先祖関連

お墓って本当に必要なもの|供養と成仏の関係について

これを書かせて頂こうと思いましたのは、現代のお墓の風習や高額な費用などで残された遺族や個人にとって大きな負担になりつつあるからです。そのうえ遠方(郷里)などに先祖の墓がありお参りにもなかなか行けないなど本当にお墓は必要なものなのかお墓参りをしないと祟りがあるのか、お墓を建てたり供養を続けないと先祖や大切な家族は成仏できないものなのかなど、本当お墓必要性と真実について説明していきます。

 

お墓って本当に必要なのか

 

ちび子
ちび子
ねえねえ~、なんで今更みんながやっていることに必要とかグチャグチャいうの?

 

イトケン
イトケン
それはね、時代の変化であったり所得格差であったり、なにかしら多くの人の負担が大きくなってきてるからなんだ。

 

ちび子
ちび子
でも、お墓って常識じゃ~ん。お墓がなくなったら先祖とか怒って祟りとか怖い感じがするけど・・・。

 

イトケン
イトケン
先祖の祟りとか迷信だよw。それよりお墓が本当に必要なものなのかを少しでも分かってもらうために説明していくね。

 

お墓というものが本当に必要なのかといいますと、必要な部分とそうでない部分とに分かれるというのが実際のところです。

答えになっていないと感じる人もおられると思うのですが、お墓の必要性というものは重要視する程のものではなく供養が一番大切なので、上記のような答えになったわけです。

といいますのは、お墓自体の歴史からみてもわかりますように霊園というものが出来始めたのも昭和30年代の高度成長期ごろから定着しはじめたに過ぎないのです。

古来から、お墓というものは形がちがっても存在しましたが、それらは権力者などの一部のみのものであり多くの庶民(死者の半数以上)は土葬であったり風葬(死体を風雨にさらして自然に消滅させる)や遺棄といった方法でした。

私の幼いころに母方の田舎に帰省していたときのことですが、親戚の叔母たちに連れられて山道を歩いているときに「昔は雨があがった翌日なんかは、土葬だったから(樽のような棺桶に)ズボッとハマったりしたもの」という話を聞いたことがあります。

そのときは幼くて焦りながら歩いたものですが・・・。

このように古い時代のことと言いましても、ひと昔前は土葬で墓石や木簡(字句などを書き記した木の札など)もなく埋められていたというのが普通であったわけです。

ドがつくほどの田舎だったからか、土葬したまま放置されているのが普通でした。

ですから、いまのかたちの墓石なるものになったのも歴史は浅く現在では常識的なものになっていますが、実は亡骸を安置する場所が豪華になっただけで、お墓に対する概念を一度白紙の状態にしてもいいようなものなのです。

いま世間では、集合墓地・共同墓・共同墓地・納骨堂・合祀墓・永代供養墓・樹木葬などが注目されているのも時代の変化に応じたものといえます。

しかし、お墓の必要性がまったくないのかと申しますと、そこは供養という観点からしますと必要な部分もあることを次の項で説明いたします。

 

お墓と供養について

 

お墓というものを慣習や宗教的な物差しで見るのではなく前項でも少し触れましたが、お墓という現実のものを知って頂き今後に生かしていただきたいと思います。

お墓というものは亡骸を安置するところというのは説明しましたが、このほかに故人や先祖と面会する場所であり供養するための特定の場所なわけです。

先祖や家族や愛する人や親友などと生死という形で離れ離れになっていても、仏壇のなかの位牌やお墓参りに行くことによって供養することができるのが一般的なものです。

しかしながら、浄土真宗などは位牌は必要ないものとされています。

これは亡くなった人は、その時点で仏になり魂は極楽浄土に行っているから必要ないという教えからなのですが、強制ではないので浄土真宗派でも位牌を持たれる人もいるのが現実のようです。

このように故人に対して諸説ありますが、まず根本的にお伝えしたいのは亡くなった人も肉体がないだけで存在している(魂は生きている)ということです。

これは私の記事では一貫して伝えていますが、多くの霊と霊媒を介して関わってきたために否定することができない現実なのです。

話しを戻しまして供養といいますのは、今も生き続けている肉体がないだけの先祖や大切な人に忘れていないという形や霊の世界でも頑張ってもらえるようにとの願いからするものです。

