悪い行ないをした人や神仏に対して失礼な行ないをした人は、突然狂いだすか死にんでもおかしくないと思いませんか?そうでない状況からも、神仏を信じてる人にそのようなことがあるはずもありません。
何度も書きますが、神仏というのは良いことも悪いこともすべて分かった上で静観なさられています。なぜならば私たちの中にある善も悪も霊的成長に必要だからです。
では神仏の祟りについてですが、個人への祟りが神仏から起きることはありません。
先ほどにも書きましたが、神仏は私たちのような視点や小さな心は持ち合わせていません。だから個人攻撃なるものは絶対にないですが、悪霊や低級霊ならあるかもしれません。
ただし、祟りではないのですが神仏といいますか神様は人間が誤った方向に進みだすとノストラダムスの大予言ではないですが、大きな災害といいますか氷河期のような地球規模におよぶ自然災害を起こされると読んだことはあります。これには何の根拠もありませんが、それはあるかもしれません。
特に日本の人たちの思考や愛的なものが欠如した人、人を貶める人たちが増加しつづける傾向については神様の祟りではないですが、大規模な災害に起因してるのではないかと私見ではありますが思います。
話しが少し逸れてしまいましたが、神仏の祟りはないと思って頂いて良いです。
さいごに
いかがでしたでしょうか?
神仏が怒りや祟りを起こすことは有り得ません。あるとしたら悪霊などの仕業ではないかと思います。神仏を名乗る悪霊なんてたくさんいてますから大丈夫です。
神仏を信じられる人は、日々感謝と祈りを捧げるだけで守られ導かれます。人間の私たちには気付きにくいだけで導きもあります。
心配でも霊能者に頼るぐらいなら、正道(正しい道)を歩み続ける方がよほどマシです。そうしているうちに霊的支援や直感が冴え神仏から助言を頂けますので試してみて下さい。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>