別の記事に書きましたが、この供養という繋がりで先祖や先立った人が自分が死んだときに会いに来てくれたり導いてくれたり現世で守ってくれたりと、結果的には自分のためにもなっていくのが、お墓参りであり仏壇のなかの位牌に供養するというものです。

ですから極論で申しますと、故人に未練も感謝もないというのであれば墓地を建てる必要も供養もする必要がないということになります。

ここまで極端というのも変ですが、供養という本質を理解していただければ自然にお墓が大事ではないことは理解していただけるものかと思います。

 

お墓にお金をかけても自己満足レベルでしかない

 

葬儀会社や一部の宗教団体では、お墓や仏壇や供養にお金をかける方が成仏しやすいような旨を教示(?)することがありますが、先祖や故人にとってはまったく無意味でしかないものです。

お墓や仏壇の豪華さというのは、所詮はお金に余裕がある人がすればいいことであって自己満足に過ぎず、一番大切なのは心でしかないものです。

いま一部の僧侶のなかにはニュース沙汰になったりしているように、宗教に仕えているからといって決して正論を説いてくれるとはかぎりません。

まして先祖や故人に対して、お金がないと成仏に影響するなんて馬鹿げた話です。

ここで何が言いたいのかと申しますと、お墓を購入できなければ違った方法で問題ありませんし、その場合は位牌だけでも準備されて毎日供養するようにすればいいのです。

人は亡くなったからといって精神や思考といったものが何ら変わるものではなく、肉体が亡くなるぶん思念が強くなる程度と思っていただいて問題ありません。

ですのでお墓というのは身の丈に合ったもので問題ありませんし、集合葬や合祀葬や無縁仏・樹木葬や散骨でもアリなわけです。

もう一度いいますが、大切なのは心です。

 

お墓と成仏について

 

お墓参りするということは、故人にとっては嬉しいことで励みになるものです。

逆を考えていただければ分かりますとおり、自分が他界しても覚えてくれていたり墓参りしてくれると嬉しいものですよね。

まさしく、これでしかないのです。

お墓の形態は様々であっても、供養してくれるというのは応援団のようなものとでもいいましょうか、成仏するのは他界した本人次第です。

どうしても忘れ去られていたりお墓参りという供養がないと寂しいものですし、霊になって思念や雑念から脱線してしまうこともあると思うのです。

そこに子孫や家族や愛する人や親しいものが、お墓参りなどの供養をしてくれることによって脱線せずに頑張れるわけです。

ここまで成仏と書きましたが、私見としてはどうも成仏というより昇華というイメージなのですが、あえて分かりやすい聞き慣れたもので説明させていただきました。

 

慰霊碑の真実

 

よく戦没者や事故や災害などの慰霊碑などをニュースなどで見聞きされたり慰霊に行かれたりされると思うのですが、この慰霊碑について少し触れてみます。

慰霊碑というのは一般的に多くの人の魂を鎮めるためのものなどと言われていますが、慰霊祭や慰霊というかたちで訪れましても、基本的にその地に眠る霊は慰霊碑にいてません。

慰霊に訪れて慰霊碑に刻まれた人が出てくるのは近親者や関係者のときだけなのです。

これは、お墓の話しに似てるのですが無関係の人が慰霊に参ろうと意識していても、わざわざ出て来てくれないのが普通です。

たしかに鎮魂という形で魂の怒りや無念を鎮めるためには必要なものではあると思うのですが、多くの魂は霊の世界によって救われ浄化の道を辿るわけです。

ですから慰霊碑のある場所などでも、おかしなことが起こることもないのが現実です。

 

まとめ

 

①お墓の形態や予算というのは、各々出来る範囲で問題ないということ。

②お墓自体には、先祖や故人は存在していないということ。

③お墓参りするということは、先祖や故人の励みや喜びになり嬉しいもの。

④成仏は、お金が関係するものではないこと。

⑤お墓が必要かといえば、あった方がよいもので色んな人が参ってくれる可能性がある。

⑥成仏に影響するのは故人の問題であり、お墓が絶対ではない。

⑦お墓や仏壇にお金をかけても生者の自己満足でしかなく、故人への影響はゼロ。

⑧葬儀社や一部の宗教関係者の話しは鵜呑みにしないこと。

 

以上です。

 

では、この辺で終わります。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

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